67.魔女の穏やかな日々 八
それは一本の電話から始まった。
「アオ! アーオ! ア……お?」
キッチンに立ち、鼻歌混じりに夕飯の田舎雑炊を作っている最中、鼻歌がテンションとともにヒートアップし始めた矢先だった。
自分でも不思議なくらいに高ぶったテンションが、諌めるような電子音にクールダウンした。
なぜマイ○ル張りのソウルでシャウトしていたのだろう?
いやまあ、鼻歌でノリ過ぎただけなんだけど。
テンション任せの奇行から一瞬で冷めた私は、手にあった包丁を置き、軽く手を洗って拭きながらテーブルの携帯に手を伸ばす。
相手は……お、花雅里さんだ。
「――はい、橘です」
つい十数秒前まで無駄にソウルフルだったことなど微塵も出さず、携帯電話を耳に充てがう。
「花雅里です。夜分にすみません」
夜分……というと、夜中のことだよな?
「言うほど遅くないよ」
まだ8時前だし。外は真っ暗だけど。
「何か取り込み中でしたか?」
「夕飯作ってた」
と言いながら、通話状態のままキッチンに戻る。
「自炊されているんですね」
「簡単な物しか作れないけどねー」
野菜はもう切ってあるので、あとは煮るだけだ。
まな板に並ぶ、いかにも料理初心者という感じのちょっと不揃いの食材を鍋に投入し、顆粒ダシの素をぱらりと振って蓋をした。これでよし。
「花雅里さん料理はするの?」
「いえ、生憎と」
「そうなんだ。まあ花雅里さんの家ならしなくていいだろうしね」
最後の作業を終えてキッチンから戻り、越してきた際に買ったクッションに腰を落ち着けた。
新しく買ったものはたくさんあるが、いつからか随分馴染んだように思う。
「できないよりはできた方がいいですからね。いずれ習います」
「そっか。花雅里さんは器用そうだからすぐ上達するだろうねー」
――詳しくはまだ聞いていないが、委員長こと花雅里さんの実家は、かなりのお金持ちなんだそうだ。
実家は九王院学園から遠く、今はこの近くの遠縁の親戚の家に居候している。
で、その居候先の親戚の家では、専属の料理人だの家政婦さんだのという、いわゆる使用人が常駐しているんだとか。
道理で、花雅里さんが持ってくる昼の弁当は、一見大人しく見せつつも種類豊富で手が込んでいるはずである。
そして花雅里さん自身も、私みたいな一般人とは雰囲気からして違うしね。
「花雅里さんって何が好きなの? 和食が好きってイメージ強いんだけど」
「そうですね。和食も好きですが――」
こうして女子のおしゃべりで夜は更けていく――
……というわけでもなく。
「橘さん、そろそろ本題に入りたいのですが」
「え? 本題?」
花雅里さんは話が途切れた隙を突くように切り出した。
「北乃宮くんの弁当ってすごすぎない?」という話を小一時間ほど続けていたのだが……って一時間くらい経ってるじゃん!
そんなに長々話していたとは、まったく気づかなかった。
確かに途中でコンロの火は消しに行ったが……もうすぐ9時じゃないか。
「あ、そうか。ごめん。用事があって掛けてきたんだよね?」
「ええ、まあ……まあ、私は口下手なので、橘さんの話し相手には退屈だったかもしれませんが」
「そんなことないけど?」
「そうですか?」
……逆に私が「しゃべりすぎだ」と言われかねないアレだった気がするが。
そして花雅里さんに呆れられてないといいが。
でもおしゃべりくらいしたい。
学校だとどうしても、花雅里さんはまとめ役だのなんだので忙しくしているので、「長い話」だの「特に深い意味はないだらだら話」はまずできない。「要点を簡潔に」ばかりだ。
そんな花雅里さんとは、こんな休日の夜の電話なら、誰にも邪魔されずゆっくり話せるのだ。
まだまだ知らないことだらけの、それも今まで馴染みの薄かった魔女の友達である。
もっと色々話したいし、色々知りたい。
……それは今は諦めるとして、だ。
「で、どうしたの? なんか用だった?」
「ええ、二つほど話したいことが。時系列順にいきますよ」
はあ、時系列順……なんだ?
