82.貴椿千歳、屋上にて
「――そういうわけだ」
どういうわけだよ。……いやわかるけど。
屋上に呼び出され、開口一番いきなり「そういうわけだ」と言われて、それでもなんとなく意味がわかる。
むしろ「そういうわけ」以外の話がないからだろう。
該当する話は一つだけだ。
「北乃宮の家って大変そうだな」
だから俺は、それしか言いようがないことを言った。
――火周廻との遭遇を経た翌日。
昨日はどうしても捕まらなかった北乃宮匠は、教室で会うなり、朝一番に俺を屋上へと連れてきた。
そう、風紀委員室があるあそこだ。
「ここで話して大丈夫か?」
聖域などの方が安全な気がするのだが。
「構わない。風紀委員の一部は、俺と姉のことを知っているから」
……そうか。
「知らない方がおかしいかもな」
姉……火周と北乃宮の学園内での関係は、一方的に付きまとう方と付きまとわれる方だ。
火周がやっていることは、誰の目から見ても魔女の横行である。風紀委員がそれを咎めないとも思えない。
仕事にルーズっぽい風紀委員長代理はわからないが、真面目な副委員長は確実にどうにかしようと動くだろう。
動かないのは、北乃宮と火周の関係を知っているからだ。
「昨日は帰るなり、姉が君に事情を話してきたと言われた。聞いた時は驚いたが、だがいい機会でもあったと思った。姉が話さなければ、俺はまだ君には何も言っていないだろうからな」
まあ、プライベートなことだしな。
話す話さないは北乃宮の自由だよな。
これまでは、知らなくても別に問題はなかったしな。
「別に話せなんて言わないけど、ああいうのは事前にそれとなく話しといてもらわないと、俺も対処できないぞ」
だから火周と少し揉めてしまった。
一方的にやられるだけなら問題はなかったのだ。
――クラスメイトたちが、すげー緊張した面持ちだった。
異様な雰囲気に何事かと思えば、兎と恋ヶ崎に「『ヴァルプルギス』と揉めたのか?」と問われ、ちょっと納得した。
あれだけの高レベル魔女だ、何かと俺を守ろうとしてくれているクラスメイトたちにとっては、相手が悪すぎる。最悪の部類だ。
「問題ないし、もう解決した」と答えたら、明らかにほっとしていた。
そして「もし本気で揉めていたとしたら戦争だったよー」と物騒なことを漏らしたのは、……たぶん本当のことだと思う。
危なかった。
たとえクラスメイト全員でも、火周ほどの高レベル魔女には、勝てないだろう。いくら俺のためとは言え、全員まとめて怪我なんてされたら、それこそいたたまれない。
――もし火周が事情を説明していなかったら、どうなっていただろう。
たぶん夜にでも北乃宮自身から何かしらのフォローが入ったんだとは思うが。
だが、どっちにしろ確かなことがある。
――俺が火周に負けて、北乃宮は俺を守るために火周に連れて行かれた、ってことだ。
どんな裏事情があろうと、それに納得できようと、俺が負けたって事実は揺るがない。
俺は北乃宮を守れなかったんだ。
相手がたまたま北乃宮の身内で、たまたま北乃宮に害をなす存在じゃなかったというだけで、それ以外は起こった事実のままだ。
つまり、俺は友達一人守れなかったわけだ。
ヘコむわ。
「皮肉なものだろう?」
どこかで聞いた印象的な言葉が、まさしく魔女の世界を言い表す言葉が、北乃宮の口から発せられる。
「魔女の血を入れない家系に、あれだけ高レベルの魔女が発現する。幼少から苦労して努力して血を流してまで身につけた『魔除け』も無駄になった。覚醒は、姉の人生を否定するような出来事だった」
普通の家なら喜んでいいことなんだけどな。
あれだけ高レベルなんて、日本でもそういない。
まあ……確かに北乃宮家にとっては皮肉だな。冗談がきついよな。
「あいつ、おまえに北乃宮の責任を押し付けて悪かったって言ってたぞ」
「姉は俺より優秀だったからな。あのまま行けば北乃宮の跡継ぎは姉で、俺はその補佐でもやっていたはずだ」
もっとも――と、北乃宮はニヤリと、不敵に笑う。
「俺が後を継いだら、姉を俺の正式な補佐として呼び戻すつもりだがな。あれだけの魔女なら誰も文句は言わないだろうし、俺も言わせない。姉の姓は戻せないが家には戻す。魔女の覚醒ごときで家族を引き裂かれてたまるか」
その笑い方は、姉のニヤニヤ笑いに、少し似ていた。
「仲良いんだな」
俺には兄弟がいないのでよくわからないが、大切に思い合う関係ってのは少し羨ましい。
「姉が家を出るまでは、俺は姉のことが嫌いだったけどな」
「言うなよそういうこと。綺麗に話を終わらせろよ」
つーか、いつもクールな北乃宮が笑ってるってところも珍しいのに。
笑いながら言うことでもないだろ。
「何をしても追いつけない優秀な姉だったからな。俺が苦労してやっとできるようになったことを、たった一日でこなせるようになる天才だった。親はよくいる贔屓型……というわけでもなかったからあからさまに比べられることもなかったが、すぐそばにたった一歳違いの競う相手がいるのに楽観なんてできるものか」
あ、やっぱすごい奴なんだな。
俺も苦労して苦心して身につけた「体内に仕込む危機回避技」を、火周は応用してすぐに真似して見せたからな。……まあ正確に言うと「接触発動」は婆ちゃんの真似そのものだが。
理屈で説明するのは簡単だが、いざそれを実践するとなると難しい。魔女じゃない俺にだってそれくらいはわかる。魔女云々だけの話でもないし。
「そんな優秀な姉を、将来は俺がこき使ってやるんだ。これが俺の夢で、野望だ」
うん、言い方は非常にひねくれていると思う。
でも本心はちゃんとわかる。
そうじゃなければ、わざわざ家に呼び戻そうなんて発想は沸かないだろう。嫌いならむしろ遠ざけるだろう。
だから、俺はもう一度言った。
「仲良いんだな」




