31.貴椿千歳、衝撃が走る。二重の意味で
「でもさ、トカゲの見分けなんて付くの?」
亜希原タルトは、手の甲を上にして左手を掲げた。マニキュアで輝く綺麗な指には、いくつかの指輪――恐らくタリスマンが通っていて。
その内の一つ、よく見ると網目模様がある小指のブラックリングが、もぞもぞと動き出した。
「私のメヴィアンは私と一緒で美女だけど、見る目がないとわからないわよ?」
黒い指輪が浮き上がる。
小さな金属だったそれは、見ている間に小指に巻きついている黒いトカゲとなり、彼女の手の甲に駆け上った。
白い肌と、真っ黒なトカゲ。赤い瞳。
その三色が織り成すコントラストは、とても美しかった。まるで雪原に住まう生きた宝石のようだ。……自分でも何言ってるかわかんないが、そんな感じだ。
「……若干違う、気がするけど……」
全長10センチもない小さなトカゲと、インパクトがすごかった巨大トカゲとでは印象がまるっきり違うが。
パッと見で「あっ! この顔だ!」みたいな感想を持ってしまったりもしたが。
でも、よく見ると、やっぱりなんか違う気がする。
どこがとははっきり言えないが、やっぱり違う気がする。
別人ならぬ別トカゲな気がする。
「私から言わせれば、大切な使い魔に人なんか襲わせるかっつーのよ。怪我したら大変じゃない」
亜希原タルトは、結構過保護なタイプの主らしい。
「あなたのその性格を知っていたから、私はあなたは犯人じゃないだろうと最初から思っていた」
御鏡先輩が性格がどうこう言っていたのは、亜希原タルトの「使い魔愛好家」の一面のことか。
そうなんだよな、この手のタイプは使い魔を大事にしすぎて使い魔の単独行動を許さないんだよな。人にけしかけるなんて絶対にしない。
それこそ本人の言う通り、反撃されて怪我するのが嫌だからだ。
「やはり違うか?」
「たぶん違うとは思うんですけど……」
しかし、見れば見るほどそっくりだ。
ここまで似てるならたぶん同じ種類というか、生まれが同じ場所だったりするのかもしれない。
自慢の使い魔が注目を浴びているのが嬉しかったのか、亜希原タルトは「ふぅ」と熱っぽい溜息を漏らした。
「この王族をも唸らせるであろう高貴な出で立ち、ブラックダイヤのような鱗の輝き、真紅の瞳は上質のルビーにも劣らない美しさ……こんなに愛くるしい生き物がこの世に二つといるわけないじゃない」
あー……愛好家らしいセリフだなぁ。
「乱刃、ちょっと見てくれ」
もう一人の目撃者にも見てもらおうと呼びかけると、
「それは違うぞ」
どこかで掃除しているかと思えば、乱刃はすぐそこにいて、机を雑巾で拭いていた。
「あの時の蜥蜴とは、まとっている力の流れが違う。別物だ」
まとっている力、か……魔力のことかな? さすがに俺にはそこまではわからない。
だが、真偽のほどはわからないが、一応はっきりした発言は出たな。俺のように曖昧じゃない確固とした証言が出たのだ。
これ以上確かめる術がない以上、ひとまず信じていいだろう。
第一、この人は本当に犯人じゃなさそうだし。
状況証拠は揃っているが、状況証拠以外が全て違うっていうのもなかなか珍しいのではなかろうか。
「疑いは晴れた? やってないから私はどっちでもいいけど」
と、亜希原タルト……いや、亜希原先輩は、トカゲを再びリングに戻した。
「こんなに美しい使い魔を持つ特別な魔女は、校内に私しかいない。それは私も認めるところよ」
……まあ、美しいかどうかはさておき。
俺たちが見たトカゲの特徴に似ていたのは、亜希原先輩のトカゲだけだった、はずだ。風間調べでは。
「で、なんで自然に考えなかったの?」
…?
「自然に?」
意味がわからず眉を寄せる俺に、亜希原先輩はイラついたのか「だから」と腰に両手を当てる。
「九王院の外で襲われた。校内にいる使い魔ではない。――だったら九王院学園の生徒以外が犯人ってことなんじゃないの?」
あ……そうか。自然に考えればその可能性もあるのか。
校外で襲われたのは、九王院学園では襲えないから。
それは「犯人が執行猶予中でバレたら罪が重くなるから」ではなく、「犯人が校内にいない」から。
校外で人を襲うなんて、それこそ相当リスクが高い行為だ。
それを考えると社会の罰より学校の罰の方が、たとえ執行猶予中でもいくらか甘いのではないか……と、思えなくもない。
しかしだ。
「動機がないんです」
それこそ自然と九王院の魔女が犯人だろうと考えたのは、乱刃が九王院で魔女の敵として認識されているからだ。
報復や復讐のために襲ってきたのだろうと、自然な流れで思ったのだ。
「一ついいか?」
雑巾を持った乱刃が、俺の隣に立った。
「委員長、もういいのではないか?」
ん? 委員長?