「まず、昨日今日と、魔獣捕獲のバイトがあったことはご存知で?」
「あ、知ってる。猪狩切さんがはりきってたし」
――ちなみにその猪狩切さんは、私用で参加できなかったそうだが。
「実は、それに貴椿くんが関わったらしくて」
「は?」
意外な名前が出たものだ。
別にバイトに参加するくらいなら、さして珍しくもないし意外でもないが。
でも魔獣関係は、ほとんど魔女の領域だ。捕獲も駆除も。
「詳細はこれから調べますが、ざっと経緯を話すと――」
貴椿くんがなぜだか魔獣捕獲のバイトに参加し、これまたなぜだか魔獣捕獲数最多の魔女と婚約を前提にお付き合いする、といった賭けが行われたそうだ。
「……何その眉唾ものの話」
怒るより先に、呆れてしまった。
いくらなんでもそれはないだろう。良くてお茶行くとかデート一回くらいだろう。なんでたかがバイトくらいで人生賭ける必要があるんだ。
……でもまあ、もしかしたらもしかするかもしれないし、万が一って可能性もあるかもしれないし、そんな噂が立つってことはそれに近い何かがあった可能性は高いわけだし、何よりただのバイトに付随する賭けなら普通に参加くらいはしてもいいかなぁ……
「真偽はさておき、実際にそのような話があったそうです。なのでバイト参加者が急増して大変だったとか」
ふーん。
「噂になってたなら、話が入ってきてもよかった気がするけどね」
「私たち1年4組の生徒には伝わらないよう情報操作されていたそうです。知られれば邪魔することは明白ですからね。――実際、知っていたら確実に邪魔していますし」
情報操作かぁ……ということは、結構信憑性があったのかもなぁ。
「まあ貴椿くんのことだから、どうせ巻き込まれたんだろうけどね」
「同感です」
もうちょっと警戒心が強かったり、断固として断るタイプだったら、そんなわけわからんものに巻き込まれることもなくなるんだろうけどなぁ……
でも、そんな貴椿くんだからこそ、って気持ちもなくはないんだよなぁ……
まったく。悩ましいものである。
――その賭けの真偽がわからないのは、最多捕獲数を記録したのが、突如参戦してきた我らが九王院学園の学園長で。
その学園長が、堂々と貴椿くんを連れ去ったから、らしい。
なんともコメントに困る話である。
さすがに先生とか、地位ある人が堂々と生徒に手を出すとは思えないので、何もないとは思うが……
まあ、一言で言うなら、すっきりしない話だ。
知らないところでそんなことが起こっていた、というのもすっきりしないし。
……終わった話を蒸し返しても、仕方ないけど。
「ところで、もう一つの話なんですが」
たぶん花雅里さんも微妙な気持ちになったんだろう、妙な沈黙を挟んでからもう一つの要件を口にした。
「先程、その貴椿くんから連絡がありまして」
「え? 貴椿くんが? 花雅里さんに? 連絡を?」
「先に言いますが、個人的な用事ではないですよ。なので怒る前に話を聞いてください」
……むう。私の性格をわかってらっしゃる。
イラッとした気持ちが、出てくる前に潰されてしまった。……まあ望んでイライラしたいわけでもないけども。
「先のバイトの話の続きです。彼が関わったのは、乱刃さんのバイトに付き合うためだったらしいです」
お?
