20.貴椿千歳、乱刃戒の目的を探る
「おい男」
「本当にいいかげん名前を覚えろ」
「……はなつまみ?」
「嫌われ者みたいに言うな! 貴椿だ、貴椿!」
つか何度も何度も言ってるのに一文字も合ってないってどういうことだ! 語感だけじゃないか! もう語感がちょっと似てるだけって感じじゃないか!
もう、本当に、絶対に、憶えるまで諦めないからな! 何度でも繰り返してやるからな!
「それより今日の夕飯はなんだ?」
「……慎みと遠慮って言葉、知ってる?」
「おい、肉が安いぞ。あれはお買い得ではないか?」
「俺の話、聞いてた?」
「細かいことは後だ。今は肉だ。あの肉をかごに入れるのだ。鮮度が落ちる前に。肉を」
……なんかすげー凛々しい顔で肉を勧めている。俺の手を取って、肉に導いている。……やめろっ、力ずくでっ、肉を……そんなっ……
「ってほんとにやめんか」
腕を振り払うと、……俺を見上げていた乱刃の凛々しい表情が、夢を壊された子供のような、絶望に満たされたそれへと変わった。
ええー……何その罪悪感を煽り立てる顔……むしろ俺の方が被害者だろ……
どうしてこうなった。
いや、どうしてもこうしてもない。
俺は野生の乱刃の餌付けに成功した。ただそれだけのことだ。
放課後、ボディガードの花雅里と橘を連れて、俺と乱刃は帰宅した。
最近はずっと帰りはこの四人である。
そういえば、花雅里と橘の家はどの辺なんだろう? 聞いていないが、いつも二人は九王荘まで送ってくれる。
案外地元なんだろうか? 多くの魔女が学生寮か、俺たちと同じように九王院学園が提供するアパートなどに入っていると思うが……
まあそれは後日聞いてみるとして。
今日は、冷蔵庫の中身が少なくなってきた俺の食料調達のために、九王荘ではなく、主婦の強い味方である地元密着型の大型スーパーの前で別れた。
一応乱刃には「先に帰るか?」と聞いたのだが、この通り付いてきている。
「一緒にいた方がいいだろう」と言って。
乱刃が買い物に付いてきたのはこれが初めてだ。
というか先週金曜日以降、外出はしても買い物には出なかったのだが。
やはりあの日が決定的だったのだろう。
四日前、カレーを食わせたあの日から、乱刃はなんだかんだ理由を付けて、夕飯はうちに来るようになっていた。
そして今、この有様である。
たぶん今日も来るつもりなのだろう。
まあ、乱刃は見ての通りかなり小柄なので、大して食べるわけでもない。別に一人分作るのも二人分作るのも大差ないのでそれはいい。
いや、正直に言えば、嬉しいのだ。
歓迎さえしている。
だから俺は強く断らない。
島にいた頃はいつも誰かしらと飯を食っていた。島の人間みんなが家族みたいなものだったから。
そんな俺には、部屋で一人で食事というのが、すごく寂しかった。
一人でいる時間を埋めるようにして島のみんなに電話をしたりして……たぶん本当にホームシックになっていたんだと思う。いや、案外現在進行形かもしれない。
そんな状態だった俺は、たとえ乱刃でも、一緒に飯食ってくれる相手がいることが嬉しかった。
来るなら来ればいい。別に迷惑ではないから。
ただ、問題は管理人さんである。
乱刃の来る日は、管理人さんも呼ぶことにしている。要らない誤解をされるのを防ぐためである。
全然意識したことはないが、乱刃は女で、俺は男だから。だから夜、部屋に二人きりになるのは避けているのだ。
しかし管理人さんも、連日のように夕飯に呼ばれるんじゃ迷惑だろう。
一度、乱刃とはちゃんと話し合った方がいいとは思うんだが……しかし聞きづらい。
もし乱刃の家が超極貧で、食費にも困るような経済状況だった場合……というか、山菜を主食にしていたような奴なので、その可能性は極めて高い。
だからこそ、乱刃は俺を本当の意味での食料源として見ている可能性もあるのだ。
困ってる女の子は助けろ、ってのが、俺が島で年寄りたちに教わったことだ。
今や世界には女性の方が多いし、魔女ならまず男より強いので守る必要もないとは思う。
が、それでも俺はそう教わってきたのだ。古臭くても構わない。どうせ俺はこの歳までまともな学生生活を送ったことのない田舎者だ。都会の常識を知らない田舎者だ。俺はそれでいい。
無理なことは無理だが、できることはしたいと思う。
第一、食べに来るのは迷惑じゃないし。
「なぜ肉を買わなかった?」
会計を済ませてスーパーを出るまで絶望感丸出しの顔をしていた乱刃が、ついに口を開いた。
「今日の夕飯はどうするつもりだ。肉のない夜などありえないだろう」
言っている意味がよくわかないが、とにかく、乱刃は肉を好んで食べる習性があることはわかった。
食肉といえば主に牛、豚、鳥の三種類がある。どれも身近で買えるものだが、乱刃はどれが好きなのだろう? どれでもいいのだろうか?
調査の必要があるな……俺はまだ乱刃の生態を知らなすぎる。
「麺があるんだよ。今日はうどんだ」
まあ肉うどんでもよかった気はするが……いやいや、残り物を消化しないとな。鰹節も残っているし。
「うどんか……」
「嫌いか?」
「……あるならあると先に言え」
あ、嫌いじゃないのか。――うどんも好き、と。
「ところで、ものすごく根本的なことを聞きたいんだけど」
「なんだ」
「今晩、来るの? 飯食いに」
「一緒にいた方がいいだろう」
「俺が約束破るかもしれないから?」
「身に染み付いたものは咄嗟に出るのだ。反射的にな。そこには故意も意図もない」
まあ、それはわかるが。
咄嗟に抗魔法ができなかったら、俺は転入初日に学園長に殺されていたかもしれないからな。
「私は言葉が苦手だ。ちゃんと気持ちを伝えることができない。だから相手に不快な想いをさせることも多いようだ」
「自覚あったのか」
「つい最近だ。橘と恋ヶ崎が教えてくれた。ちゃんと言葉を選ばないと真意が伝わらない、と」
ポツポツと語る乱刃の境遇に、驚いた。――ちなみに恋ヶ崎咲夜は、いつも輝いているので有名なクラスメイトだ。
物心ついた頃から「点拳」という拳法の修行をしていて、森の中にあるような田舎の過疎村で過ごしていたこと。
同年代の子供がいない小、中学校を経て、高校から九王町にやってきたこと。
ほとんど拳の師匠としか人と交流したことがなく、いきなり同い年が多く集う高校生活に放り込まれ、ずっと戸惑ってばかりだったこと。
――その境遇は、俺と似ている。
というかこんな身近に俺より田舎者がいたもんだ。
だが、この流れなら聞ける!
「乱刃、なんで九王院に来たんだ? 魔女じゃないし、騎士志望でもないんだよな?」
一瞬、綾辺先輩の言っていた「約束の期間が終わるまで聞かない方がいい」という忠告が頭をよぎった。
だがクラスの連中と特に揉めることなく過ごせているのだから、魔女狩りをしに来たという可能性は相当低いだろうと推測した。
何より、目的がわからないというのが気持ち悪いのだ。不気味なのだ。
そこを知らないと、俺はこれ以上乱刃と仲良くなれないどころか、信用さえできない気がする。
踏み込んだ俺の問いに、乱刃はまっすぐ前を見たまま、いつも通り答えた。
「兄弟子を殺しに来た」




