80.貴椿千歳、五度目の衝撃は苦笑いで回避する
「……で、なんでそんな話を俺に?」
ヴァルプルギスだの高レベル魔女と揉めただの北乃宮を追い出された北乃宮の姉だのと、色々と衝撃の多い日ではあったが。
全てを収束して思うのは、やはりこれだった。
「そういう話は北乃宮から聞くべきだろ」
たぶん火周は、北乃宮に黙って来ている。そしてあいつが話し難い話を勝手にしている。そんな気がする。
だってこいつらが姉弟の関係ってのは、周囲に漏れたらまずい話なんだろ。
そんな大事な秘密を、田舎から出てきたどこの馬の骨とも知れない男に聞かせるなんて、田舎者な男であるところの俺自身だって不自然に思う。
「あなたが私の売ったケンカを買ったからよ」
ん? ……まあ、買ったけど。
「確かに手加減はしたけど、すぐ立ち上がれるほど優しい攻撃はしてない。あれは想定外だった」
「売ったおまえが言うなよ」
見た目で力量が駄々漏れである。
普通の騎士や魔女なら、まず火周のこの姿を見ただけで、心が折れるだろう。
ここまでの魔力は、あまりにも常識外だ。
どう考えても、普通に戦って勝てる相手じゃない。
普通の人間が、素手でゾウやカバに立ち向かうとでも考えるとわかりやすい。本当にそれくらいの力の差があるのだ。
俺だってきっと勝てない。一矢報いるくらいが関の山だ。
「結果はどうあれね、私とあなたがケンカすると、匠がいい顔しない。姉と友達がケンカする姿を見たいって弟も珍しいと思うし」
……まあそうだろうな。俺だって嫌だわ。身内が友達とケンカする姿を見るのなんて。
「でも、私はあなたが、理由もなく買ったケンカを諦めるとは思えなかった。この姿の魔女とケンカする気になるような人だからね。だから裏の事情を話に来たわけ」
つまり……アレか。
「ケンカしたくないと」
「うん。匠も嫌がるし、私もあなたを傷つけたくないから。黙って引いてほしい」
火周はコーヒーを啜り、笑った。
あのニヤニヤ笑いとは雲泥の差を感じさせる爽やかさがある。……顔色が良ければもっとあっただろうな。
「手を出したことを謝る気はない。あれが私の役割だから」
「役割って……」
「北乃宮匠に付きまとう厄介な高レベル魔女。他の男には目もくれず、近付く魔女はことごとく牽制し、その際には実力行使も辞さない危険人物。見るからに危険な魔女っぽい女。私はそういう役割」
顔を半分隠す前髪をいじっている辺り、不気味さも役割の内ってわけか。
「なんだか面倒なことになってるな」
役割とかなんとか。素で生きてる俺にはそんな器用なことは絶対できないだろう。
「弟の助けになるならそれでいい。私が北乃宮から追い出されたせいで、北乃宮の諸々のしがらみを匠一人に押し付けることになったから。ただでさえ子供の頃から私と比べられて辛かっただろうに、今や完全に全部背負わせることになった。
そして匠は、北乃宮を継ぐ覚悟をもう決めている。本人が決めた以上、あとは支えることしかできないから」
薄々そうなんだろうとは思っていたが、いよいよ確信になってきた。
やはり北乃宮の家って、相当大きいんだろうな。
……聞いたら教えてくれそうだけど、この辺は北乃宮の口から聞きたいところだ。だから今は聞かないでおこう。
「でも気が済まないなら、一発くらい殴ってもいいけど?」
「いや、別にいい」
ケンカは買ったが、殴りたいわけじゃない。女子供には優しくしろと教えられているし。
色々な衝撃のせいで、怒りの感情も吹き飛んでいた。
「いや、それにしてもさ」
あ、またニヤニヤし出した。
「ちーちゃんが女の子だったら、もう少し揉めてただろうね」
またそれか! その呼び方か! 違和感しかないぞ!