「乱刃さんの? というかついに乱刃さんがバイトを?」
乱刃さんの極貧生活 (一応疑惑どまり)は、クラスでも本人には内緒で話題になった。
知らないところで勝手に噂とかしていたから、無駄に堂々としている乱刃さん自身は「言いたいことがあるなら直接言え」なんて言いながらちょっと怒るかもしれないが、それでも話さずにはいられなかった。
その話はクラスの魔女だけではまとまらず、隣に住んでいる上に、イライラが止まらなくなるし動悸も激しくなるが、認めたくはないが、砂を吐く思いで黙認するしかないが、夕食を世話するほど生活に密接している貴椿くんにも相談してみたのだ。
――乱刃さんはどういう生活をしているんだ、と。
九王院学園は魔女育成に力を入れていて、ぶっちゃけお金がない家の出でも通えるし、寮も用意してもらえるという学校だ。
金銭の問題で落とされる魔女はいないのだ。
国の支援も受けてるって話だし、申請してそれが通れば衣食住は保証される。たかが家庭環境の問題で魔女の素質が潰されるのを防ぐためだ。
しかしながら、乱刃さんは魔女ではないので、その支援は受けられない。
「男の、それも貴椿くんの手料理の世話になっている」をなんとか飲み下せたのは、それを断ったら本当に乱刃さんの生活に……というか命に関わると思ったからだ。
お昼に、ビニール袋から青々とした草を取り出しては、死んだ目をしてめちゃくちゃまずそうなそれを口に押し込んでいる、あの姿を見た者は……いや思い出すのはやめよう。悲しくなる。
貴椿くん自身も、乱刃さんの生活と極貧状態には気づいていて、それを知っているからできるだけ食事は用意していたんだそうだ。
「貴椿くんは、とにかくバイトでもなんでも、乱刃さんには自分でお金を稼がせることを第一歩に考えたそうです」
あ、なるほど!
「だからバイトに付き合った、と」
「そしてその流れでトラブルに巻き込まれたわけですね」
……貴椿くん、隙多いからな。
やってることは結構立派だとも思うし……まあ甘いと言えば甘いんだろうけど、その甘さはそんなに嫌いじゃない。
一度でいいから私がその甘さに溺れてみたいけどね……! 乱刃さんが羨ましい!
「というわけで、バイト代が入ったので今乱刃さんはお金があります。そしてあとは任せると言われました」
任せる。
……ははあ。そういうことか。
「ようやく動けるってわけだね」
「その通りです」
乱刃さんの極貧状態は察していた。
そこまで極貧なら、と、個人的に支援してもいいと考えるクラスメイトは多かった。
貴椿くん関係ではモヤモヤしたりイライラしたりギリギリ歯を食いしばったりすることも多いが、乱刃さんは嫌われてはいない。とっつきにくいし時々リアルが充実したクズになり下がるのは確かだが、それはそれである程度はもう慣れた。食べ物を与えると面白い。
そして、そんな乱刃さんは、無償での施しは受け入れない人だ。
正直、現代日本人としては信じられないくらいの底辺生活を送っている気がするが、プライドだけは普通の人以上のものを持ち合わせている。
プライドで腹は膨れないけど、でも、プライドがあるからこそ人間らしいと言えなくもない。
とにかく。
今、彼女には資金がある。
つまり私たちの支援と提供に、お金という対価で答えられる。
この時を待っていたのだ。クラス一同で。
「服は恋ヶ崎さんと縫染さんだっけ?」
「ええ。小学校の時の服を出すそうです」
そう、とりあえず着る物である。
一年生はまだまだ真新しい制服や体操服なのに、乱刃さんのだけ妙にこなれているというか、いい感じに馴染んでいる。あれはきっと家でも着ているレベルだろう。
まず普段着が必要なのだ。
「じゃああとは生活必需品か。個人的にはシャンプーとリンスとコンディショナーを買って欲しい」
乱刃さん髪ごわごわだから。枝毛だらけだから。石鹸で直で洗っちゃダメだよ……
「私は下着を購入して欲しいですね。……この辺のことは、乱刃さんも交えて、クラスで話し合いましょうか」
「そうだね。明日話そう」
お金がある今なら、乱刃さんとそういう話をしてもいいだろう。
そんなこんなで、電話が終わったのは10時前だった。
もうこんな時間か。
妙に腹が減っていると思えば、夕飯まだだし……
そして翌日。
「――ん? この弁当がどうした?」
とあるリア充のゲス発言から、後に「第一次ベントー大戦」と名づけられる、それなりに大きな騒動に発展するのだが。
それはまた、別の話である。




