169.それぞれの一週間 4
「あら」
「……なんだおまえか」
なんだとはなんだ。
いきなりご挨拶な返答だが、今はそういうことを言っている場合ではないようだ。
「その様子だと、本当なのね?」
噂を聞きつけて髪の巻きもそこそこにすぐ飛んできたが、この反応を見るだけで確信を得た。
――噂は本当だった、と。
「詳しく話しなさい。場合によってはこの防宗峰竜華が動くわ」
防宗峰は大企業にして日本有数の財閥で、そして日本屈指の騎士の家系である。
「四神の守り手」、「服部一族」、「天草之印」、「日輪月光」ほど古くから連なる家ではなく、およそ百数年ほどの浅い歴史があるだけの、老舗と比べるなら成り上がりと評される家だ。
だが、基盤は深い。
独自の騎士――魔除けの技の数々は、戦乱さえ生き抜いてきた「竜閃」と言われる古武術が下地となっている。
とある居合いの流派が発祥とされているが、皮肉にも源流の居合い流派は廃れている。
竜閃。
簡単に言えば「素手で物を斬る」という、ミリ単位を競う繊細な体さばきと神速を求める流派だ。
そこに陰陽道の魔除けの技術を取り入れ、まさに「魔法を切断する拳」と昇華した。
「お茶だ。飲め」
「……あ、はい」
非常に色の薄い……淡く、ほんのり、心ばかりに黄色くなっている……緑茶?のようなものを出され、防宗峰竜華は一瞬皮肉か嫌味か、とにかく歓迎してない旨の意思表示かと思ったのだが。
自分の隣に座る、自身の護衛である早良睡蓮にも、同じ飲み物が給されている。
更に言うならそれを出した自分にも同じ緑茶っぽいものを用意してある。
これは皮肉でもなんでもなく、本当にただ普通にお茶?を出されただけなのだろう……と考え、一瞬出かかった文句を飲み込んだ。
「――うん、薄い緑茶ですね」
防宗峰竜華の戸惑いを察知したのか、早良睡蓮は毒見がてらとばかりに早速お茶に手を付け、愚直なまでにストレートな感想を漏らした。
「私は貧乏なのだ。これは三回目の茶葉だな」
三回目。
財閥の娘であり、これまで金銭には不自由したことがない防宗峰竜華には、なかなか衝撃的な極貧生活だ。
寮部屋の一室……まあ学校が管理しているアパートの一室なので、部屋自体はそんなに気にはならない。
寮の部屋ならこんなものだろう。
気になることと言えば物が少なすぎることくらいだ。
ドライヤーはないのか。
衣裳部屋とは言わないが衣装タンスはないのか。防宗峰竜華の生活必需品はここにはないようだ。
この部屋の主――乱刃戒は小さく溜息を吐いた。
「千歳がいれば、もう少しましなものを用意できたのだが……」
そう、衝撃を受けている場合ではない。
「それよ。貴椿千歳は本当に誘拐されたのね? その時、あなたもいたのよね?」
――驚くべき噂を聞きつけ、先ほどこの部屋の隣……貴椿千歳の部屋を尋ねたのだが。
無人で、代わりにその隣人・乱刃戒が対応してくれた、というのが現状である。
先日ホテルで初対面を果たした時とは、別人のように覇気のない表情。
小さな身体がより小さく見える態度。
覇気どころか元気もないし、活力も感じない。
「本当だ。あの時、私も近くにいた」
――おまえがついていながらどういうことだ、と。何をしていた、と。
噂を聞いた時は怒りに任せてそう言いたかったし、今日もし乱刃戒に会うことがあれば絶対言ってやろうと思っていたが……
露骨にシュンとしている本人を前にしたら、言いたい気持ちが失せてしまった。
「詳しいことは私にもわからない。私も後から、千歳がさらわれたと聞かされた。気が付いた時にはすべてが終わり、解散命令が出ていた。……私がわかっているのはこれだけだ」
大規模な作戦と戦闘が行われたのは知っている。
その現場に、貴椿千歳や乱刃戒が、騎士として参加していたのも把握している。
これくらいの大まかな流れは、防宗峰竜華も聞いている。
問題はこの先、なのだが。
しかし今、現地にいた乱刃戒からも、よくわからないという情報しか得られなかった。
「なんでもあの時は、あなたは召喚獣と遊んでおられたとか」
早良睡蓮が穏やかに針でつつくと、元々気の抜けた風船のようだった乱刃戒から更に空気が抜けた。
「うむ……かなり遊んでいた。楽しかった。千歳のことなど忘れてしっかり遊んでいた。楽しかった。……今はそれが悔やまれる……」
こんな、誰が見ても落ち込んでいる奴を、どうしてこれ以上責められるだろう。
「楽しかったのだ」
それはもういい。
いや、責めるより何より、前提が少し間違っている。
「でも敵の魔女たちの前に立ったのは、貴椿君の意志だったのでしょう? 自分から率先して接触したと聞いておりますが」
ならば守られるだけの誘拐も自己責任でしょう、と早良睡蓮は正論を言う。
そう、行動だけ見れば、貴椿千歳は無謀だったのだ。
