21.貴椿千歳、黄色い三角のものの正体を知る。ついでに乱刃の目的も知る
「兄弟子を殺しに来た」
予想を超えた、あまりにも非人道的な答えに、思わず俺の足は止まってしまった。
魔女狩りなんて野蛮な目的と、そう変わらないとさえ思えた。
いや、むしろ――
知らない人を殺すのと、親しい人を殺すのでは、後者の方が人としてよっぽどひどいだろう。……どちらも問題があるのは承知の上でのたとえだが。
「どうした?」
俺に気づかず数歩ほど先に行っていた乱刃が振り返る。
「いやおまえこそどうしたよ……怖いよ……」
「何が? ……ん?」
ふと乱刃が横を俺の見た。
横は――公園である。低い柵があり、植え込みがあり、子供が遊ぶような遊具もある。それなりに広いのではないだろうか。
「……」
乱刃は急にそわそわしだし、俺と公園を交互に見る。……なんだ?
「トイレか? もうすぐ部屋に着くから我慢したらどうだ?」
「そ、そうではない。むしろおまえだ、男」
「貴椿だ。……俺がなんだ?」
先の「殺しに来た」発言で心臓がドキドキしている俺がどうした。
冗談でも嫌なのに、さっきの乱刃の言葉は、態度は、どれをとっても本気としか思えなかったのだ。怖いに決まっているじゃないか。
「あやみさき、よく聞け」
「貴椿だ。なんだよ」
「星雲に聞いたのだが――」
――星雲。星雲ささめ。同じクラスの魔女である。
「く、」
く?
「く、く、くれぇぷなる西洋の菓子は、非常に甘く大変美味であるらしいと聞いている……」
くれーぷ? ……え?
「知らない。何それ?」
島にはなかった食文化だ。名前だけはなんか聞いたことがある気もするが……いや、やっぱりわからない。どんなお菓子なのか想像もつかない。
「寄りたいのだろう?」
「は? 寄る?」
「急に立ち止まり、甘いものを欲するような顔をして、物欲しげに私を見ていたではないか」
「うん、俺が物欲しげな顔をしてたか否かはあえて今は問わない。それがどこに繋がる?」
乱刃は緊張の面持ちで、小刻みに震える指で、公園を指差した。
正確には、公園の端。角の方だ。
「…?」
ただの景色としてしか見ていなかった一角――黄色い車が目に止まった。
ワゴンっていうのか? 角の丸い長方形の派手な車が止まっている。なんか祭りで見るようなのぼりが立っており、「マジカル☆クレープ」なる文字がはためく。
クレープ、だな。たぶん出店だろう。
えっと、つまり、俺が立ち止まったのはあの未知なる出店の「クレープ」を食べたいからだと乱刃は思ったと。そういうことか。
おまえの言動にビビッたんですけどね! 自分の発言に違和感とかないのかよ! 自然にサラッと「兄弟子殺しに来ちゃった」とか言っちゃったのかよ! 余計怖いわ!
「おまえが寄りたいんだろ」
しかも、俺の金で。明らかに俺の金を当てにして。
「ば、馬鹿を言うな。人を物乞いのように……私は点拳の伝承者候補だぞ。未熟であろうと一武道家として誇りがある」
へー、かっこいいですね。チラチラ出店を気にしてなければもっとかっこいいですね。
「あ、甘いものが欲しい時は、いつも花の蜜を吸っているんだ。西洋の菓子など……い、いらん……!」
断腸の想いが見えるような気迫のこもった「いらん」の声に、熱いものがこみ上げる。
田舎者ゆえ昔はよくやったが、近頃は俺でさえ、花の蜜を甘味の代用にしようなんて思わないのに……もう悲しすぎるだろ……
「いらないのか?」
「い、い、いらん!」
「じゃあ俺はちょっと行ってくるかな」
「――えっ!?」
うわ、めちゃくちゃ驚いてる。すっげえ驚いてる。初めていちご大福食った俺くらい驚いてる。
「付き合わせるのも悪いし、先に帰ってろ。じゃあな」
「待て!!」
その声は鋭かった。
まるで研ぎたての包丁のように鋭かった。
……俺は乱刃のその必死さが、余計悲しかった。
「一人だけ、そんな……許さんぞ! 私はおまえを許さん!」
「知るか」
興奮のあまり意味不明になっている乱刃に、俺は言ってやった。
「今おまえが言うことは二つに一つだ。さよならの挨拶か、俺に『クレープを買ってください』とお願いするか」
「ば……馬鹿者! かの点拳を継ごうというこの私に、物乞いをせよというのか!?」
「しろとは言ってない。お願いすれば買ってやると言っているだけだ」
「な、な、なんだと……外道め……!」
え、外道か!? わりと普通のこと言ってない!? 俺は誰かに何かしてほしい時はお願いしなさいって教わってるぞ! つか外道なんて初めて言われたわ!
「あーわかったわかった。じゃあ俺の名前を言ったらおごってやるよ」
まったく。面倒臭いやつだ。
しかしまあ、この機会にちゃんと俺の名前を憶えさせられれば、多少は溜飲も降ろうというものだ。
「……く、くれーぷをかってください……おねがいします……」
なんでそっち選ぶんだよ……
俺の譲歩案をどうして蹴った……
こいつ……そんなに俺の名前言うの嫌なのかよ! 絶対覚えさせてやるからな! 絶対諦めないからな!
