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Witch World  作者: 南野海風
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62.魔女の穏やかな日々 五  前編




「おまえらは本当に男が絡むと面倒臭いな」


 うんざりした顔に「またか」と書いてあった。


「今度は何が癪に障ったんだ。どれだ? 千歳のお手製プリンか? 特製マグロのづけ丼か? 私は肉の方がいいと言っているのだが千歳はどちらかと言うと魚の方が――」

「やめろっつってんだろ!」


 いよいよ我慢できず、私はバカ女の言葉を力の限り遮った。


「何が癪に障ったかって? ――全部だよ!! 新婚生活みたいな話の全部だよ!!」





 さっきまで比較的なごやかだった1年4組は、いつかのように再び剣呑な空気を漂わせていた。

 教室にいる全員が、乱刃さんに敵意を向けていた。


「なあ、もういいだろう。おまえらの考えているようなことは一つもないのだから」


 いや、これはもう仕方ないだろう。


「戦争しかけてるの乱刃さんじゃん」


 私もうんざりして言うと、バックに控えて乱刃さんを睨んでいるクラスメイトたちが「そうだ」だの「のろける女は殺されても文句言えないよね」だの「あほーーーー!」と叫んで教室を飛び出す者が現れるだの……もう大変な騒ぎである。


 無自覚にのろけるバカ女のせいで!


「乱刃さんはそういうキャラじゃないでしょ」

「なんの話だ」


 無自覚に男とのイチャラブ話で私らの無垢な心を抉るなって言ってんだ! ……こんなことを言ったら「二十歳まで恋愛しない」と宣言している乱刃さんに負けてることを認めることになるから言えないけど! 


「今度はなんだ。何が不愉快だ」


  ドン!


 あれ?

 ついさっき後ろのドアから教室を出て行った、クラスで一番小さい猪狩切いかりきりさんが前のドアから戻ってきたかと思えば、乱刃さんの前に走り込んできて、ドンと机を叩いた。


「男がからむはなしはどうでもいい! あたしは男と絡みたいんだ! 男と絡みたいんだーーー!」

「やめろ!」


 半泣きで狂乱する猪狩切さんを、手近にいた兎さんに抱きとめられた。


「もう、やめろ……!」


 絞り出すような声で、しかし、兎さんはついに認めてしまった。


「……乱刃さんは私たちの数段先を行ってしまっている……もう『絡みたい』なんてレベルじゃなく、完全に『絡んで』しまっている……私生活でがっつりナポリタンと粉チーズのように『絡んで』しまっている……!」


 それは一つの敗北宣言、それも完全敗北宣言――兎さんのそれを、脳ではなく心が理解したのだろう猪狩切さんは、ついにわっと泣き崩れた。


「……おい、大丈夫か?」

「黙れ!」


 哀れなる者たちに手を差し伸べる、勝者の余裕を持つ乱刃さん。

 それを拒む兎さん。

 未だ同志を抱きしめる兎さんの声は鋭かった。


 これならけなされた方がいくらかましだからだろう。

 同情されると余計にみじめになる、それほどまでに圧倒的勝者と敗者の差を感じているからだろう……!


「もうたくさんだよ! もう……もう、やめてくれよぉ……!」


 つーっと両目からこぼれる雫が床にはじける。

 果たして諦念を込めた敗北の証か、収まりきれない屈辱の欠片か。


「油断してるところを斬りつけるのは反則だろ……私生活で男と絡んでないこっちには、そういう話を聞く時は心の準備が必要なんだ……」

「…………」

「構えさせろよぉ……もう負けてるのはわかったから、せめて心構えさせろよぉ……頼むよぉ……」


 弱き者同士が支え合う美しくも脆い姿を見て、乱刃さんは、この人の心を解しないクズ女は「わからん」とクズ同然にクズらしく呟き、クズのくせに不機嫌そうに眉を寄せた。


「橘、説明してくれ。私はどうすればいいのだ」


 それを聞くか。

 それを、私に、聞くのか。


「いつから名前で呼び合う関係になったの!?」


 貴椿くん。

 そう、貴椿くんは……まだ誰にも名前で呼ばれていない無垢な存在だったのだ。


「この前までそうじゃなかったでしょ! なんなの!? 事件のせいで二人の仲が急接近しちゃったの!?」


 ――先日、乱刃さんと貴椿くんが、蒼桜花学園の生徒に絡まれるという事件があった。

 乱刃さんが「私のせいだった。すまない。あとは自分でどうにかする」と頭まで下げたので、それ以降私たちは触れないことにしていた。


 だが、事件をきっかけに乱刃さんと貴椿くんの仲が進んでしまったというのなら、触れないわけにはいかない。


 名前で呼ぶ。

 名前で呼び合う。


 ああ、なんだろう。

 この有象無象の者たちを無視し、また牽制もするような、誰も入り込めないし邪魔もできない一歩進んだ対人関係を思わせる親しげな空気……

 まるで「私たちは特別な関係です」と公言して憚らないようなさりげなくも残酷な現実の無情……


 ……もう、兎さんじゃないけど、ほんとにやめてくれ。

 

 このままだと殺意がっ、殺意が抑えきれない……っ!


「名前? それは私が千歳の苗字を覚えられなかったからだが」

「何それ! なんで覚えられないのよ!」

「……なんでと言われても。それは謝るしかない。どうにも馴染まないのだ。もう100回くらいは自己紹介されたが、どうしても無理だった。覚えられなかった」


 …………

 その現場は、クラスメイトじゃなくても、見ている者は多い。


 貴椿くんは事あるごとに乱刃さんに自分の名前を言い聞かせていたし、乱刃さんはそのたびに間違えていた。

 正直、あれだけ根気強く名前を言い聞かせた貴椿くんからは「絶対に諦めない」という気迫のようなものを感じたし、乱刃さんは決して悪ふざけをしているようには見えなかった。

 そんなこんなで本気なのか冗談なのかわからないくらい、同じやりとりを繰り返していた。


 ……まあ100回も繰り返すのはどうかとは思うが。それでも覚えられなかった乱刃さんもどうかと思うし。


「千歳を名前で呼びたいのか? 呼べばいいではないか」


 か、軽く言いやがった……ゲスめぇ……!


「それができれば苦労しないのよ!」


 ハードル高いの! 男子を名前で呼ぶのは!

 だいたい、思い切って呼んで微妙な顔されて「なんで名前で呼ぶの?」なんて聞かれたら……

 いいや、それどころか「誤解されると嫌だからやめてくれない?」なんて言われたら、もう、もう……!


 それもう完全に脈なしってことじゃないか!


 ……脈なしってことじゃないか……!









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