46.貴椿千歳、説得を試みる
ばりぼり。ばりぼり。
ざく切りにしたキャベツが小気味良い音を立てる。
新鮮な野菜の甘味と、豚肉とタレの旨味が渾然一体となった一皿は、山盛りあったはずなのにもうなくなろうとしていた。
ただの肉の入った野菜炒めだが、ただの野菜炒め以上である必要もない。
雪を思わせるような純白の米。
素朴ながらもダシの利いた鶏がらスープ。
そして、ただの野菜炒め。
本日の昼食のラインナップは、中華寄りである。純然たる中華と呼ぶには、家庭の料理色が強いだろう。
だがなんでもない日に食べる普通の食事だ。俺はこれで申し分ない。
……まあ、個人的な好みを述べるのであれば、野菜炒めには少し鷹の爪と豆板醤的なものを入れたかったが。
ばりぼり。ばりぼり。
食事中はあまり話さない。
管理人さんがいればまたちょっと雰囲気が違うが、俺とこいつだけの食卓には、あまり会話はない。……まあ普段からそんなに話している方でもないような気はするが。
「ピーマンも食えよ」
「うむ。この味は嫌いではない」
辛いのも、苦いのも苦手だという小学生のような舌を持つこいつだが、今日の味付けならピーマンも平気で食べられるようだ。――工夫次第でピーマンは克服できる、と。
さて。
今日はこいつに言わなければいけないことがある。
ずっとずっと考えていたことだ。
このままではいけない、どうにかしないといけない、と。
「――なあ乱刃」
乱刃は野菜炒めを茶碗に盛り、掻っ込むように白米を食らうのに夢中だ。非常にワイルドな食いっぷりである。島のおっさんたちのような食いっぷりである。
元はそんなに食ってなかったはずだが、最近はよく食べるんだよなぁ。
まあ、いいことだと思うが。
乱刃は小さいから。ちゃんと食って大きく育てばいい。
「おまえ、そろそろ働かないか?」
俺の部屋に、重くて大きな切り株テーブルが馴染んできたのと同じように。
昨今、隣の部屋のクラスメイト・乱刃戒がテーブルにいることも、あたりまえのようになってきている。
先日のトカゲ襲撃事件から、一週間が過ぎていた。
先週末から天気が崩れ、それまでの快晴続きが嘘のように、今週は曇りの日が多かった。今日も曇りだ。降らないとは思うがどうだろう。
本日土曜日は学校が休みで、予定のないまま午前が終わった。
テレビを点けてだらだら宿題をやっていた俺の部屋に乱刃がやってきて、それから手早く昼食を用意し、今食べている最中だ。
――先週はずっと、クラスメイトの魔女たちに付き合っていた。
北乃宮のクラブ見学に行き、歓迎会へ顔を出し、向こうが決めたローテーションで数名ずつとクレープを食べ、
ずっと欲しかった炊飯器をついに購入した。ご飯のある家っていいよね!
そして、周囲に諸々の悩み事を相談し、二つばかり解決したことがある。
まず、食事のたびに呼んでいた管理人さん。
管理人さんは、乱刃と飯を食う時は、夜だけ継続して呼ぶことになった。
ただし管理人さんにも食生活のリズムや好みというものがあるので、相談の上で、ここではコーヒーや緑茶などの飲み物だけということに落ち着いた。
続けて付き合わせて悪いが……せめておいしいお茶を用意しようと思う。
もう一つは、この乱刃のことだ。
委員長としてよく面倒を見ている花雅里や、乱刃と仲が良い橘に相談したところによると、彼女たちも俺と同じような悩みを持っていた。
それは――
「おまえさ、その……下着とか一着ずつしか持ってないだろ」
体育などで見かけるたびに、ボロっちい上にいつも同じ下着でいるらしい。
もちろん洗ってはいるのだろう。こいつの部屋着は基本的に学校の体操服だし、そっちが汗で汚れたら制服着てるし。
綺麗好きかどうかは知らないが、特別不潔なわけでもなさそうだ。橘が「石鹸の匂いするよ」と言っていたし。……髪から。シャンプーで洗わないと髪痛むぞ。ごわごわになるぞ。
「貧乏」とか「家庭の事情」とかに関わるデリケートな問題である。だから下手に話題に出すこともできず、クラスメイトたちも困っているそうだ。
もし困っているなら支援したい気持ちもあるそうだ。お古で良ければ服もやるし、日用雑貨もいくらでもくれてやる、と。
二週間くらい前は「魔女の敵の乱刃戒」と呼ばれていた乱刃は、浮いていた頃が嘘のようにクラスに馴染もうとしていた。 むしろわりと好かれているのかもしれない。よくお菓子を差し出されて貰おうか否か葛藤しているし。
しかし、乱刃はなかなか頑固である。そしてそこそこプライドも高い。
人から施しを受けるのを、素直に認めるわけがない。
