37.貴椿千歳、ついに説教する
ここではっきりさせておくべきことがある。
それは、二度目のトカゲ襲撃から俺がこうして魔法陣の結界に閉じ込められるに至るまで、俺なりに考えて行動した結果である、ということだ。
無駄に捕まっているわけではない。
ある意味、事の成り行きでこういうことになっているだけではあるが、予定通り犯人の目的を聞き出すことに成功した。
そして、犯人の目的が「乱刃戒への挨拶」と知ってしまった今、とりあえず無用に危害を加えられる可能性がない上で、俺はここで大人しくしている。
乱刃の挨拶が終われば、俺も乱刃も、そして犯人も解散だ。
そこには被害者も加害者もいなくて、誰も怪我をせず、穏便に、わだかまりも残さず、あとに引きずることもない何事もなかったものとして処理される。
それでいいのだ。
リアルな警察沙汰も、学校のお偉いさんが出てくる事態も、望まない。
それが俺と乱刃、そして1年4組のクラスメイトで決めた大まかな流れである。
怪我人が出ていたりしたらまた流れは違っていたが、犯人の目的が判明し、これで目的が果たされるのであれば、「何もなかった」ということでこの事件は終わる。
色々言いたいことがないわけでもないが、犯人の魔女三人に恨みはない。
だから「何もなかった」で済ませていいと俺は思う。大事になると面倒だし。
――まさかこんな瞬間に。
――瞬きほどの一瞬に、自分がここに置かれているスタンスを考えるとは、自分でも思わなかったのだが。
魔女が呼び出した「竜狩りの銀騎士バルゲルト」は、非常に大きな銀色のフルアーマーの騎士である。顔を覆い隠すフルフェイスヘルムの奥に光る双眸は、憎しみと悲しみを帯びて紅く輝いている。
生命の召喚は、魔女の魔力の質と量に大きく影響する。
たとえばこの銀騎士なら、未熟な魔女が召喚を行えば、新品同様の銀色のアーマーを着込んだ、いかにも「戦場初体験でーすイェー」なんて感じの新兵のような迫力薄い銀騎士がやってくることになる。
今ここに呼び出された銀騎士は、魔女の力量に応え、全身を真っ赤に滴る邪竜の血に染めていた。
その血は地面に滴り落ちているはずなのに、鎧から流れる血は永遠に途切れることがない。
まるで騎士本人が血を流しているかのように。
なるほど、やはりかなりの力の持ち主であると察することができる。
ここまで魔界で存在する姿に似せた状態で呼び出せれば、逸話通り、かの銀騎士は「不死身の呪い」も再現されているはずだ。
――実は、魔界や天界と言った違う世界の概念は広く伝わっているものの、誰もそれを実証できていなかったりする。
だから「魔界から呼んでいる」というのは便宜上であって、正確には「異界から呼んでいる」という表現が正しい。
俺たちが言っている魔界や天界が、昔から知られる神話になぞられているかどうかは、また別問題なのだ。
まあ、それはさておき。
この「異界から呼び出す」という召喚魔法は、実際は「本体」を呼んでいるわけではないらしい。
えっと、確か、召喚したい対象に魔力を捧げることで、「異界の本体」がそれに見合った力を貸してくれる、という表現が近い。
本当の世界の実際の「本体」は、たとえ小さな生き物でも、魔女に御しきれるような生易しい存在ではないそうだ。
何せ捧げられた魔力に応じた「貸してくれた力」は、ただの「力」なのに、この世界に干渉するための肉体を構成して、意思を持ち、魔女の命に従うのだから。それだけ取っても大変な力だ。
こっちの魔女は、世界中のほんのひと握りしかいないレベル7以上の強い魔力であっても、それが具現化はせず「力が見えるだけ」なのだから。
魔女の力に応じる召喚魔法。
婆ちゃんや学園長クラスの魔女が呼び出したら、何を呼んでも恐ろしいモノが来るんだけどな……
この銀騎士だったら、邪竜の血が放つ瘴気のせいで、周囲の生き物が死に絶えるという恐ろしい現象まで再現してたっけ。
島の一部、草木が生えなくなったし生き物も近づかないし、人間だって何もわからないけどなんとなく嫌な予感がして本能的に避けるようになったし。
そんな銀騎士に対するのは、小さな女の子だ。
2メートルを超える大男と、140ない背丈の少女。
騎士は血に穢れたロングソードを抜き、その切っ先を素手の者に向けている。
体格的にも、見た目としても、勝負になるはずがない構図である。
そもそもあの分厚い金属の鎧を、どうやって素手でどうにかできるというのか。
しかし、見た目では勝負になりえるはずもない、武器を持った大人と素手の子供の一方的な勝負の光景なのに。
それでも。
真剣勝負特有の緊張感が、そこにあった。
「これが挨拶?」
「私もどうかとは思うけど。ま、兄弟子の気持ちを代弁するなら、この程度に勝てないならもう来るな、ってところじゃない?」
……武道家なりの何かがあるんだろうな。俺にはよくわからんが。
「あいつと同じ拳法やってるなら全然楽勝でしょ。少しだけ知ってるから」
「知ってる?」
「――点拳」
睨み合いが始まった向こうを見ながら、魔女が言った。
「あれは、一つの真理に向き合い、それに近づこうとして作られた拳法なんだって」
一つの真理?
