50.貴椿千歳、過保護になる
「ちょっと精算してくるから待ってなさいよ」と女子……織春は、会場へと消えていった。
まったく俺の意思が介入しない勝負とやらのために、これまでに集めてきた魔獣を受付に預けに行ったのだろう。
「おい、乱刃」
俺は一切許可してないし、納得もしてないし、こいつらの勝手な勝負に身体を張って付き合うつもりもない。
「わかっている」
乱刃は言わずとも、俺の言いたいことを察した。
「かならず私が勝つ。私とともにバナナクレープを食べよう、千歳」
わかってた。
察してないだろうな、ってわかってた。
あんまり言うと、せっかくの乱刃のやる気に水を差すことになりかねない。
おごるつもりはさらさらないし、そもそもそのクレープ代を含む生活費と小遣いを今から稼ぐのではないか。金さえあれば乱刃も「おごれ」とは言わないだろうし、「自分の金で買え」と俺も言えるし。
とりあえず勝負の件は、今は置いておこう。
事実として俺は何も承諾していないのだ。その時になってごねて逃げてもいいはずだ。
それより。
「あの織春って、どんな知り合いなんだ?」
とてもじゃないが、友好的には見えなかった。
「私に喧嘩を売ってきた魔女の一人だ。得意な魔法は『変化』。橘より素質が高いようだな」
「銃がどうこう言ってたけど」
「うむ。奴は杖を色々なものに『変化』させる。銃もその内の一つだろう」
――銃と言えば、転入初日に巻き込まれかけたあの一件を思い出す。校舎の前で流れ弾が当たりそうになった例の一件だ。
あれはやはり、乱刃とさっきの織春のケンカ……だったんだろうな。
「おまえも因縁のある相手が多いな」
織春もそうだし、二年生の錬金術師の卵・亜希原タルト先輩も、元は乱刃のケンカ相手だった。
最たるものを上げるなら、トカゲ襲撃事件の黒幕とも言える北霧麒麟とか。点拳の兄弟子とかいう話だ。
この分じゃ、まだまだ「乱刃戒にお礼をしたい魔女」が続出しそうだ。
「なぜだろうな。私は清廉潔白に生きているのにな」
…………ああ、まあ……つっこみたいけど、あながち間違いとも言えなくはないか。こいつは貧乏が罪なだけで、口下手だが悪いことはしてないしな。
「――待たせたわね」
精算を済ませてきた織春が戻ってきた。
若干前髪が濡れているのは、髪型をチェックしてきたからだろうか。
そしてなぜか俺を見ながら「待たせた」と言ったような気がするが……え? もしかして、二人で勝手に言い出したデートの件、ものすごく楽しみにしてるって期待の表れだったりするのか?
「数で勝負だからね」
「うむ」
まあ、がんばって。
「勝った方がデートだからね」
「うむ」
俺は知らないぞ。
「勝った方が……そ、そこの男を好きにしていいのよ!」
「うむ」
おい。好きにしていい、ってなんだ。俺の負担が大きくなってるよな? 乱刃もなんの疑問もなく頷くな。
「……じゃあ、行くわよ!」
「うむ」
――というわけで、二人の勝手な勝負が始まった。
違う方向に走り去った乱刃と織春は、あっという間に見えなくなった。
競争というのは、悪くないと思う。やる気に繋がるからな。
気がはやって雑な仕事になることもあるが……まあ、今回は大丈夫だろう。
「さてと」
これでようやく、ちゃんと乱刃を社会の入口まで送り出せたわけだ。
あとは結果を待つばかり。
予定通り、俺は駅前の繁華街に行って、色々見て回るかな。
……そうだ。
乱刃の社会復帰のお祝いに、ケーキの一つでも買ってやるか。あくまでもお祝いとして。
やっぱり褒められるべき行為は褒められると嬉しいものだからな。
そうと決まれば、スイーツ関係に強い恋ヶ崎に連絡してみよう。この際ちょっと値の張る有名店でもいい。なんなら小さめのをワンホールでも構わない。
だって、お祝いだからな!