自ら進んで危険に立ち向かった挙句に誘拐されるなんて、間抜けもいいところだ。
たとえ、誰かを守るための時間稼ぎに出たのだとしても。
そういうのは自分が無事生還して、はじめて成功したと言えるのだ。
誰かを守る前に、自分を守れない奴が何を守るというのか。
「友を守るのに理由がいるか? 道理なくば何もできないわけでもあるまい」
しけた顔をして気が抜けている乱刃戒だが、しかしそれもまた正論である。誰かを守りたい、何かをしたい、に明確な理由や動機などいらない。
「……して、竜閃の。例の件はどうなったのだ?」
「例の件?」
乱刃戒からめぼしい情報が得られないとなると、次はどうするか――と、すでに心ここにあらずだった防宗峰竜華は、質問の意味も意図もわからない。
「千歳と婚約するとかしないとか言っていなかったか?」
「ああ、それね。まだ何も決まってないわ」
その辺の話をするために、近々話す機会を作ろうと思っていた矢先の誘拐事件である。
あの桜好子蒼が関わっている以上、あの婚約の話をただの冗談だの自然消滅だの、そういう適当な処置はできない。
こういう案件を曖昧なまま、あるいは自然消滅のまま置いておくと、後の人生で大きな障害になりうる。
たとえば防宗峰竜華の結婚問題や、防宗峰本家の跡継ぎ問題に関わってくる可能性がある。
望ましい結婚をする時に邪魔な布石になったり、逆もまた然りだ。
本人たちにとっても迷惑にしかならない。
だからきちんと解決しておかねばならない。
――更に言うなら、今現在。
現在、あの手紙の存在が防宗峰本家に知られ、そこそこの騒ぎになっている真っ最中だ。
防宗峰竜華の婿の座を狙っている分家や親戚、よその名家やゴシップ好きの社交界に防宗峰を蹴落としたい金持ち連中なども、しっかり聞き耳を立てている。
まだ具体的な動きはないが、その辺の諸々の処理をするために奔走することになるだろう。夏休みは忙しくなりそうだ。
ちなみに防宗峰本家は、少し乗り気である。
あの桜好子蒼と縁が結べるなら、竜華の婿――貴椿千歳を防宗峰の婿に迎え入れてもいいと。
防宗峰は騎士の家系だが、成り上がりらしく古き慣わしや掟に縛られない。
たとえ政略結婚でも、高レベル魔女と親戚関係になれる機会を逃す手はない、という意見が強い。
……まあ、あの手紙は、正確に言えば防宗峰の家にのみ当てられたものではないが。
「そうか。……そうか。まあ、千歳なしでは決まるものも決まらんか」
そういうことである。
「二つ、私の推測を聞いていただけますか? その上で質問があります」
防宗峰竜華はすでに次の手を考えているが、早良睡蓮はまだ乱刃戒に聞きたいことがあるようだ。
考えるだけなら後でもできる。今は対話に集中するべきだ。
「まず一つ目は、当時の貴椿君の行動です。
聞いた話によれば、彼はなかなか優秀な騎士見習いだそうですね。そして誘拐されたと思しき時、あなたは彼の傍にいた。
話だけ聞くと、やけにすんなり誘拐されたようです」
そう――そこは防宗峰竜華も気になっていた。
「戦闘の痕跡がないのよね?」
「ええ。事実だけ考えれば、間違いなく敵と貴椿君は戦っていない。だから近くにいた乱刃さんも、貴椿君が誘拐されたことに気づけなかった」
言い換えれば、こうなる。
「貴椿君は抵抗しなかったんじゃない? 戦うことは絶対にしてないだろうし、何なら自らの意志で敵と一緒に行った、……と考えるのが自然だわ」
「…………」
乱刃戒はシュンとしたままお茶をすすった。
「そうかもしれないな。近くにそういった場の揺らぎがあれば自然と感じ取っていただろう。千歳が抵抗したり戦ったりしていれば、ある程度は見なくても状況を把握できたはずだ。助けにも行けただろう。
だが、事実がどうあれ、千歳はいない」
なかなか重症のようだ。
「ではもう一つ。あなたは犯人の顔を見ましたか?」
「見た」
即答で帰ってきたのは意外な答え――とも言いがたい。魔女の顔や形などいくらでも偽れる。
「そのことを誰かに質問されましたか?」
「されてない。私は解散命令を聞いただけだからな。何かしらの報告や……それこそ千歳に具体的に何があったのかも聞かされていない。気が付いたら誰もいなくなっていた」
ならば確定だ。
「お嬢様、貴椿君は潜入していますね」
「そうね」
間違いない。
果たして貴椿千歳と作戦の指揮官が、どこまで打ち合わせしていたのかはわからないが、解散なんてしていない。
今も作戦は続行している。
内外に向けた作戦終了という体を取り、潜伏しただけにすぎない。
余計なもの――必要ない人員や施設を外した上で。核となる司令塔は密かに機能しているはずだ。
段々と真相が見えてきた。
