44.魔女の穏やかな日々 三
九王院学園では、特別選択科目となっている「基礎魔女学」。
歴史の授業からの派生と言われていて、日本史や世界史で語られる魔女の逸話を、もう少し掘り下げた内容となっている。
小学生から魔女やってるような女子には一般常識に近いのだが、私のように高校に入る直前に覚醒したような新米魔女には、それこそ常識として知っておかねばならないことも多い。
特に基礎魔法の存在だ。
これは、個人個人が持つ素質や資質を無視した世界共通の魔法――「スタンダードマジック」と呼ばれ、……えーっと、簡単に言えば「オリジナリティはないけど実用的な魔法」として、習得もしやすいように体系化・形式化された魔法のことである。
私を含め皆が頻繁に使う『瞬間移動』も基礎魔法の基本中の基本で、習得自体は非常に簡単だったりする。
それこそ生涯一番最初に憶えた魔法、という魔女も少なくないだろう。
……目視できる5メートルくらいの距離なら超がつくほど簡単だが、それ以上の距離となると、異常に難易度が上がるのだが。
そんな『瞬間移動』を筆頭に、憶えておいて損はない基本的な魔法を学べるのも、「基礎魔女学」の科目である。
そして九王院学園高等部では、魔女は全員、卒業までに国家資格である基礎魔法検定一級を取らねば、卒業ができなかったりする。
早ければ小学生の内に取れるらしいが、最近覚醒したばかりの私には、まだなんの資格もない。
聞けば聞くほど「私ヤバくない?」と思わずにはいられなくなるのだが、先輩は「大丈夫、大丈夫」と笑う。
「スタンダードと名が付くだけあって、本当に簡単なんだよ。よっぽど素質が偏ってなければ、詠唱さえ完璧なら勝手に魔法は出るから」
え、ほんとに!? 勝手に!?
「『言霊』っていうのは、言葉に宿る力。それは言葉の真の意味を知ってこそ力が宿る。その力が魔力を導き形を成す。つまり気持ちを込めて唱えれば、補助してくれるわけ。自転車の補助輪みたいなもんだね。慣れれば無詠唱もできるよ。こっちは補助輪なしってことになる」
無詠唱か……確かに短距離の『瞬間移動』くらいなら、私ももうできるしな。
憶え始めの頃ならまだしも、あれを詠唱あり――補助輪を付けて使用する魔女はなかなかいない。非常に簡単だから。
使用する魔女がいるとすれば、中距離から長距離移動をする時くらいだ。
「――はい、じゃあこの時間はここまで。次の授業では魔法の練習をするので、トイレには行っといてね」
やれやれ。
実技的な意味で卒業が掛かっている授業だけに、気が抜けない。……おまけに受講者も少ないし、講師は先生じゃなくて三年生の先輩だし。
とある教室で、私と同じ「基礎魔女学」の特別選択授業を受けているのは、二人だ。
私を含めて三人ということになる。
こんな有様なので、優秀な教師を充てがうまでもないという判断からか、講師をしているのは三年生の先輩である。
生徒会の一員で、名前は福音寺未来。
福音寺先輩は、将来は魔女学校の、できれば小学校の先生になりたいそうで、だからこうして経験を積んでいる。
生徒会や風紀員は優秀な人の集まりなので、この人もすごく優秀なんだと思う。
福音寺先輩はそんなエリートなのに、決しておごり高ぶることなく、いつも穏やかに微笑んで私たちの常識的で稚拙な質問にも優しく言葉を選んでわかりやすく回答してくれるのだ。きっと子供に人気の良い先生になるだろう。
魔女育成の有名な学校なので、日本中から魔法の勉強をしに九王院にやってくる。
そんな中で、中等部ならまだしも、高等部で「最近目覚めました」という理由で入学する魔女は、実は少なかったりする。
中等部まで普通の女子だったのなら、意思もはっきりしているだろう。
こんな名門じゃなくても、とか。
塾でも学べるから、とか。
これまでの生活を捨てるが嫌だったり、親元を離れるのを嫌う子もいたりするかもしれない。
私は両親の強い勧めで、期待に応えたいと思い、ここに来た。
そしてもう一つの理由が、最低限の魔法の習得だ。
魔法は便利なものだが、覚醒した直後は「暴走」という、己で制御できず勝手に魔法が出てしまう、という危険な状態になったりすることがある。
頻度はそう多くないとは言うが、それは怪我人がいないだけであって、珍しいと言うほど少なくもない。
実際私も、暴走したことがある。
ただ、私の魔女の素質は「変化」というおよそ攻撃的なものじゃなかったから、被害が出なかっただけだ。
――触れるもの全ての色が変わる、という、なんだか地味で微妙なものだったし……吹き込んだ魔力が尽きれば元に戻ったし……
確か和流さんが、覚醒した時はすごく苦労した、と言っていた。
彼女の魔法の素質はとても珍しく、先に言った「言霊」……言葉を発するだけで、それがそのまま魔法になってしまうというもの。本質的に「言葉の力」が強いのだろうと思う。
今では完全に制御できる、とは言っていたものの、やはり暴走が心配だからあまりしゃべらないのかもしれない。
「ね、ねえ橘さん、ちょっと」
特別授業は二時限続きだ。
一時限目が終わると、先生役である福音寺先輩が教室を出て行くと、隣で受講していた違うクラスの一年生・海堂ナギさんが深刻な顔で私を呼んだ。
この特別選択科目は週に一回あり、今回で三度目だ。
福音寺先輩を含めて四人しかいない教室である。クラスは皆バラバラでも、隣人と仲良くなるのは必然だったと思う。
「すごく恐ろしい噂を聞いたんだけど……」
「噂?」
なんだろう? 学校の怪談的な噂だろうか?