最近は、よく実感する。
あの時のあの言葉が、さらりと出されたはずの何気ない言葉なのに。
まるで呪いのように付きまとっている。
――この世は皮肉でできている。
嫁探しに来たはずの俺が女子に苦手意識を抱き、当時……いや今も割と問題児である乱刃戒と転校早々に関わり、関わっただけならまだしも寮の隣の部屋でなぜだか俺が面倒を見ることになったり、餌付けに成功したり。
新生活が落ち着く前に、いろんなことがあった。
島での穏やかな生活が懐かしい。
そういう生活が当たり前だった、島にいたあの頃。時々退屈もしたけど、失ってみてから強く強く実感する。
そう、俺は穏やかな生活が好きだったんだ。
……今現在、皮肉にも、穏やかとは程遠い心労絶えない毎日を過ごしているけどな!
なんでこうなったんだろう。
いや、「なんで」も何もないのか。
元々そういうところだった「魔女の世界」に、俺が飛び込んだだけで。
皮肉なものだ。
普通であれば褒めているし、乱刃にとっては自身も掴んだことのないビッグマネーを握り締めることになっていたはずなのに。
不安はなかった。
乱刃なら、逃げ回る魔獣を捕まえることくらい、楽にこなすと知っていたから。
実際こいつは、それを証明もしてみせた。
ただ。
ただ――皮肉なものだ。
まるで嫌味のように、落とし穴は俺たちが避けた先々に無数にあって。
現実に空いているなら余裕でかわせるものなのに、運命の落とし穴には皮肉にも綺麗に、そして華麗に落ちてしまうのだ。
「……残念だったわね」
虫かごの中身を計算した彩京さんが、本当に気の毒そうな顔をしていた。
敵であるところの織春要も、憎まれ口を叩くどころか、本当に気の毒そうな顔をしていた。
捕獲数47匹。
朝一から初めたベテラン魔女と同じくらいの数である。もちろん織春の勝負にも勝っている。倍ゲームくらいで。
その上、乱刃は優先的に「二本足」を狙って捕獲していた。その点だけ取っても、乱獲とは意味も報酬の桁も違う。
――知ってたはずなのに。
それなのに……やってしまったのだ。
「す、少しくらい、なんとかならないのか?」
「ごめんなさい。規則だから」
要するに、時間に間に合わなかったのだ。
規定では6時に終了で、7時までに会場に戻っていなければならなかった。それは乱刃もちゃんと説明を受けて知っていた。
もう7時半を過ぎている。
乱刃は、道に迷って、時間内に会場に帰って来れなかった。
なんという皮肉だ。
乱刃はまったくなかった労働意欲丸出しで張り切って仕事をしたのに。
なのに、参加料だけ取られて報酬なしという、この結果である。
右手に皮肉のように下げている有名店のケーキが、妙に重く感じる。
――もっとも皮肉なのは、俺は奴が方向音痴であることを知っていた、ということだ。
一緒に行くべきだった。
こういう顛末もあることを、考えるべきだった。
「自主的な行動を促すため」とかなんとか考えずに、どこまでも過保護に、そしてどこまでも乱刃戒を心配し、鬱陶しく思われようと同行するべきだった。
かつてテレビで見た、「はじめてのおつかい」のように……!
「乱刃」
なんとかしてくれと運営サイドの彩京さんに泣きつく乱刃に、俺は静かに声を掛けた。
きっとこいつもわかっているのだろう。
参加料と機材のレンタルで、自分の一ヶ月分の食費が飛んでいることに。
「門限も近いし、もう帰ろう。ケーキも買ってきたぞ」
「えっ」
振り返る顔は、驚きのみだった。
怒られるんじゃないか、という不安がものすごくあったのだろう。ああそうだな。通常だったら説教してるよ。俺は。おまえに。それはもう考えつく限りの言葉を駆使して。
だが、いいのだ。
「明日がある。だからケーキ食って明日がんばろう」
明日がある。
そう、明日もある。
明日こそ、俺も乱刃に同行する。
とことん一緒にいる。
もう幼稚園児扱いしてやる。
絶対にその手にビッグマネーを掴ませてやるからな。
――俺の身を削った参加料も取り返さないといけないしな!