作戦の指揮官は、貴椿千歳が騎士見習いとしては破格の実力を持っていることを知っている人物。先日の騎士道検定試験に、何らかの形で関わっていた人物である可能性が高い。
世間一般にも広まっていた無差別性別転換現象という騒動の、方々の沽券や面子に関わる失敗できない作戦の指揮を取るに足る立場で、多くの魔女を手伝いに使えて、思い切って「仲間を誘拐させる」なんて手段も講じる思い切りのいい人物といえば……
まあ、結論を急がずもう少し調べてみたいところだ。
少なくとも、貴椿千歳は「納得した」上で誘拐されている。納得できなければ抵抗したはずだから間違いないだろう。
ならば、彼の心配は、そんなにいらない。
作戦の上でなら、何かしら保険も掛かっている可能性も高いし、外野が余計なことをすると、逆に彼を窮地に追い込むことになりかねない。潜入捜査とは基本的に接触厳禁だ。
今すぐ動くべき案件ではない、だろう。もちろん調べは進めるつもりだが。
「見た目に特徴はなかったな。おまえのように猫耳でも付いていればわかりやすかったのだが」
早良睡蓮は高レベル魔女なので、魔力の可視化現象で猫耳が生えているように見える。
「魔女の見た目なんて当てにならないわよ。それも犯罪者となれば、まず姿を変えているわ」
「…? そうでもなかったぞ」
防宗峰竜華の言に、乱刃戒は目を伏せ、まぶたの奥にあの時のことを思い出す。
「魔法による不意打ちが怖いからな。しかと見ていた。少なくとも、肉体に魔法を使用している気配はなかったぞ。まあ暗かったからはっきりは見ていないが」
それは仕方ないだろう。乱刃戒は顔や姿ではなく、魔力の動きを見ていただけから。
――しかしそれは、防宗峰竜華らにとっては嬉しくも喜ばしい新情報である。
「何か思い出せない? なんでもいいわ」
「まるで刑事のようだな」
言ってみて自分でも思ったが、今はそんなことはどうでもいい。
「さっきも言った通り、暗くてよくは見ていないのだ。顔どころか姿形も曖昧だ。敵と思しき魔女は四人いたはずだが、目に付いた特徴といえば――一人だけ目が青く輝いていた奴がいたな。暗い中でも印象に残ったということは、きっとかすかに目が発光していたのだと思う」
目が、青く、輝く。
防宗峰竜華と早良睡蓮は顔を見合わせた。
その特徴、その魔力の可視化現象は、恐らく「時鋏」――
「そろそろお暇しましょう、お嬢様」
「ええ」
思いもよらぬビッグネームと繋がってしまった。
このまま関わっていいのかどうか、判断に困るレベルの名前だ。
防宗峰の名にかけて、このまま手を引くことはできない。
が、少なくとも、こうして表立って「調査している」という体を取ることはできなくなった。
いつでも無関係を主張できるように、保険はかけておくべき案件だ。
ここから先は、現当主――竜華の祖父に判断を委ねるのがいいだろう。
瞬時にそう判断したお嬢様と従者は同時に立ち上がり、さっさと引き上げることにした。
「――ああ、乱刃さん。これを」
「…? なんだ?」
客が帰る、と言ってもぼんやりお茶を見つめていた乱刃戒が、緩慢な動きで早良睡蓮を見上げた。
「貴椿君への手土産でしたが、彼には会えずあなたの家にお邪魔しましたので。よろしければどうぞ」
防宗峰の親戚がやっている菓子ブランドの菓子折りである。そこそこの高級品だ。
「ああ……別にいらないが」
「まあそう言わずに。情報料とでも思ってください」
と、早良睡蓮はテーブルに菓子折りを置き、一礼した。
「では失礼します。またいずれお会いしましょう」
すっすっと機敏な動作で、早良睡蓮はさっさと部屋を出て行き。
あとを追おうとした防宗峰竜華は……ふと足を止めた。
「そこまで落ち込むこと? 貴椿君が誘拐されたのは、あなたのせいではないと思うのだけれど」
誰のせいかと言えば、犯人のせいだ。これは間違いない。
だが、次に悪い者を指せと言うなら、それは貴椿千歳だろう。
自ら危険に立ち向かっておいて、被害者だなんだとは本人も言わないだろう。
ましてや、乱刃戒に守ってもらう気まんまんだった……とも思えない。
そう考えると、乱刃戒が必要以上に落ち込んでいる理由がわからない。
物事の道理がわからない性格でもなさそうだし、頭が悪いという印象もないし。
「うむ……」
乱刃戒は腕を組んだ。
「はっきりはわからん。自責の念に耐えかねている、というわけでもない。全部が全部自分のせいだと抱え自惚れられるほど、私は強いわけでもないしな。千歳が誘拐されたこと自体は割り切れている、と思う」
ならばなぜだろう。
「――ただ、千歳がいない。どこにもいない。それだけがつらい。この気持ちはなんなのだろうな。何もやる気にならん」
…………
「邪魔したわね」
――その疑問に答えを教えてあげるほど、防宗峰竜華は優しくも甘くもない。




