43.魔女の穏やかな日々 二
この日、そこそこ平和な1年4組を、衝撃の一言が駆け抜けた。
それも一番それに遠いであろう人物から発せられた一言が、である。
「い、今……なんて言った?」
耳を疑い、問いただす声が震える。
何気にたまたま近くにいてそれを聞いてしまった縫染さんと風間さんが、信じられないものを見るような――初めて魔獣を見た猫のように険しい顔で凍りついていた。
もしそれが本当なのであれば。
本当なのであれば――
「ん? 本当だが? 土曜日、たっ、たかっ…………あの男にカレーを作ってもらったぞ」
そうか……
最近結構親しくなってきたな、と思っていたのだが……どうやら私と乱刃さんの道は、ここから別れてしまうようだ。
もしそれが本当なら――
本当なら、仕方ない。
「戦争だ!!!!」
男の手料理を食らったなどと平然とのたまう乱刃さんなんて、私の好きな乱刃さんじゃない。
私は素朴でぶっきらぼうでわかりづらいけど優しい乱刃さんが好きだったんだ。
でも、こんなの乱刃さんじゃない!
こんな乱刃さんは乱刃さんじゃない!
こんなものはただのリアルが充実している女子高生じゃないか!
「どうしました橘さん?」
高らかに戦争を宣言した私に奇異の目を向けるクラスメイトたちの中から、委員長・花雅里さんがいつもの冷静な様子で声を掛けてきた。
私は「なんだ?」と意味がわかっていないリアルが充実して友情を捨てた二度も残酷な発言をかましてくれた冷血なクズ女から目を逸らさない。
そして私の代わりに、恐らく私と同じ気持ちなのであろう縫染さんと風間さんが、ひそひそと委員長に事の重大さを告げる。
あの人見知りが激しく内気な風間さんでさえ非難げに乱刃さんを見ているのだから、私の考えすぎということはあるまい。
そう、これは非常に由々しき問題なのだ。
「ああ、なるほど。それは――」
いつも冷静な花雅里さんの瞳が、更に冷たいものへと変貌を遂げた。
肌がピリピリするような重苦しい空気は、帯びる魔力に敵意や殺意が含まれたからだろう。
「――確かに戦争ですね?」
ほら見ろ! あの委員長でさえすでにちょっとキレ気味だ! ……正直矛先を向けられていないはずの私の方が怖いくらいだ!
「なんだ? どうした委員長」
「気安く呼ばないでください。汚らわしい」
「け、けがらわしい!? 何がだ!?」
平然と二回もリア充自慢していた私の好きじゃない乱刃さんは、ようやく、やっと、私たちが不快な気持ちに満たされていることに気づいたようだ。
なんだなんだと近づいてくるクラスメイトたちにも、一瞬にして不快な気持ちになれる乱刃さんの問題行動が伝達される。
「――ばかーーーーーーーーー!!」
猪狩切さんは涙目で乱刃さんを罵ると、教室から走り去っていった。
「――……」
「――……」
珍しく和流さんが乱刃さんを見ながら何事かひそひそ話しているかと思えば、その相手はこれまた滅多に口を開かない風間さんだったり。
「――つまり、土曜日の夜以降の記憶と今現在の記憶を『切り離して』『結びつければ』」
「――『何事もなかった』……ということにできるわけだな? おまえの力で間違いはなかったことにできるのだな?」
縫染さんと三動王さんが、道徳観念的にかなり危険な話をしていたり。
「――あ、あははは……はははは……う、うそよ……彼が、彼がカレーなんて……うそだわ……」
そして、恋ヶ崎さんが現実逃避していたり。
ついさっきまでそこそこ仲が良い1年4組だったはずなのだが。
今このクラスは、「週末の夜ぅ、彼にぃ、カレー作ってもらっちゃったぁ☆」という、もっとも恋愛沙汰とは無縁に思えたクズ女のクズみたいな自慢話のせいで、もはや崩壊寸前だった。
男性が少ないこの時代、甘酸っぱい青春を送れる者などほんのひと握りである。
特に、幼少から九王院学園に通っている女子などは、未だに男子と話したことがない者さえ少なくないらしい。
九王院学園の存在から、九王町や、その周辺に魔女が集まりやすい環境ができているせいで、この地域には世界比率以上に男の数が少ないのだ。
……私なんて、この前まで魔女の世界にいなかったのに、それでも男子と話をする機会なんて本当に数えるほどしかなかったくらいだ。めぼしい男にはすでに虫が付いているのが常なのだ。しかも数匹から数十匹も。
――はっきり言おう。
これは嫉妬である。
だがしかし、これだけは全力で主張したい。
嫉妬して何が悪い?
嫉妬することの何が悪いか!?
この腹の底でどす黒く渦巻いた醜い感情は、確かに褒められたものではないだろう。私だってこんな感情、抱きたくはない。好きで抱く者もいないだろう。
しかしこれほど人間らしい感情があるだろうか!? いやない!!