おいおい、魔女が幽霊の類を怖がってどうする。
「橘さんの教室で……」
うちの教室の怪談?
ふうん? 別に? 私は別に怖くないし。……幽霊とかちょっとしか怖くないし。
「……放課後クレープデートした女子がいるって……ほんと?」
「うそ!?」
うわ、びっくりした!
その声は、誰の反応よりも早かった。
私の逆隣に座っていた陣内真可さんが、それはそれは驚いていた。
「え、何それ!? そんなのありえるの!? 都市伝説でしょ!?」
都市伝説……そうだね。
そう思っていた時期が私にもありました。
……放課後クレープデート、か。
言葉にするだけで、どうだろう。この胸のときめきは。
妄想だけで腹が満たされそうなほどの甘い時間は、なるほど都市伝説と言うべき信じられない甘美なる時間と言えるだろう。そこで「はい、あーんして」とか「ほっぺたにクリーム付いてるよ。取ってあげるね」とか「ほかの男なんて見るなよ。おまえは俺だけを見てればいい」とか「こっちも味見してみる?」とか……ああ、ダメだ。妄想が止まらない。妄想が止まらない!
放課後クレープデート。
この言葉が持つ魅力……否、「言霊」とも言うべき我々を魅力する力とは、いったいなんなんだ。
都市伝説。
そう、都市伝説だからこそ、妄想ができたのだ。
実際にそんなことはありえない。ありえるはずがない。あってはいけない。
だから安心して妄想できたのだ。
なのに……そう……確かにあれは恐れさえ感じさせる事件だった……
「デートじゃないけどね」
はらはらして私の返答を待つ新米魔女仲間に、私はそこだけは断じて譲らない覚悟で答えた。
デートじゃない。
それを認めたら、私は……1年4組の私たちは……諸悪の根源・乱刃さんと戦争になってしまうから。
貴椿くんも「デートなんてものじゃない」と否定していたし、「恋愛は二十歳から」と信じている乱刃さんは「デート」という意識さえしていなかった。
つまり問題の二人は、問題行動を否定したのだ!
仮に、「でもやってることはデートだろ?」と指摘する奴がいたとしよう。
「でも一組の男女が仲睦まじく一緒にクレープ食べたのは本当なんだよね?――いだっ!」
指摘する奴がいたら、こうだ! 海堂め! 海堂ナギめ!
「なんで殴るのよ!」
「デートじゃないって言ってるのに信じないからよ! 殴ったのが私で良かったと喜びなさいよ!」
もしうちのクラスの過激派に今の発言を聞かれていたら、ゲンコツくらいじゃ済まないところだ!
私たちは全力で、あの一件が「デートではない」と、「デート」を否定すると決めている。
そんな都市伝説はなかったのだ! と!
「でも食べたのは本当――あいたっ!」
しつこく指摘する奴も、こうだ! 陣内め! 陣内真可め!
「その話――」
ガラッとドアを開けて、福音寺先輩が顔を出した。
いつもの笑みは消え、柔らかい雰囲気もどこかへ蹴飛ばし、冷たい声に人間らしい温かみを感じない。
そして、彼女の額には、邪悪に輝く紅き第三の目――邪眼が開いていた。
「……私にも聞かせてくれる? 細かく。丁寧に。疑問の余地が残らないくらいに」
――その後の実習時間は、都市伝説の審議と解明という崇高なる議論で塗りつぶされた。
……先生、邪眼は子供に見せちゃダメっす。
その偽りを見抜く第三の目、幽霊なんかより超怖いっす。