実際「おごろうか?」と聞いても首を縦に振らないし、お菓子だってすごく欲しそうな反応はするけど、なかなか食べないそうだ。
――とまあ、だいたい俺と同じ理由で、委員長と橘を筆頭にクラスの魔女たちも悩んでいたのだ。
「下着など一着あれば充分だろう」
……その辺は男と女で違うかもしれないので、俺はなんとも言えないが。でもオシャレでもなんでもない俺でも、さすがにパンツ一丁じゃ足りない。下着の代えなら五枚くらいは欲しい。
「それに、仕事はしないと言ったはずだぞ。私には修行がある。働く時間はない」
野菜炒めをもりもり食いながら、奴はかつて俺が言った「バイトしたら?」の時と同じ返答で意思表明した。
まあ、これくらいで折れるとは思わないが。
だが、用意はある。
乱刃の心をへし折る用意は、ちゃんとしてある。
「理由がない」
「…? 何がだ?」
無遠慮にスープをずずっとすする奴に、俺はついに言ってやった。
「おまえに飯を食わせる理由がないんだよ」
「…っ!」
乱刃の顔色が、露骨に変わった。
「今それを言うのか」と。
「食っている最中に言うのか。それはずるいぞ」と。
そんな非難げな色もありつつ、しかし、とにかく動揺していた。
箸は止まり、視線は泳ぐ。
まるで何か言い訳が落ちていないかと探すかのように。
「風紀委員との契約は終わった。終わった以上、俺とおまえが一緒にいる理由はない。……この一週間、俺はおまえに、何も言わず飯を食わせてきたけどな。おまえが何か言い出すんじゃないかと期待して。でも何も言わないし」
そこを責めるつもりはない。
別にいいんだ。食いに来ても。
まだホームシックっぽい俺は、一人の食卓に耐えられそうにないから。乱刃がいてくれて精神的に助かっている面もある。
個人的には、このまま飯を食わせることについては、俺は問題ない。
最近よく食うけどそれでも俺と同じくらいだし、元々食費は安く上げている。半額材料の買い出しも継続しているから、食費には余裕がある。
よっぽどひどい使い方をしなければ、二人分の食費でも、仕送りだけでやっていける。
「でさ、言われて困るだろ? こんなこと」
「う……うむ。いや、この際だ。正直に言おう」
パチリと箸を置き、乱刃はまっすぐ俺を見た。
「私はもう、おまえの飯に慣れてしまった。慣れてしまった以上、もう草の生活に戻りたくないのだ」
あ、はい。
「やっぱ嫌だったんだな。山菜だけの生活」
そりゃそうだろう。
人間、時には甘いものも辛いものも食べたいし、肉だって食いたいもんな。草食動物じゃないんだから。いろんな味のついたものを食べたいよな。
「最近はもう、晩飯の時間が待ち遠しくて待ち遠しくて……日が暮れてきたら修行にも身が入らなくなるのだ」
そこまでかよ。大事な修行なんだろ。修行が上の空かよ。
「……そして心配もしていたのだ。今日は食えるのか、今日は作ってもらえるのか、と。いつかこんな日が来るとわかっていた。わかっていて、しかし私はそんな日が来なければいいと思っていた。そう思いながら昨日おまえにシュークリームをねだっていた」
そうか……
「なあ千歳」
乱刃の表情がグッと引き締まる。真剣味を帯びた視線が鋭く俺を射抜く。
「――甘いものは時々でいい。我慢するから毎日飯はくれ」
その発言できちゃうか。
この状況、このタイミングで。
なんつーか、根本が伝わってないよな。
「乱刃、基本的なことを言うぞ」
「うむ」
「おまえに飯を食わせる理由がない。だから甘いものも与えないし、飯も与えない」
乱刃の顔から、生気が失せた。
「ま、まさか……時々は甘いものもいいだろう……? 大福とか……」
「ダメだ」
「た、たい焼きは?」
「ダメだ」
「……じゃあ砂糖水でもいい」
「……ダメだ」
思わず「それくらいなら」と言いたくなってしまうほど悲しい要望だったが、俺は心を鬼にして断った。
というか、待て。
話がちょっとズレてきてる。
これは、そういう悲しい話じゃない。
「だからさ。基本的なことなんだよ」
「……基本など……花の蜜を吸う生活に戻れと言うのか……」
それはおまえの基本な! ……悲しいからやめろよ!
「だから」
俺はびしっと、泣きそうになっている乱刃に、管理人さんから貰った一枚のチラシを突き出した。
「働け。生活費を入れろ。そうすればおまえはもう怯えることなく、当然の顔をしてここに飯を食いに来れるんだ。
金がないなら働く。基本的だろ?」
そこには、こう書かれている。
――三ヶ月に一度の大仕事! 魔獣狩りを手伝ってくれる魔女募集中!! (高校生可)




