27.貴椿千歳、スカウトされる
「なぜ一緒に来た?」
「さすがにほったらかしで帰れないから」
「そういうのは必要ない」
「安心しろ。一切おまえのためじゃないから。俺自身のためだから」
乱刃はチラッと俺の顔を見ると、「なら好きにしろ」と顔を背けた。
放課後、今日も俺は乱刃とともに、校舎の屋上にあるプレハブ小屋――風紀委員室を訪れていた。
乱刃は一週間の風紀委員室の掃除をしに。
そして俺は、俺のせいで乱刃にそれをさせているので、放っておいて帰るのは気が咎めたから。
もちろん掃除を手伝う気はない。
その方が、俺の心が痛いから。その方が俺の罰になるから。
この行為はなんの役にも立たないし、自己満足以外の何者でもない。が、こうでもしないと気が済まないのだから仕方ない。
……あと、委員長が怖くて怖くて仕方ないから。一緒に帰ったら「クレープ食べに行きませんか? 二人で」とか言い出しそうで怖いから。
俺の人生になったあの未経験の恐怖は、いったいなんだったんだろう。
委員長は悪い人ではないと思う。むしろ優しい方かもしれない。だけどなんかすごく怖い。睨むし。その視線に感じられる背筋の凍るような殺意にも似たアレはなんなんだろう? 個性か? ……個性かもなぁ。整った顔立ちが余計拍車をかけているのかもしれないなぁ。
色々面倒もかけているし、迷惑もかけている。
嫌いじゃないんだけどなぁ! 彼女が望むならクレープデートくらいしたいんだけどなぁ! でも二人きりになったら身の毛もよだつような恐怖体験しそうで足が前に出ないんだよなぁ!
「失礼する」
「失礼します……」
乱刃がドアを開け、委員長のことを考えただけで身体が震えてきた俺も何気なく一緒に入ってみた。
「お?」
「貴椿くん?」
乱刃だけなら振り向きもしなかったかもしれないが、来る予定になかった俺の登場には反応した。
七重先輩と御鏡先輩と、あの犬耳の副会長がいた。三人は書類を手に何事か話し込んでいて、……何の話をしているんだろう? 風紀委員的な話ってのがまったく想像できない。
「どうした? デートのお誘い? ――OK行こう!」
「すみません違います」
急に興奮しいきり立った七重先輩に、速攻でお断りの返事をすると、先輩は溜息をついた。
「あーあ……風紀委員長の代理なんてやってないで、私のためにハンバーグ作ってくれる男のケツでも追っかけたいなぁ……」
あの人、風紀委員長の代理なのに、何しにここに来てるんだろう。……今俺が言えることではないが。
「代理、風紀委員長代理として威厳ある言動をお願いします」
「何真面目ぶってんだ御鏡。おまえだって男のケツを追いかけたいだろ。もう男のケツ追いかけまくりで触り放題したいだろ」
いや触っちゃダメだろ。なんのためにケツに触るんだよ。……俺もたまに誰かに触られるけどさー。あれ触られる方からすると結構嫌なんだよ? 何が楽しくて触るんだよ。
「いきなり口調を変えないでください。……私は追いかけるより追いかけられたいタイプなので、いささか共感はしかねます」
「そんなこと言ってると絶対結婚できないぞ。比率的に女は余る時代なんだから」
「35までお互い独身だったら、もう華見月さんと結婚すると約束しました」
「え、何それ?」
「私は御鏡なら構いません」
「私とは?」
「絶対嫌です。そもそも恋愛や結婚だけが人生じゃないでしょう」
「そういうことはデートの一回や二回はしてから言うもんだ」
「同意します。華見月さんのような人がしれっと相手を見つけてさっさと結婚したりするんですよね」
「わかる! こういう『恋愛に興味ありませーん』って顔した奴こそな! つか何その犬耳!? かわいこぶりやがって! 男に媚びてるんだろ!?」
「この身長でこんなアクセサリーが似合うわけないでしょうが! こういう可愛いものは可愛い人にしか似合わないんですよ! それなのに強制的に付けてるように見えるとか拷問ですよ! それにデートの一回や二回……確かにありませんけど……別にしたいとは思いません!」
……ガールズトークは恐ろしいって本当だったんだな。微妙に生々しいところが……これは男は入れないわ。入れない上に聞くのも怖いわ……
乱刃はさっさと掃除を始め、突如展開されたガールズトークに微妙に引きながら、俺は部屋の片隅で大人しく待つことにした。
待っている間に宿題でもやろうと思って、机を一つ借りて教科書とノートを広げて。
「――で、なぜここにいる?」
声に顔を上げると、目の前に副委員長が立っていた。背が高い人なだけに近くで見ると威圧感がすごい。……いや、背だけの問題じゃないか。
いつの間にかガールズトークも終わったらしく……あれ? 七重先輩と御鏡先輩がいないな。どこか行ったのか。
「乱刃を待ってるだけです。それ以外は何も」
「部外者の立ち入りは基本的に禁止されている」
「俺と乱刃は一蓮托生の関係です。七重先輩が、違反をしないようお互い見張り合え、と言っていましたから」
「でも出て行けと言うなら出ますけど」と言うと、副委員長は睨むように俺を見つめて、「そのままでいい」と答えた。
「少し訊きたいことがある。ちょうど良かった」
「なんでしょう?」
副委員長は、俺の前の机の椅子を引き、腰を下ろした。
「『魔除けの印』を、どこまで使える?」
「基礎だけです。五角シールドと中和領域の二つだけ」
五角シールドは、読んで字のごとく、五角形の盾である。
