57.貴椿千歳、絶対に負ける戦いになったことを知る
「まあ違うとは思ってたけど」
ちゃんと「誤解ですよ」と説明すると、亜希原先輩は興奮状態から冷めた。
「魔獣を多く捕まえたからって、どうして結婚に繋がるのか疑問だったのよね」
その割には意気込んで確認してきたと思いますけどね。あと結婚は、俺は全然知らなかったぞ。
「なんだおまえは」
ん?
乱刃が妙なことを口走ったので見ると、巨大な黒いトカゲが赤い舌をチラチラ出しながら、のそのそ乱刃に迫っていた。
亜希原先輩の使い魔で、確か名前は……メヴィアンだったっけ? 外国の水っぽい名前だったはず。
「おい。待て。ま……待て! 待てって! 待っ――いてっ」
あ、押し倒された。
「あれはどういうことですか?」
「気に入ったみたい。よかったわね、乱刃さん。この世で一番美しい使い魔に好かれて」
相変わらず使い魔至上主義な人だ。乱刃は「良いわけあるか!」と叫んでいるが、体重差のせいでどうにもならないようだ。何せ乱刃よりでかいからな。
つーか……おまえは立派だよ、乱刃。
敵意のない生物に拳を振るわないおまえは、とても立派だ。そこまでされたら俺でさえ抵抗しそうなものなのに。
「ひ、ひい……!」
今まさに人間がトカゲに食われようとしているかのようなパニック映画の猟奇的シーンに見えなくもないせいか、虫に続いてトカゲ……というか爬虫類もダメなのだろう織春が、唇を震わせながら絞り出すような悲鳴を上げた。
だがしかし、よく見て欲しい。
無表情な爬虫類ではあるが、あのつぶらな赤い瞳に邪気はない。むしろちょっとかわいいくらいだ。溺愛する気持ちまではわからないが、かわいがる気持ちはわからなくもない。
「早くどけろ! 重い!」
「失礼ね! 私のメヴィアンはそんなに重くないわよ!」
「何を言う! 70キロはあるだろう!」
俺より重いのかよ……まあこれだけでかけりゃあるだろうな。
「生暖かいのだ! 飼い主ならどうにかしろ!」
「え? ……生暖かいの?」
なぜだか織春が「生暖かい」に敏感に反応し興味を持ったようだが、それどころじゃない。俺からも亜希原先輩に頼んでトカゲを回収してもらった。奴には今日まだまだ働いてもらいわねばならない。
「――メヴィアン」
亜希原先輩がやれやれという顔で使い魔を呼ぶと、トカゲは乱刃の上から移動し、するすると亜希原先輩の細い身体に巻き付き――肩の辺りで小さくなると、左腕を伝って降りていく。
そして初めて見た時と同じように、細く白い左手を飾る、コントラストが美しい黒いリングになった。
「そのトカゲとは付き合い長いんですか?」
「うん? うん、小学校低学年からの付き合いだからね。この年代からすれば長い方かもね」
なるほど、ならば納得の違和感のなさだ。
巨大化も縮小化も、主と使い魔の魂の結びつきや絆が強ければ強いほど、魔力の伝達がスムーズになる。
その結果、素早く高度なことができるようになる。
意思を正確に伝えたり、このように魔力を吹き込まれて大きなったり小さくなったり。しゃべったりするのもそうだ。
それこそ主の素質に応じて、より高度なこともできるようになるのだ。
これくらいの間柄なら、もしかしたらメヴィアンもしゃべれたりするかもしれない。
立ち上がった乱刃が正当な文句を言うのを華麗に無視し、亜希原先輩は「それより」と腕を組んだ。
「どうなってるの? 私は貴椿くんと結婚を前提に私色に染めるつもりで、さっき登録して捕獲し始めたばかりなんだけど」
亜希原先輩は、ついさっき友達から話を聞いて即この魔獣捕獲のバイトに飛びついたらしい。
「そんなわけあるか。でもわずかでも可能性があるなら……」と半信半疑で。
そして、亜希原先輩だけではなく、そんな魔女たちが「そんなわけないよーでも一応やっとくか」と同じように考えて、結構な人数が飛び入り参加しているんだとか。
案外、俺たち1年4組の女子も参加しているかもな。
「色々ありまして、間違った噂が広まったというだけの話です」
詳しく話す必要もないだろう。
だって本当に本質はそれだけの話なんだから。
それにしても、俺も滑稽なくらい必死だが、魔女も魔女で必死である。
そうだよなぁ……九王院学園どころか、九王町全体でも同年代の男子なんて本当に少ないもんなぁ……出会いに必死になる気持ちもわからなくはない、気もするが……
でもそれで犠牲になるのが俺だと言うなら、全力で阻止するべきだろう! ああ気持ちはわかるけど全力で阻止してみせるさ!
