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Witch World  作者: 南野海風
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17.貴椿千歳、約束を果たす




 管理人さんに話を通してから、部屋に戻る。

 まず電気を付けて、ジャージの上を脱いで。

 それから手を洗って、カレーの準備に掛かる。


 カレーなんて特に難しい料理でもないし、元々作るつもりで材料も用意してあったので、手早く完成させた。

 野菜なんかは煮えるのに時間が必要だが、みじん切りに近いくらい細かく切って炒めてあるので問題ない。あとは煮込めばいい。

 作ったのは和風カレーなので、乱刃に渡すはずだった鰹節もちゃんと投入済みだ。


 カレーを仕込んだ鍋に蓋をして、弱火にして、簡単なサラダを用意して、それから風呂場に移動した。今日は疲れたからシャワーだけだが、湯船に浸かる代わりにしっかりと頭と身体を洗っておいた。

 本当は風呂に入った方がいいんだろうが、すでに眠いんだよな。俺の就寝時間は九時前後だから。

 たぶんバスタブの中で寝てしまうだろうから、今日はやはりシャワーだけだ。

 

 残さないようしっかり泡を落として、用意しておいたバスタオルで身体を拭きながら風呂場を出た。

 ここ数日で荷解きして整理した、衣装タンス代わりのプラケースに入れたシャツとトランクス、寝巻きにしているジャージを着て、ようやく落ち着いた。


 時々カレーを混ぜつつテレビを観て、ふと時計を見ると現在八時四十五分ちょうど。

 約束の時間だ。


 そう思った時、見計らったかのように、コンコンと外から控えめなノックの音が聞こえた。


「どうぞ」


 ドアが開き、乱刃と管理人さんが……あれ!?


「おいーす。来ちゃったー」


 その人はまだ制服姿で、たぶんついさっき九王荘に帰ってきたのだろう……いや、制服姿なので案外自分の部屋に鞄や荷物だけ置いてここに直行してきたのかもしれない。


「樹先輩、でしたよね?」


 四号室――俺の部屋である八号室の真下の部屋に住んでいる、二年生のいつき真白ましろ先輩だ。彼女はクラブに入っているので俺とは登下校時間がズレているらしく、挨拶回りの時に会ったっきりだ。

 初めて会った時も「眠そうだなー」と思ったのだが、この人は元々眠そうな顔をしている人なのかもしれない。

 だって今も眠そうな顔をしているから。目が半分閉じているというか、まぶたが重そうと言うか。


「そうだよー。カレーの匂いが私をここにいざなったんだよー」


 わかる。すごくよくわかる。どこかの家から漂ってくるカレーの匂いって、もうたまらないよね。


「さっきそこで会ったの。晩ご飯もまだだって言うから一緒に来たんだけど……やっぱり迷惑だったかしら?」


 乱刃は主賓として、管理人さんも正式に呼んだのだ。俺と乱刃が二人きりだとまたケンカすると思って。それと管理人さんには三人分の米を頼んだ。管理人さんなら『瞬間移動』ですぐ買って帰って来られるから。


 そして、一階の住人である樹先輩は、たまたま移動する管理人さんと乱刃を見つけて、付いてきてしまったと。


「作り置きして二、三日食べようと思っていたので、量はありますよ。でも米が……大丈夫ですか?」

「ええ。買い足してきたから」

「なら問題ないですね。どうぞ」


 一応皿もスプーンも足りてるしな。一人増えたくらいなら問題ない。


「あら? テーブルは?」


 あ。問題あったな。テーブルか。

 一人暮らしだし、別に誰を呼ぶ予定もなかったので、テーブルなんて空いたダンボールで代用していた。やっぱり必要なんだろうか? 下も畳だし、テーブル置くと跡が付きそうだし。

 二人三人ならダンボールでもいいかもしれないが、四人となると……もう一つ組み立てようかな?


「……こ、これが男の部屋かー……」


 ……ん?


