76.貴椿千歳、衝撃が走る
ヴァルプルギスは、正確には「ヴァルプルギスの夜」という5月1日の祭りの前夜のことを指す。昔イングランドに生まれた聖ワルプルガにちなんで名付けられた。
色々説はあるようだが、笹峠は簡単に「生者と死者が最も近づく日とか言われてるけど、現代では魔女の祭りだ」とのこと。
5月1日と言えば、今年はゴールデンウィークだったかな?
聞けば、特に何をするわけでもないそうだが、そういう日ということにかこつけて『魔女水』で酔っ払ったり、社会人ならアルコールで酔っ払ったりと、非常に庶民的な夜を過ごす魔女は多いらしい。
そして、九王町で言うところのヴァルプルギスとは――
「高レベルの魔女の集団だ。そのメンバーは総じてヴァルプルギスと呼ばれている」
ヴァルプルギスは、高レベルの魔女の集団、か……そう、か……
「道理で強いわけだ」
とんでもない魔力の量だった。
魔力の量だけなら婆ちゃん超えてやがる。
それに、何より――戦い慣れている。
「都会の魔女って強いんだな」
思わず呟いた俺の言葉に、思わずと言った微妙な表情で、笹峠と万代先輩が顔を見合わせたのだが、俺はそれを見ていない。
その顔にはありありと「アレが特別なんだ」と書いてあるのだが。
見た目からして危険極まりない魔女は、誰憚ることなく堂々と第一魔法実験室に踏み込んだ。
近づけば近づくほど、感じられる魔力は強くなる。
彼女という器から漏れ出す黒い魔力は――やはり伊達ではなさそうだ。
その魔女は、近づいてくる。
どんどん近づいてくる。
そして――
「匠くん、あーそーぼー」
俺の傍らにいた北乃宮の前に来ると、ヘラヘラ笑いながらそんなことを言った。……って北乃宮の知り合いかよ。
髪が黒く、長い。
顔の左半分を覆うような長い前髪に、後ろ髪も相当長い。
吹き出す黒いオーラの奥にある肌は、生気を感じさせないほど青白い。正直、生きているのかどうか疑いたくなるくらいに。病気なんじゃないかと心配したくなる痩せすぎな細い身体もそれに拍車をかけている。
近くで見れば、とにかく不気味だった。
まるで幽霊のようなか細く現実味の薄い存在なのに、その身に収まらないほど強大な魔力が強くそれを否定する。
見れば見るほど人間離れして見えるが――
北乃宮を見る目は、特に邪心を感じない。
何か飢えた感じで妙な光が見えるものの、悪い感じには思えなかった。あくまでも第一印象だが。
「同意しかねますね。見ての通り取り込み中です」
しかしさすが北乃宮、こんな魔女を前にしてもドライな都会っ子スタイルだ。
「あら。私より大事なことがあるの?」
「たくさんありますけど」
当然だろ、といいたげな北乃宮。都会の男子すげーな……物怖じしなさすぎだろ……
「俺の中のあなたの優先順位は、煩悩の数より下ですね」
108番以下ってか。
「ふうん。そうなんだ」
魔女は特に顔色を変えず(というか元から悪いが)、やはりニヤニヤしながら北乃宮を見ている。
「私より、噂の『ちーちゃん』と仲良くしたいんだ?」
ちーちゃん?
「……誰です?」
北乃宮は心当たりがないのか、首を傾げる。
「最近クラブで仲良くなった子と、私の匠がイチャイチャしてるって聞いたんだけど」
「だからそれは誰です?」
誰のことを言っているのかわからない北乃宮と、同じくわからない俺と、たぶん必然的にそうなってしまうことに気づいた魔女は、そちらを見た。
この場にいる女子と言えば、二人しかいないわけで。
座り込んで瞑想しているポーズのまま視線だけこちらを向いている風間一と、笹峠に『魔除け』を教えている万代先輩の二人……あっ!
見た瞬間、それに気づいた。
万代先輩の名前は、万代千絵。
万代、千絵……ちーちゃんがいた!
本人的にも聞こえた瞬間に「え、それ私じゃない!?」と気づいたようで、かなり顔色が悪くなっているが……
「あなたがちーちゃん? 私の匠にちょっかい掛けてるの?」
魔女が首を傾げた時には、彼女はすでに万代先輩の眼前に『瞬間移動』していた。
まずい――
わずかな、ほんのわずかな魔力のゆらぎに、魔女の攻撃意思を見た。
「違う」
俺は万代先輩と魔女の間に割り込むように『シールド』を展開――するより一瞬早く、北乃宮の展開した『シールド』の方が早かった。
俺より反応が早い……というより、今のは魔女の行動を予期していたのだろうと思う。早いというより先読みだ。
「その人はあなたと俺が接触しているのを知っていた。わかっているでしょう? あなたの存在を知った上で、俺に近づく魔女は少ない」
……あ、そうか。
少しばかり疑問だったが、これでなんとなく解けた気がする。
そう、不思議だったのだ。
北乃宮の家系が魔女を受け入れない、というのは有名な話だ。本人もきっと何度も言っているはずだ、念を押すように。
しかし、肉食系魔女たちは、果たして北乃宮の意思を尊重するだろうか?
俺の知っている魔女たちは、「家がどうあれ本人たちの意思が一番大事だから特に問題ないよね?」と自己完結して、北乃宮攻略に乗り出してもおかしくない……と、思うのだが。
それこそ毒入りの肉でも食えればなんでもいい、と言い出しかねない飢えすぎた肉食獣ばかりな気がする。俺の知っているケダモノたちはそういう連中ばかりだ。
だが、これで謎は解けた。
この危険すぎる高レベル魔女が北乃宮にまとわりついていることを皆知っているから、魔女は誰も北乃宮にちょっかいを出さないのだ。
「じゃあ『ちーちゃん』って誰? 一応信頼のおける噂なんだけど」
北乃宮の言葉で、とりあえず「万代千絵=ちーちゃん」説は違うと納得したのか、魔女は再び北乃宮を見る。ニヤニヤ笑いながら。楽しんでいるのかなんなのか……不気味だ。
「たぶん彼だ」
と、北乃宮は――俺を指差した。
……え?
……あっ。
「俺か!」
貴椿。貴椿、千歳。
千歳でちーちゃんか!
「そんなの初めて呼ばれたんだけど!」
まさに衝撃だった。
そんなの小さい頃にも呼ばれたことない。「ちーくん」はあった気がするが、ちゃん付けはないぞ。
「知らないのか? どうでもいいからさっきまで忘れていたが、一部女子から君はちーちゃんと呼ばれているらしいぞ」
マジで!? 初めてだわそんな呼び方!
いや、だが、しかし。
もし「最近クラブで仲良くしているちーちゃん」が俺だと仮定するなら、納得はできる。
この二週間、北乃宮は俺の訓練につきっきりだった。それは周知の事実だ。どこにも否定する材料はない。北乃宮だって否定はしないだろう。
……それにしても、ちーちゃんって。
魔女のセンスと言うべきか、都会の女子のセンスと言うべきか……なんだかもうよくわからんな……