「そうなんだ。じゃあお茶でも行かない?」
……ああ、そうだった。
この人も必死な魔女の一人だったな。
「じゃあ」の意味もわからない脈絡の存在しないすごいタイミングで、だが違和感を感じさせない自然体でお茶に誘いやがった。
「私はケーキが食べたい」
そしてさっきまで文句言っていた乱刃が乗った。
……こいつは本当にいつまでも状況が読めない奴だ。そんな時間がどこにあるってんだ。そんな時間があるなら一匹でも多く魔獣を捕獲してほしい。
じゃないと俺が魔女に捕獲されるんだぞ!
「私は久しぶりにワッフル食べたいなぁ。ハチミツかけて」
おまえが言うなよ織春! おまえが言うのは許さんぞ織春! 俺の身を裏賞品にまでのし上げた元凶であるおまえが話に乗るのは絶対に許可しないからな!
「いや、あのですね亜希原先輩、実は――」
今俺はまさに負けられない戦いの真っ只中に……と説明しようとした矢先、それを遮るように亜希原先輩の携帯が鳴った。
「あ、ごめん。紅茶かコーヒーか決めといて」
さりげにお茶しに行くことを強引に決定させてから、俺の了承もないまま決定させてから、先輩は電話に出た。
……こ、これが恋愛テクってやつなのか……なんて恐ろしい……!
こういうのは同じクラスの恋ヶ崎が上手いって聞いていたが、特に問題視はしていなかった。
「ふーんそうなんだ」程度にしか認識していなかったが……
今俺が目の当たりにしたのは、問題視するに足るものである。
こうやって強引に、断るタイミングを逃しつつ、己のいいように話を進めていく技術……こいつは危険だな。危険すぎる。
こういうもやもやする小さい一歩を積み重ねられて、徐々に逃げ場がなくなっていく未来が見えるようだ。
「ケーキがいい。いちごのショートケーキがいい」
「えー? ワッフルでいいじゃない」
「そんなわけのわからないものはいらない。ケーキより優先されることなどこの世にあるわけがない」
「何その偏った主張……」
どっちも却下だ! バイト中なのに! そして俺の今夜の予定がかかってるのに! なんでお茶しに行く流れになってるんだよ! 特に織春! 誰のせいで神経すり減らして駆けずり回っていると思ってやがる!
――もう亜希原先輩を置いて森林公園へ移動しようかと考え始めた時だった。
「え、本当に!?」
その亜希原先輩が、誰しもの注意を引く本気に聞こえるような声で、電話の向こうに真偽を問いただした。
「……そう。わかった」
どうにも複雑な表情で電話を切った。
「貴椿くん」
そして、複雑そうな顔のまま、俺を見た。
「本当に喫茶店でお茶しない?」
「……なんでですか?」
よっぽど「行かないですさようなら」と反射的に返したかったのだが、含むところがあるとしか思えない表情を見てしまっては、聞き返さずにはいられなかった。
「絶対に勝てない人が参戦したから」
……?
「どういう意味ですか?」
「魔獣捕獲のバイトに、うちの学園長が参加したってさ。今森林公園で無双中だって」
……え?
が、学園長って……転校初日に俺を殺しかけた、あの人?
高位魔女の、あの人?
う、嘘だろ……勝てるわけないだろ……