 管理人さんに「テーブルないとまずいですかね?」と聞いている横で、急に挙動不審にきょろきょろそわそわし出した樹先輩の小さな小さなつぶやきが耳に入り、嫌でも意識させられる。


「どうした?」


 樹先輩の隣にいた乱刃も、樹先輩の様子にただならぬものを感じたようだ。

 ……どうでもいいが乱刃までなぜか制服姿である。さっき山菜を採りに行った時は、学校指定の体操服を着ていたはずだが……いや、気にするのはよそう。服自体ほとんど持っていないという可能性があるから。


「……え? あ、うん……なんでもないよ?」


 知らず俺と乱刃と管理人さんの視線を集めていた樹先輩は、我に返って、明らかに挙動不審な態度で「なんでもないよ?」と言い――その直後に飛んだ!


「――うおおおおおお!」


 ドバン!


「おい何やってんだ!」


 樹先輩は突如雄々しい声を上げ、俺がテーブル代わりにしていたダンボールにダイブし、箱を潰した。


「う、うぐおお……角がみぞおちに……」

「だから何やってんだあんた!」


 ほんとに急に何やってんだこの人は! え!? 何!? なんか意味あったの!?

 腹をダンボールの角に強打らしく、樹先輩はへろへろと立ち上がると、……眠そうな顔で振り返った。


「ご、ごめん、男の部屋なんて初めてでさ……ちょっとヘンなテンションになっちゃって……」


 なんだよそれ。

 俺、そんなこと言われて、なんて返せばいいのかわかんねーよ。


「貴椿くんも悪いんだからね」


 何がだよ。


「し、使用済みの制服を壁に掛けて……いつも使ってる布団もあんなところに置いて……」


 いや一間の狭い部屋だもん! 俺の! 九王院の制服だってあるし、たたんでる布団もあるさ! それで寝てるさ! ……つか使用済みって言うんじゃねえ!


「なんか今夜はイケるんじゃないかって思っちゃって……!」


 何がだよ! イケるってなんだよ!


 ダメだ。

 この人、なんかダメな人だ。

 俺の知らないタイプのダメな人だ。なんというか……部屋に呼んじゃダメな人だ。


「帰ってもらっていいすか?」

「ごめん。もう何もしないから。何もしないから。ねえ戒ちゃん、私何もしないよね?」

「う……うむ……」


 あの乱刃が人に気を遣ってる……というか樹先輩に引いてる……


「まあまあ」


 ほがらかに、そしておだやかな笑顔で、管理人さんが言った。


「女の子だもの。そういうこともあるわよね」


 ……え? こういうことも、あるの? よくあるの? 普通に? これ普通? 普通なの?


