52.貴椿千歳、負けられない戦いがそこにあることを知る 後編
事実確認が取れない噂には、尾ひれがつくものである。
俺は確かに超イケメンじゃないけど、筋違いな期待が余計な脚色となって俺をおさわりのおかわり自由な超イケメンに仕立てたんだろうね! 超イケメンでも半裸でもなくてすいませんけどね!
これ、どう考えても、乱刃と織春のあの勝負のことだろ。
どこかから漏れた乱刃と織春の勝負事が、噂となって広まり、その広まる間に話が膨らんだ結果だろ。
「会場に男はおまえしかいないから、おまえが半裸の裏賞品ではないかと注目が集まっているようだ」
裏賞品ってなんだよ!
半裸こだわりにも物申したいけど、それより何より裏賞品って響きがすでに嫌すぎる!
あとさりげなく「千歳は超がつかないイケメンでもないのになぜだろうな」と傷口に塩を塗りこむ行為をさらりとやってのけた乱刃の晩飯のメニューの見直しは必ずしようと思う。
「どうすんだこれ。どうにかなるのか?」
クラスメイトでさえ一度に詰め掛けられればどうにもならないのに、ここにはクラスメイトの数を超える40人くらいの魔女がいる。
正直もうどうにもならないだろう。
誰も奴らのケダモノのような欲望を止められないだろう。
唯一逃げ道があるとするなら、「確定情報じゃない」という点だろうか。
男心をえぐるひどい尾ひれがついた理由は、「確定情報じゃない。公式情報でもない。ただの噂だ」という理由からだ。
このままあるのかないのかグレーなままで終わって、当然のように「そんなわけない」という顔で終了して帰ればいい。
みんなまだ半信半疑どころか、そんなことはありえないけどそうだったらいいのに、って感じの希望を抱いている程度のものだろう。
だから誰も俺に確かめようとしないのだ。
そんなわけないとわかっているから。
何も確定させないまま、このままでいればいいのだ。
余計なことさえせず、余計なことも言わずにおけば、なんとか逃げられるだろう。……逃げられないと本気で困るし。
しかし、俺の隣には空気を読めない女がいる。
「なんかの間違いで誤解されているようだが、安心しろ」
乱刃は気軽に、逃げ切る方針を固めていた俺の肩を叩いた。
「どうせ私が勝つ。だから私とクレープデートをすればいいのだ」
ざわ――
乱刃が何気なく放ってしまった空気の読めない発言が、この場の空気を一変させた。
「勝つ」と「デート」の二つの言葉が、噂の裏付けであることを物語る。
どうやらあの噂は本当らしい、と信憑性が増す。
そして信憑性の増した噂は、まるでバイオハザード的なゾンビウイルスのように、一瞬にして会場の全魔女に広まった。
――あれイケメン? 微妙じゃない?
――うん……微妙……
――私イケる。普通にイケる。
――この際、若い半裸の男ならなんでもいいじゃない。
――そうよ。白ブリーフの高校生なら余裕よ。
――あ、あの都市伝説の白ブリ男子……ごくり……
聞こえない。
何も聞こえない。
――バイトでお金を稼いで、そのお金を持って男子高校生と遊ぶ、か……今夜はイケそうな気がするっ。
――半裸とはいえしょせん高校生の男子だからね。酔わせちまえばこっちのもんだ。
――ついに私の勝負下着を脱がせる男が現れるのか……
――今夜は行こう、レ○ドブル5本一気という新境地に……
――じゃあ私はモンス○ーで……死ぬなよ?
――ああ、おまえもな……
何も聞こえない!
何も聞こえないんだから!
魔女たちの舐めるような視線に身を晒し、耳を覆いたくなるような危険な会話の断片を聞きながら、俺は今確かに命を、寿命を、そして精神をすり減らしているという実感を得ていた。
乱刃を社会の入口に送り出す。
ただそれだけの望みが、こんなにも困難にして遠いものだとは思わなかった。
……というか、この状況で軽々しくデートがどうとか言うなよ! 俺これもう絶対アレだぞ! 絶対逃げられないぞ! 逃げても追いかけられて捕まるぞ! そして決して戻れない世界に連れて行かれるぞ! もう口に出すのも躊躇われるようなめくるめく魔女の世界に連れて行かれるぞ!
元はと言えば、一切俺の意思も事情も考慮せず、勝手に勝負なんておっ始めやがった乱刃と織春の……
というか――
「おまえのせいだ!」
「えっ……あ……うん……」
さっきから、その辺の魔女連中にまぎれてチラッチラッと顔を覗かせる、事の元凶・織春要をピンポイントで指摘する。
元凶はこの織春と乱刃だが、具体的に俺を巻き込んだのはこいつだ。乱刃はあくまでも同意しただけ――どちらも罪はあるが、こいつの方が確実に罪は重い。
というか知らない男を巻き込むとかどういうことだ。
いくら敵対している乱刃の隣にいるからって、無関係な奴を巻き込むなっつーの。
まあ、どうやら織春自身、この邪悪なささやき声の原因が自分だという自覚はあるようだが。
予想外にもこんな騒ぎになってしまったので、俺の様子を伺っていたのだろう。
「あの……このたびはとんだご迷惑を……」
低姿勢ですごすごと目の前に現れた奴に、彼奴めに、「本当にな!」と返してやった。本当にご迷惑をおかけしてくれてるからな! よく顔出せたなこの野郎!
「負けないからな」
待て乱刃! いいかげん空気を読んでくれ! もう個人的な個人同士の勝負で留まる問題じゃなくなってる!
この状況、確実にヤバイ。ヤバすぎる。
もうしっかり顔も見られているし、九王院の魔女も来ているだろうから俺のことを知っている奴がいてもおかしくない。
顔はバレてるし、身元もバレてる。
つまり、俺はもう逃げられない。
この状況で「俺は賞品じゃありません」と主張したところで、彼女らの欲望に押されて真実が捻じ曲げられる気がする。
彼女らの無理は、確実に俺の道理を駆逐することだろう。
というか、なんの決着も落としどころもなく半端に逃げたら、それこそ問題と騒ぎが大きくなって俺を追いかけてくるだろう。
そうなるとクラスメイトたちも黙っていないはず。
自惚れるつもりはない、彼女たちはフラグを折るのが好きだから。
そしてここぞとばかりに、売った恩を盾に迫って……ああこれ以上は考えたくない!
こうなってしまえば、もはや打開策は一つしかない。
「勝負はおあずけだ。ここは共闘するしかない」
この元凶二人が勝てば、勝者になれば、全ては白紙に戻せる。
「共闘? おまえは何を言っている?」
俺は、空気を読めないのか、読む気さえないのか判断できない問題児の細い肩に手を置いた。
「乱刃」
ギリギリと力を込める。
それはもう、力の限り。
俺の強い意思と、冗談でもなんでもないという本気を伝えるために。
「――今ごねたら俺はおまえを一生恨むぞ。……共闘するよな?」
乱刃は返事もなく、動揺した顔でガクガクと首を縦に振るだけだった。
どうしてこうなった。
いや、どうしてこうなったか、なんて問題はもういい。
とにかく今は、この負けられない勝負に勝つしか、俺の生きる道はない。