そういえば、その点拳については詳しく聞いてなかったっけ。兄弟子が三人いて継承者を争っている、とかなんとか言ってたのは憶えているが。
「どういう意味だ?」
「基本理念として、万物は点の集合体で構成されているんだって。これは納得できる。人間だって小さな細胞が集まってできてる存在だからね」
うん、そうだな。それはわかるな。
「そんな基本理念を考えた、点拳作った昔の人は、その『点の真理』に四つの方法で迫ろうとした。
その一つが支点。弱点を探って突くっていうもっとも基本的な技術を追求したもの。これが乱刃戒の流派らしいよ」
ほう。兄弟子と継承者を争っているは、そもそもの流派が違うからか。
思いっきり単純に言うと、勝った流派が一番優れていて、それこそ点の真理に最も近いものだ、と判断するためのもの……とか?
そう言えば、諸々が始まったあの日、乱刃が『土人形』を殴って粉砕した「弱点を突いて魔力の流れを止める」というあれこそが、点の真理ってやつなのか。
正直、こんな技術聞いたこともない。少し興味があるな。
「他の三つの流派は?」
「聞いてない。北霧教えてくれないのよ」
北霧……ああ、乱刃の兄弟子な。
「その北霧ってのはどんな人なんだ?」
こんな危険な挨拶するくらいだから、まあ、普通じゃないとは思うが。
「知らないの? ……って1年だもんね。しかも九王町来たばっかじゃ知らないか」
そうですね。来た時に会いましたからね。
「蒼桜花の北霧麒麟って言ったら、お近づきになりたくない方向で有名だよ。学校の先輩に聞いてごらん。面白い話が聞けるから」
……あんまり聞きたくないなぁ。厄介事に巻き込まれるのも嫌だしなぁ。
そんな会話をして、ふと途切れた時、睨み合っていた向こうに動きがあった。
痺れを切らしたのか、銀騎士が動いた。
鈍重な見た目によらず、動きは速い。
銀騎士は、乱刃との距離を一気に詰めると、ロングソードによる渾身の横薙を放った。
グォン!
空を切る音がここまで聞こえるほどの、鋭い一撃だった。
並の人間では反応さえできなかっただろう。しかも攻撃範囲が広い。来ることがわかっていても逃げられないほどに。
しかしそれ以上に、乱刃の動きがすごかった。
手を付かない側転――側宙で、迫る刃を移動しながら飛び越えた。
耳を澄ませば、頭を……いや、髪に剣が掠めている音が聞こえそうなくらいの、ギリギリの見切りだった。
ジャンプ回避でも良かったのに、華麗な側宙での回避を選んだ理由。
それは、その側宙のスピードを殺さないまま、次の行動に繋げるためだ。
「「え?」」
奇しくも、俺と魔女の疑問の声が重なった。
――あ、あいつ、まさか……!
乱刃の接近は非常に速い。
普段の全速力も速いが、実戦だともっと速いのではないだろうか。
しかも、来ることを想定してなければ、身動き一つ取れないままあっという間にやられてしまう。
ほんの一瞬の間に、脳裏をよぎるのは、俺と乱刃がここにいる理由である。
そして俺は、一回だけ許された抗魔法を、躊躇することなく使用した。
破壊される結界。
飛び出す俺。
ギリギリで間に待った、それ。
走馬灯のように色々なことを思い出しながら。
乱刃の放った拳は、俺のガードの上から突き抜けるように、思いっきり内臓へと衝撃を走らせた。
「っ、ぐうううおおおおおっ」
いってー! 内蔵がいってーーー!
「な、何をしている!」
さすがの乱刃も、俺が魔女を庇って間に割り込んでくるとは予想していなかったらしく、容赦なく俺をぶん殴った。
……若干期待していたんだけどな、寸止めを。
かつてないほどの内蔵へのダメージに咳き込み、悶絶する俺を。
標的になっていた魔女と、綺麗にスルーされた銀騎士が、呆然と見ていた。
「おい! 大丈夫かプリン!? ……あっ」
……「あっ」? 「あっ」じゃねえぞこの野郎。
「お、おまえ今、俺のことプリンって呼んだな!? 俺のことプリンって呼んだよな!?」
ここで彼奴めの攻撃を食らって悶絶している俺に向かってプリンと呼んだ乱刃は、悶絶しながら非難の目を向ける俺から、非常に気まずそうな顔をした。
「……すまん。実はさっきから、いかなる発言をしたらおまえがプリンを買ってくれるかばかり考えていて……気持ちが声に出てしまった」
出てしまってんじゃねえよ!
「プリンのことを考えるのをやめなさい! せめて目の前に敵がいる時は敵のことだけ考えてなさい! 相手にも失礼だろ! 銀騎士はわざわざ魔界から来てくれてるんだぞ! げほげほっ! おまえの相手をするためだけに! 今おまえが考えることはなんだ? プリンか? 違うよな!? なあ!? 違うよな!? なんとか言いなさい!」
この状況で、内蔵の痛みをこらえながら、こんな説教することになるなんて思わなかったよ!