 フォローの言葉も気になったが……俺にはもう、これ以上何か言うのは、ちょっと、ためらわれた。

 早くカレー食わせて帰ってもらおう。

 それがいいだろう。

 うん、それがいい。


 ……都会の女子って、本当にわからん。

 むしろ、思いっきり変で愛想がなくていつも不機嫌そうな乱刃の方こそ普通なんじゃないか――そんな風に思わせるくらい、都会の女子がわからない。





「――テーブルないの? じゃあ私が用意しちゃおうかなー。ダンボール潰しちゃったし。戒ちゃん、その使用済みのダンボール片付けてくれる?」

「う、うむ」


 樹先輩は、己がダイブして潰したダンボールを片すよう言い、やはり眠そうな顔でブレザーのポケットの中から……木、か? キューブ状の小さな木片のようなものを取り出す。


「ほい、『成長』」


 右手に乗せた木片が浮き上がり、木片と掌の間に青白く輝く魔法陣が展開する。

 すると――木はむくむくと形を変える。

 まるで液体のように。

 木目を曲げたり伸ばしたりして。

 質量が膨張し、木だったモノは樹先輩の手からこぼれ落ち、畳の上でうねうねとうごめき――


 ポケットに収まる指先程度だった木が『変化』し、『成長』する。

 見る見る内に、それは木の温かみを感じさせる、充分な大きさを持つ切り株のようなテーブルに早変わりした。


「これでいいだろー。早くカレー食べよーよカレー。……男の手料理の」


 さすが九王院の二年生。見事な魔女っぷりである。変だけど。





 そんなこんなで一悶着あったものの、早々に夕食を出した。早く食わせて帰ってもらおうという気構えで。


 「「いただきまーす」」と手を合わせ、早速カレーを一口。


「お!」

「あら」

「……」


 うん、なかなかおいしくできてるな。さすが我が島の鰹節、品と質の良いダシが出ている。


「甘口だけどおいしいねー。やるじゃん」

「恐縮です」

「いい男子力だ。貴椿くんはいい婿になりそうだねー」

「恐縮です」


 でも婿入りはちょっとなー……いや、籍はこの際もういいとして、一緒に島で暮らしてほしいんだよなー。


「私の婿になる?」

「なりません」

「なればいいじゃない」

「なりません」


 樹先輩にはわずかにも気を許しちゃダメだ。絶対にダメだ。


「かつおの?」

「はい、和風カレーです」

「いいわね。やっぱり意図してお肉を入れなかったの?」

「ええ。代わりに魚介を少し」


 管理人さんは料理をするから、聞くことが違うな。……今度ちょっと得意料理とか聞いてみようかな。俺なんて簡単なものが普通に作れる程度だからな。決して上手い方ではない。


「しっかし男子の手料理なんて初めてだわー。女の夢だわー。これが幸せの味かー」


 いえ、ただのカレーの味です。


「管理人さんは? 初めての男の手料理?」

「遠い昔に……いえなんでも」

「昔はツバメを飼ってたんだねー」

「ごほごほごほっ! んっ、んんっ!」


 管理人さんがなんか咳き込んでいるが、それより気になるのは乱刃だ。

 一口目を食べてから、乱刃が動かなくなった。……我ながらよくできたとは思うのだが、乱刃の口には合わなかったのかもしれない。


「あれ? どうした?」


 樹先輩がフリーズしている乱刃に気づき声を掛ける。


「……い」

「ん?」


 小声過ぎてなんて言ったのか聞こえなかった。だが確かに何か言った。


「なんだって?」

「か……からい……」

「「えっ」」


 俺と管理人さんと樹先輩の声が重なった。


(甘く作ったんだけど)

(甘いよね?)

(甘いと思うけれど)


 視線だけで思考が通じる。それほどまでに乱刃の反応は意外すぎた。

 元々、女の子相手に出すということを想定して、結構甘口で作ったのだが。たとえ相手が乱刃であろうと、今回は乱刃のために作ったのだ。物足りなくならないようにスパイスは効かせたけど、全然辛くはない……と俺の舌は言っている。

 しかし、それでも乱刃には辛かったらしい。


「ちょっと待ってろ」


 俺は冷蔵庫から地卵を一個出した。卵かけご飯用の生で食べられるやつで、それを乱刃のカレーに落とす。


「混ぜて食え。これで大丈夫だと思う」

「……」


 「なんてものを食わすんだ」とでも言いたげな真っ赤な顔で恨みがましく睨まれたものの、乱刃は何も言わず卵を混ぜて、二口目を口に運んだ。


「……気をつけろ」


 ポツリとつぶやくと、乱刃のスプーンは止まることはなかった。





 カレーとサラダは綺麗になくなり、女子たちは帰った。

 ……若干樹先輩がぐずったものの、管理人さんが連れて行った。


「…………」


 この残された切り株テーブルは、どうしたらいいんだろう。布団敷くのに邪魔なんだが……

 動かそうにも持ち運びできるような重さじゃないし。樹先輩に取りにこさせるしかないだろうか。案外抗魔法アンチマジックで戻せそうな気もするが、今は使えないし。


 ……まあ、いい。

 樹先輩を呼ぶのは気が進まないし、第一もう眠いから、それは後日考えよう。





 ――この切り株が後にドラマを生むのだが、『予知』なんてできない俺は、当然それを知ることはなかった。











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