なんなら動物だって嫉妬するのだ。
犬だってやきもち焼いたりするのだ。
欲望があるからこそ生き物は輝くのだ!
生きる力が湧くのだ!
今日負けても明日勝つために今がんばれるのだ!
嫉妬は負の感情だが、そこから生まれる生命のエネルギーはなかなかえげつないのだ!
リア充女子高生VS嫉妬に狂う女子高生たち。
そんな戦争一歩手前の一触即発の構図が出来上がってしまった中、ついに乱刃さんも怒った。
「おまえたちはなんだ!? 言いたことがあるならはっきり言え!」
私たちが注ぐ敵意だのなんだのに腹を立てたらしい。
だが腹立たしいのはこっちだ!
「男を独り占めするな!」
「「そうだ!」」
「限りある資源を独り占めするな!」
「「そうだ!」」
「男の手料理を自慢するバカ女に鉄槌を!」
「「そうだ!!」」
一人一人の心の底から漏れ出す黒い主張と、それに拳を振り上げ賛同する面々。
「こうなったら魔女裁判だ! 誰か! 生徒会役員を呼んでこい!」
皮肉なものだ。
今年一番に魔女裁判につるし上げられるのが、魔女じゃないリア充女子高生だとは。
「落ち着け! 何に怒ってるのかさえさっぱりわからん! 説明しろ!」
ぴたっ。
最前線にいる私の背中に、風間さんが張り付いた。
彼女はひそひそと私に耳打ちする。
――ちなみに私はあんまり風間さんと話したことがないのだが……今は共通の敵がいるから、彼女もちょっとがんばっているのだろう。
風間さんが囁いた内容は、私に更なる衝撃を走らせた。
聞いて、しまうのか……?
ついにその確信に触れてしまう、のか……?
知らず身体が震え、息が荒くなる。
……そうだ。
遅かれ早かれ、つまるところはそれなのだ。
それを避けて通れないことくらい、最初からわかっていたではないか。
「――で、結局……」
「なんだ!? 文句があるなら私にわかるように早く言え!」
口ごもる私に、乱刃さんは噛み付くような勢いで吠えた。
なぜ私が責められねばならない。
責められるべきは、希少なクラスの男の手料理を食べたとか自慢したこの女じゃないか!
「結局、付き合うことになったの!?」
――聞いてしまった。
怒りに任せて、ついに聞いてしまった。
騒いでいたクラスメイトたちが、とたんに静かになった。
私も含めて皆、その真実を恐れ、目を背けていたのだ。
なのに、ついに、私は、聞いてしまった。
答えが出てしまったら、もう引き返せない質問を、してしまった。
「……何を言っている?」
乱刃さんは、きょとんとしていた。
「付き合うとはなんだ?」
え?
「乱刃」
三動王さんが、とても静かに、そして威厳を感じさせながらそれを口にした。
「言葉の意味がわからないかもしれないから、砕いて言おう。――土曜日の夜、貴椿千歳と、恋人同士になったのか?」
「恋人…………な、な、な、な……なんだと!?」
乱刃さんの顔が、一瞬で赤くなった。
「馬鹿者! なるものか! こ、恋人など、そんな……そんなものは二十歳からだろう!!」
一瞬、場が静まり返り。
「よし」
三動王さんは威風堂々とした笑顔で頷くと、さっさと自分の席へと戻っていった。
それを合図に、剣呑な雰囲気で集まっていた魔女たちもぱらぱらと散っていく。
「乱刃さん、私はあなたを信じていました」
委員長はガッと固く乱刃さんとシェイクハンドを交わして行った。
「……うん」
よかった。
乱刃さんはやっぱり、私が好きな乱刃さんだった。
「乱刃さん、私も信じてた」
「おまえが一番疑っていた気がするがな。まったく……何が恋愛だ。そんなものはまだ早いだろう」
うんうん。そうだねそうだね。
「乱刃さんはそのままでいてね。決して彼氏を作ろうとか思わないでね。私はそのままの乱刃さんが大好きだからね」
「……女は恐ろしいな。あの男の気持ちが少しわかったぞ。さっきまであれだけ怒っていたのに、もう笑うのか」
「やだな。乱刃さんも女じゃない」
さて。
とりあえず戦争は起こらなかったということで、そろそろ聞こうか。
「それで、どういう流れで彼のカレーをカレーすることに?」
その質問をした途端、離れていたクラスメイトたちが再びここに集まった。
事と次第によっては。
貴椿くんが乱刃さんへ抱くほのかな好意や恋心的なものを。
――闇に葬らねばなるまい。
そしてこの直後、教室を出ていた貴椿くんとボディガードとして付いていた兎さんと星雲さんが帰ってきて。
彼のカレーの話を、それは根掘り葉掘り必要なことから必要ないことまで、魔女はつぶさに問いただすのだった。