「なあ、それ本当に呼ばれてるのか?」
「うん。クラスメイトが言ってたよ。……まあ若干腐りぎみ方向にいるけど」
く、腐り気味?
「クラスメイトを腐ってるとかどういうことだよ。失礼だろ」
「……」
火周はニヤニヤとは程遠い、優しくも儚い微笑を浮かべた。
「ちーちゃんはいつまでも、そんなちーちゃんでいて欲しいな。あんまり都会に染まらないでね」
……どういう意味だよ。
「それよりちーちゃん」
「その呼び方どうにかならないか?」
「匠に女の影ってどうなの? クラスメイトとか近寄ってないわけ?」
俺の抗議はまるっとスルーされた。
本気で聞こえていないかのように。
……これはもう修正が利かないという意思表示なのだろうか。
「たぶんないと思うけど……」
こんな一見危険な女が付いているのだから、いくら魔女でもそう簡単に近づきたいとは思わないだろう。
実際クラスメイトの肉食系魔女たちは、あまり北乃宮に話しかけない。
ぐいぐい行くのは弁当かっさらう時くらいだ。
「強いて言えば風間かな」
風間は、気がついたら北乃宮の背中に張り付いていることが多い。
しゃべっている姿はあまり見ないが、密着しているだけに仲悪そうには見えない。
「ああ、一ね。あれはあんまり関係ないからなぁ」
「いち?」
「ん? ……あ、こっちじゃ一で通してるんだっけ」
風間のあだ名みたいなもんだろうか?
まあ、北乃宮と風間は幼馴染だって話だから、火周とも面識があるのだろう。
「じゃあまだ、匠に近付く魔女はいないわけか」
「おまえがいるからだろ」
「逆だよ。私がいても遠慮しない、物怖じしない、そういう本気の女じゃないと匠の相手は無理って言ってるの」
……ん?
「北乃宮家は、家系に魔女は入れないんだろ?」
そう聞いているし、実際その家訓で火周は北乃宮から追い出されたんだよな?
なのに火周は、魔女でも構わないと言いたげである。
「家には入れないよ。でも愛人くらいなら余裕で」
愛人!?
……と、都会……すげえな都会は……もはや愛人は文化とでも言うつもりなのか……
戦慄に凍りついている俺を解凍したのは、、ドンドンとドアが叩かれる音。
「千歳、いるか?」
ドアの向こうから、非常に聞きなれた女子の声。
乱刃だ。
ふと時計を見ると、もう5時半である。走り込みから帰ってきたのだろう。
「開いてるぞ」
立ち上がることなく声を掛けると、ドアノブが回り――学校指定のジャージを来た乱刃の姿が見えた。
やはり今で走っていたのか、額に浮かぶ汗にべったりと前髪が張り付いていた。
――そして、最近では珍しく、こちらを見る視線に敵意のようなものを感じる。
なんだ?
最近は学校でも穏やかに過ごしていたのに……
「その女は誰だ?」
「客だけど……」
乱刃からは、火周は背中しか見えないだろう。黒いオーラ駄々漏れの背中しか。火周は振り返りもしてないし。
「……千歳、今から言うことをよく聞け。そいつは――」
と、乱刃は土足のまま部屋に踏み込んだ。
いつもなら反射的に叱っているところだが、乱刃の本気の顔を見ていたら、何も言えなかった。
「そいつは――下着泥棒だ。おまえの下着を狙った下着泥棒だ」
えっ!?
衝撃の発言を聞いた俺も、あえて振り返らないまま居た火周も、まるで鏡でも見ているかのように心底驚いた顔で見つめあった。
数瞬の痛々しい沈黙の後、これまたお互い苦笑する。
まさかそんなわけあるか、と。
まさかそんなことあるか、と。
――苦笑している間に、乱刃は静かに鋭く火周の真後ろに肉薄し、拳を構えていた。