俺は基本にして初歩の五角形しか使えない。俺の場合はちょうど掌より少し大きいくらいだ。
角を増やすとシールドの大きさがどんどん大きくなり、最終的には自分より大きなシールドで魔力の流れや魔法を防ぐことができる。……まあ強度は使用者次第だが。
中和領域は、魔力そのものを消し去るという特性がある。たとえば今使用すれば、副委員長の犬耳は消せると思う。
主に、自分を中心に円形に展開する魔法を消し去る空間を作る、という技術になる。
高度な使い方になると、自分を中心にしない遠隔で部分的に空間を作ったり、更に高度なものになると、魔女の身体から魔力が出ないようにする――いわゆる「魔法の封印」というものができたりする。
どちらも魔女の体内にある魔力はどうにもならないので、抗魔法はあくまでも魔法に対抗するためだけの技術だ。
そして、この技術には、個人差がある。
「それで学園の魔法障壁を破ったのか?」
「はい」
「となると、相当熟練された技……ということになるが?」
「自分ではよくわかりません」
俺は、ここまでの技術がなければ婆ちゃんの試験に通らなかった、というだけの理由で身につけている。
ほかを知らないので本当によくわからないのだ。
……まあ、あの試験がまともかまともじゃないかで言うなら、今なら自信を持って胸を張って堂々と「まともじゃない」と答えたいところだが。
俺、薄々気づいてたよ、婆ちゃん。
婆ちゃんの試験……正直誰もクリアできないくらい難しすぎた、ってさ。
だって今でも思うから。
俺よく試験通ったなー、って。
本当に奇跡起こしちゃったんだなー、って。
「風紀委員に興味はあるか?」
「え?」
「風紀は常に人手不足だ。魔女に逆恨みされることも多い。辛いことも多いし、逆上した魔女が襲いかかってくることもなくはない。だからこそ、魔女に屈しない優秀な人材が必要だ」
優秀な人材……それが……俺?
「一連の違反については罰した。それが私の風紀委員としての誇りだからだ。だからどんな理由があれ見逃さない。
だが、違反した動機は私も評価している。おまえのような私欲ではなく人のために動ける者こそ風紀委員に欲しいのだ」
……え?
「もしかしてスカウト?」
「それ以外の何がある」
マジかよスカウトかよ! スカウトされてたのかよ! マジかよ!
「風紀委員の肩書きがあれば、おまえのしたいことの半分以上は正当化できると思うが。誰かが怪我をしていて、その人が誰であれ無関係に手を差し伸べることができるようになる。……それに、本来風紀委員は、業務的には私のような魔女ではなく、騎士の方が向いているからな」
つまり、あの時乱刃を助けるために乱入したことも、風紀委員だったら違反にはならなかった、と。
そうか……そう言われると気にはなるが……
「俺も一つ聞いていいですか?」
「なんだ」
「昨日……いや、一昨日か。一昨日の俺たちの一件です。もし追いかけられていたのが副委員長だと仮定した場合、副委員長はどうしましたか? 違反を覚悟でトカゲを撃退しましたか?」
「――しただろうな」
副委員長は即答した。違反した、と。……ちょっとだけ意外な答えだった。
「だがその前に、予防をしていただろう。そうならないように」
「予防?」
「魔女が一人いれば、使い魔くらいなら『瞬間移動』でどうとでも撒けたはずだ。学園ではクラスメイトがボディガードに付いていると聞いたが?」
あ、そうか。確かに学校内では、副委員長の言う「予防」がばっちりできていたわけか。
「それに、厳罰期間中は行動を慎むのも対抗策になると思うがな。立場を忘れてのんきにデートなんてしていたから余計な反感を買ったのではないか?」
……ありえる。ないとは言い難い。
たかがクレープ一緒に食べただけなのだが、というか乱刃にたかられただけなのだが、周囲の過剰な反応を見てしまうと、それを見ていた誰かの反感を買った可能性は大いにある。
「終わった」
そう、終わ……おお、乱刃か。
いつの間にか、俺たちの脇に乱刃が立っていた。話もせず脇目も振らずテキパキやっていたから、結構早く済んだようだ。
「ご苦労。帰っていい……なんだ?」
乱刃は、じっと、副委員長の頭を凝視する。
顔を近づけたり遠ざけたりして、仔細に観察する。
「……その飾りは趣味なのか?」
つか飾りじゃねえ。その犬耳は飾りじゃねえ。言わば身体的特徴だ。……ストレートに触れすぎだろ。
「生まれつきだが? 文句でもあるのか?」
副委員長はイラッとしたらしく、ただでさえ鋭い瞳が険しくなった。おいおい……明らかに空気が重くなったぞ。
「文句はないが、可愛いと思う」
えっ。
「……それはどうもありがとう」
俺も面食らったが、副委員長も相当驚いたようだ。予想外だったよな、今の一言は。
「触ってもいいか?」
「……いや、無理だ。これは魔力が形として見えるだけで実体はない」
「そうか……残念だ」
帰り道、乱刃に「動物が好きなのか?」と問うと。
「好き、というか……情が移ると食……いや、あまり好きではない」
明らかに「食う」的なことを言いかけたそれが気になって気になって仕方なかったが、結局そこに触れることはなかった。
だって、乱刃まで女子として怖くなったら、本当にこの環境で生きていく自信がなくなりそうだったから。
もうすぐゴールデンウィークだ。
この過酷で女子が多い大都会から逃げるようにしていったん島に帰ろっと!




