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Witch World  作者: 南野海風
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74.貴椿千歳、土下座を見る





「――すまん」


 初めて見るそれは。

 真摯な眼差しのまま。

 まるで、ただの礼として捉える方が正しいと思えるほど淀みなく。

 どこにも心を乱した様子もなく。


 ただただ、綺麗な――





 それは初めて見る、完全な土下座(・・・・・・)だった。





「……いやおい! 頭上げろって!」


 あまりにも自然にやってのけたそれに呆然としてしまったが、間違いなく畳に額を付けさせるほどのことではない。


「つかまだ謝る理由もわからん! 俺は『弁当どうした』って聞いただけだろ!?」


 総合騎士道部でのなんだかんだも終わり、帰宅してしばらく。

 夕飯の買い物 (値引きシールに併せての買い出しは続けている)に、あたりまえの顔で同行した乱刃と部屋に帰ってきて、管理人も交えて夕食を取り。


 お互い食べ終わった頃に、聞いてみた。

 あの三動王に差し出された弁当箱はどういうことだ、と。


 するとこのざまである。


 テレビの声がなぜだか遠くなり、逆にしとしとと降り続く雨音が強く感じた――管理人さんが気を遣ってテレビのボリュームを絞ったからであるが、今の俺は見事な土下座中の乱刃しか目に入っていない。


 頭を下げたまま、乱刃は言葉をつむぐ。


「今は聞かないでくれ。これは私の問題で、私の戦いだ」

「た、戦い!?」


 何が起こってるんだ!?

 三動王とケンカでもしたのか!? その挙句に弁当巻き上げられたのか!?


 いや、それはない。おかしいだろ。

 三動王は人格者だ、カツアゲまがいに弁当奪い取るなんて横暴は絶対しないはずだ。


 何より、誰が相手だろうと、乱刃が大人しく相手の言い分を聞き入れるとも思えない。

 食い物関係なら特にだ。

 こいつの抵抗を受けて弁当巻き上げるなんてこと、たとえ超常の力を持つ魔女だって難しいだろう。


「……ただ一つ、確かに言えることは」


 すっと、乱刃は頭を上げた。

 やはりその顔は真剣そのもので、俺を見据える双眸には誠実さに輝いていた。


「千歳が心を込めて作った大切な弁当を、私は守りきれなかった。ただそのことだけはおまえに謝りたい」


 だから土下座で謝ったのかよ……そこまでするほどのことじゃないだろ。

 どんだけメシに本気だよ……


「いや、別にいいよ」


 粗末にされたんならムカつくけど、弁当箱の中身は米粒一つ残さないほど綺麗になくなっていた。


 今俺が抱える気持ちは、毎日のように弁当をたかられる、北乃宮の気持ちと似ていると思う。

 北乃宮が言うには、イタズラされて粗末にされて食べられなくなったとか、そういうのは許せない。でも本当にそれが食べたくて、食べたいのが理由で奪われるのであれば、それはあまり気にならない――と、言っていた。