「……この屈辱は忘れない……絶対にだ……!」
「俺もちょっと屈辱なんだが。そこまで名前呼びたくないとか…………まあいい。とっとと行くぞ」
ずっと苦々しい顔をしていた乱刃は、噂のクレープを一口食んだ瞬間、くわっと目を見開いた。
「なんと……こ、これは……!」
むぐむぐと小さな口で咀嚼しながら、乱刃の表情がまた険しくなっていく。……意外と見てると面白いな。普段は全然表情を変えないのに。
「お待たせしましたー。チョコレートクレープです」
「あ、はい」
ワゴンの中で作っている大学生くらいのお姉さんが、俺の分のクレープを差し出す。
黄色い三角。
先に食べている乱刃の分を見た時、俺が九王町にやってきた日に駅前で見た、女子が持っていた「黄色い三角」と、今ここで見たクレープが見事に重なった。
ただ、こちらはマジカルだが。
トッピングに使う粉……俺のはチョコチップ的なものが、輝いているのだ。文字通り光を放って。この辺が「マジカル」なのだ。ちなみに見た目が変わっているだけで味が変わるわけではないそうだ。
あざやかな黄色の薄い生地を焼き、中にクリームだのアイスだのを入れて巻く。というのがクレープという食べ物らしい。
うん、見るからにおいしそうだ。というか見る限りまずい要素がない。
「――うん、うまい」
一口かじり、納得のおいしさに頷いた。
さすが都会、こんなオシャレなのも平然と売ってるんだな。もしうちの島にあったらバカ売れ間違いな……いや、年寄りばっかだし、甘いものはあんまり売れないかな。お菓子より酒盗を欲するだろうしな。飲んだくれどもが。血圧上がるぞ。
公園のベンチに移動し、並んで座ってクレープを食べる。
見上げれば青空。
そして空を割る意味がわからない巨人。
少し風が強く、頬を撫でる空気は冷たい。しかし春らしい陽の温かさも感じられる。
――なんだかほっとする。
島にいた頃は、こうして太陽の下にいることなんてあたりまえだったのに。
しかし九王町に来てからは、太陽を浴びている時間がものすごく短くなった。
きっと気のせいじゃない。
都会の人はみんな忙しいって言うけど、もしかしたら俺も、我知らず忙しくしていたのかもしれない。
いや、まあ、そりゃそうか。
まだまだこの新しい生活に慣れた気が全然しないのだから。だから毎日を過ごすだけで精一杯だ。
きっと知らなきゃいけないこともまだ知らないし、やらなければいけないこともわかっていない。それこそ右も左も、って感じだ。
学校生活に慣れるにはもう少し掛かりそうだが……
しかし今は、気がかりを解消しておきたいところだ。
「乱刃」
「なんだ。おまえのそれを貰ってやろうか?」
あ、もうクレープ食い終わってる。きっと一心不乱に食らいついたに違いない。
「なあ、さっきの言葉ってどういう意味だ?」
「おまえがどうしてもクレープを食べたくないと言うならしょうがないから私が貰ってやろうという意味だ」
「クレープから離れてくれ。物理的にも」
熱にうなされているかのようにへろへろと俺の右手にクレープに伸ばしてきた手を、ペチリとはたきおとした。
「さっきの、『兄弟子を殺しに来た』ってやつだよ。……言葉通りの意味なのか?」
乱刃は「そのことか」と呟くと、俺と同じようにベンチの背もたれに寄りかかり、空を見上げる。
「点拳は一子相伝の拳だ。そして今現在、点拳の継承者候補が、私を含めて四人いる」
なるほど。四人な。乱刃以外の三人が、その兄弟子なわけだ。
「兄弟子の中では、私が一番末になるのだが。兄弟子たちは十五歳……義務教育の終わる年齢を迎えた後、この九王町周辺の高校に通うことになっている」
ということは……あれか。
「一番末ってことは、おまえはその兄弟子たちを追いかけてきたって形になるんだな」
「そうなる。私の師匠の知り合いがいるということで、その紹介で九王院学園に通うことになったのだ」
そうか、それが九王院学園に入った理由か。
境遇もそうだが、ここに来た理由まで俺と似てるんだな。こんな近くにこんな奴がいるとはなぁ……
「私たちはこの町で生き残りを掛けて戦い、正当なる継承者を目指す。――そのために兄弟子を殺すのだ」
空を見上げる鋭い目が、更に鋭く尖る。
「正確には、拳を封じるのだ。二度と点拳を振るえないようにな」
拳を封じる……そうか。
「それが具体的にどういう意味かはわからないが、本当に殺し合うわけじゃないんだな?」
「まあ、そうだな。殺し合いが目的ではないからな」
そっか……そうか。
「よかった」
「よかった?」
「殺さないんだろ? ならいいさ」
「そうか? ……そうか。おまえにとってはそうだろうな」
ほっとした俺の横で、しかし乱刃は厳しい横顔をしたままだった。
「物心ついた頃から拳を握っていた我々にとっては、拳は生きることそのものだ。それを封じられるということは……私には死ぬより恐ろしいことだ。失うくらいなら死んだ方がましだとさえ思う。たぶん兄弟子たちも気持ちは同じだろう」
……おいおい。重いだろ。重すぎるだろ。
「そんなに大事なのか? その、点拳っての」
「大事とか大事じゃないとか、もうそういう問題じゃない。点拳は私そのもの。私にはそれしかないのだ。点拳を取ったら私には何も残らない」
ふーん……
「大変なんだな」
「そうだな」
「食う?」
「くれるのか!? お、おまえこれ、チョコレートだぞ!? チョコレートなんだぞ!? チョコレートのクレープのおいしいやつなんだぞ!?」
いや、俺もう半分くらい食べてるし……というか俺の食べかけでいいのかって話でもあるんだが。
しかし乱刃はそんなことより甘いものが食べたい気持ちの方が強いようだ。
「そんなに欲しいならやるけど。……あれ? そういえば物乞いはしないんじゃなかったか?」
乱刃は俺の言葉を無視して、バッと奪い取ったクレープにかぶりついた。
――乱刃は肉と甘いものが好物、と。