やはり言葉の意味がわからない俺、状況を見守る御鏡先輩、不当に疑われ巻き込まれた亜希原先輩の目が、一切発言せずそこにいただけの委員長・花雅里へ向けられる。
「何か心当たりが?」
御鏡先輩が問うと、……委員長は両目を伏せた。
「……乱刃さん、お願いします」
言うと、乱刃が「わかった」と頷き、衝撃の発言をした。
「あの蜥蜴は私ではなく、ただばたらき。おまえを狙っていた」
…………
「……あ、俺!? ただばたらきって俺のこと!? なんだよその最初と最後があってれば通じるだろみたいな間違え方! せめて文字数を合わせ……えっ!? 俺ぇ!?」
それはそれは衝撃の発言だった。
二重の意味で。
ちょっと衝撃の発言が二つも入っていたせいで戸惑ってしまった。
俺が、襲われていた?
乱刃じゃなくて俺がか?
……そうだ。そうだよ。
冷静に、ちゃんと思い出してみると、トカゲは乱刃ではなく俺を狙っていなかったか?
例えば、散らばった荷物を集めた時だ。
獲物が立ち止まっているようなあの状況で、トカゲは襲ってこなかった。それはトカゲと俺の直線上に乱刃がいたから、障害物があったから襲ってこなかったではないか?
逃げる途中でもそうだ。どうかあれが顕著で、決定的だ。
あのトカゲは、角を曲がった俺たちの間に、割り込んできた。前を走る俺と、後ろを走る乱刃の間に入ってきたのだ。
あれこそ疑いようもなく乱刃を無視して俺を狙ってきた証拠だ。
乱刃じゃない。
俺が襲われていた。
そう考えると、九王院学園の魔女が犯人――という仮説の、動機がまったくなくなってしまう。
俺は……さすがにまだ、魔女に襲われるほどの恨みは買ってないと思うし。たぶん。ちょっとケダモノたちの思考がわからないから確信はないが。
「……乱刃、いつから気づいてた?」
「最初からだ。あの蜥蜴と対峙した時、奴は私を尾で払っただろう?」
憶えている。
金属バットで思いっきり殴られたような衝撃だっただろう、とか考えた。
「あれは道端の邪魔な石を蹴飛ばす行為だ。私が狙いなら食らいついて来ただろう」
……なんだよ。最初からわかってたのかよ……
「なんで言わなかった」
「私が口止めしていました」
ここで委員長が、伏せていた目を開いた。俺を見つめる視線に陰りも曇りもなかった。
「貴椿くんは、魔女を怖がっていたから。これ以上怖がらせる必要はないと愚考しました」
……そうか。
「できれば、貴椿くんが知らない内に、私たちで処理したかった。ここで蹴りがつくと思いましたが」
「あいにく私は犯人じゃなかった、と」
結論を急いだわね、と亜希原先輩は腕を組んだ。
「あなた、案外気づいてたんじゃない? 九王院に犯人はいない、って」
「可能性は考えていました。乱刃さんは自分の読みに絶対の自信があったようですが、本人より貴椿くんを傷つけた方が復讐になる……と考えるケースもあるのではないかと思いまして」
まず可能性の高い九王院の容疑者を潰そう、委員長はそう考えた。
「そもそも、ここで亜希原先輩が犯人じゃなかったら、その時は話すべきだろうと思っていました。九王院に犯人がいないのであれば、貴椿くんは学校外で襲われることになります。自衛してもらう必要もありましたし。ただ――」
委員長は顎に手を当てる。
「乱刃さんの発言を素直に捉えるなら、犯人は貴椿くんに恨みあるいは狙う理由がある。しかし貴椿くんは、九王町に来て日が浅い。そして来てからの半分以上は学校と寮で過ごしている。そんな生活をしている彼が、外で恨みを買うことがあるのでしょうか?」
だからどうしても九王院内の犯人説が拭いきれなかった。
「おまけに女子の何人かは貴椿くんをストー…………非常に気にしているようで、彼が学校外で問題行動を起こしていないという裏は取れています」
……今ちょっと胃がすごい勢いでキリッと痛んだんだが……気のせいだよな。気のせいだよな!
しかしまあ、とりあえずだ。
「委員長」
「はい」
俺は委員長に言わねばなるまい。
「余計な気を遣わせたな。ありがとう」
委員長は一瞬目を見開くと、すぐに逸らした。
「……いえ、最初から言っておくべきでした。すみませんでした」
そんなことはないだろう。
「俺が必要以上に怖がっていたから、気を遣っただけだろ。ごめんな」
さっき北乃宮にも言われた。もう少し心を許せ、と。
俺が怖がってばかりいたから、委員長やクラスメイトに気を遣わせたのだ。
「この件が解決したら、本当にクレープ食べに行こう。奢るから。約束な」
怖がってばかりじゃ始まらない。
正直、行ったら生涯忘れられない恐怖を味わい腰抜かすくらい委員長に睨まれそうな気がするが、ようやく一歩だけ、足が前に出てくれた。
委員長は……なんか俯いちゃったが。……え? 嫌がってないよな? 嫌がってるわけじゃないよな?
なんか不安になってしまったが、そんな俺の前に乱刃が立った。
「おい、私のバナナクレープは?」
「知らん」
こいつに奢る理由はない。
「私のアイスは?」
なぜか亜希原先輩まで立った。乱刃を押しのける勢いで。
「それは奢りますよ。行きましょう。御鏡先輩もどうですか?」
「わ、私か!?」
あ、すげえ驚いてる。意外だ。たぶん「私には関係ないな」と思って見ていたのだろう。
そんなことはない。
亜希原先輩を呼び出したり、話を聞いてくれたりと、ここまで相談事に付き合ってくれたのだ、個人的に礼くらいしてもいいだろう。
「……風紀の仕事があるから、今日は時間が合わない。いずれな」
「わかりました」