 今や北乃宮の場合、「奪われる」ことを前提に、かなり量の入る弁当箱……いや重箱に持ってきているらしい。

 そりゃそうだよな、重箱にぎっしりなんて一人で食いきれる量じゃないしな。


 九王院の生徒は、親元を離れて来ている者がほとんどだ。

 その中には、食事に困るような乱刃並の……いや、乱刃ほど困窮はしていないが時々食うに困るほどの生活を送っている者も、いなくはないんだとか。


 だから北乃宮は、弁当を開放している。

 伊勢海老とかを。

 少しでも誰かの飢えを凌げるのならば、と。

 伊勢海老とかを。


 いや……やっぱり俺は、伊勢海老はどうかと思うが。


 いつかそんな理由を聞いて、納得半分、やはり理不尽というかなんというか、何とも言い難い気持ち半分。 

 完全に同意はできないが、北乃宮はもはや奪われる覚悟で持ってきている、という気持ちはわかった。


「……まあ、聞くなって言うならこれ以上は聞かないけど」


 この土下座には「理由は話せない。悪いがこれ以上聞かないでくれ」という意味も込められている気がする。


 きっと、何らかの理由で三動王に弁当を奪われたのだろう。

 気にするなと言われても気になるが、乱刃が「自分の戦い」とまで言ったのだ。そこまで思いつめているのであれば、無理に口を割らせるのは難しいだろう。


 これからもこういうことが続くようなら、委員長辺りに聞いてみればいい。

 逆に考えると、現段階で委員長や橘が何も言わないのであれば、乱刃が抱えている「戦い」はそこまで深刻なものではないと思うし。


「で、結局おまえ昼飯どうしたの?」

「三動王の握り飯と交換した」


 あ、一方的に取られたわけじゃないんだな。


「選り好みする気はないが、私はやはり千歳の弁当の方がいい」


 ……残り物とか詰めてるだけだし、俺の弁当はそんなに執着するほどうまいってわけでもないと思うんだけどな。

 北乃宮の弁当くらいすごいのだったらわかるけどよ。





 とりあえず、謎のままだが弁当の件はおいておくとして。

 今日はまだ話すべきことがある。


「俺、これからしばらくクラブに通おうと思ってるんだ。だから帰りは少し遅くなると思う」

「ぬ……夕飯が遅くなるということか」


 土下座の名残である正座のまま、乱刃は不満げに眉を寄せる。

 真っ先にそこを心配する辺り、非常に乱刃らしい。


「そこまで遅くはならないと思うけど、もしかしたらそうなるかもしれない。――管理人さん、そういうことになりますので」

「そう」


 管理人さんはいつものように、余計な口出しもせず、頷くだけだった。

 この人は、聞けば答えるが、基本的に俺たちの話に口を出すことは少ない。大人のスタンスって感じだ。グイグイ前に出ない感じがステキである。


「クラブは何に入る? 総合騎士道部か?」

「確かに総合騎士道部だが、入るわけじゃない。仮入部……というか、まだ見学って段階だ」


 聞けば、乱刃にも勧誘があったらしい。魔女じゃないから。


「修行で忙しいと断ったがな」


 予想通りに答えたみたいだが。


「そういや、乱刃は『魔除け』が使えないんだよな?」

「うむ。基礎も知らん」

「おまえの『点拳』ってのは、対魔女用の格闘技……ってわけでもないのか?」


 こいつの『点拳』は、魔法を物理的に(・・・・)どうにかできるという、信じられないようなことをやってのける。

 基本的に、魔法で作られた火だの水だのの物理的な作用のない力は、物理的な接触ではどうにもならないはずなんだが。


「違う。あくまでも対人戦を想定して編み出されたものだ。もっと言うなら『点の真理』を探すためのものだ」


 ふうん……


「前々から聞きたかったんだけど」

「なんだ」

「その『点拳』っての、俺にもできるか?」


 乱刃の感覚は、俺より鋭い。

 魔力を感じるのも、気配を探るのも、本当に野生動物並に鋭いんじゃないかと思わせるくらいに鋭い。


 ――実は、いまだに忘れられないのだ。

 転校初日に、学園長に殺されかけた、あの一件が。


 あれは本当に危なかった……油断していたつもりはなかっただけに、余計に危機感を植えつけられた。


 『魔除け』の技術を学びたいと思ったのも、やはり根底に「あの時の恐怖が忘れられないから」というのもあると思う。

 そして、技術も欲しいが、根本的な察知能力というものも磨きたい。


 それに格闘技にも……というか身のこなしが上がるなら、それにも興味があるし。

 乱刃の人間離れした能力、学べるものなら学びたい。


「無理だな。私はまだまだ未熟だ。誰かに拳を教えられるほど強くない」


 うーん……これまた予想通りの答えだな。


「千歳のその様子から察するに、どうしても必要なわけでもあるまい?」


 確かに。習えればラッキー程度で言ってみた。

 今は総合騎士道部で腕を磨くだけで、事足りる気がする。


「おまえには世話になっているからな、どうしてもと言うなら考えなくもない。が、生半可な気持ちでやったところで身につくとは思えん。ちゃんと心構えができてから言え」


 うわ……乱刃にしてはまともな言い分で却下しやがったな。


「ところで、そろそろデザートを食べないか? 私のよもぎ饅頭が私を待っているはずだが」


 ……うん、やっぱり乱刃は乱刃だな。










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