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Witch World  作者: 南野海風
169/170

168.それぞれの一週間 3







「――起きろ委員長! 緊急事態だ!」


 花雅里明日の朝は早い。

 だが、今日はいつもの時間より早く、直接(・・)起こされた。


「――不法侵入で訴えますよ」


 寮の自室である。

 寝相もよく、ベッドでタオルケットを帯びて寝ていた花雅里かがり明日あしたは、ものすごく不機嫌そうな声を発しチラリとまぶたを開いた。


 かれこれ三年も魔女の住む町にいるのだ。

 不法侵入くらいわりとよくあったし、今もそこそこ普通にある。

 こうして今日もあったし。

 今更プライバシーガープライベートガーなどと過剰に反応する気もすっかり失せている。


 魔女なりのこだわりというか、さすがに立場を弁えているのか、魔女の部屋以外の侵入は決してしない。

 そのせいで問題提起しづらいのも確かだが。

 たとえ正当な訴えでも、「魔女なら自分の力でどうにかしろ」と切り捨てられることも侭あるのだ。魔女の世界も決して楽じゃない。


 まず相手を確認。

 花雅里明日のクラスメイトの三動王夢幻だ。

 付き合いこそ高校に上がってからだが、九王院学園中等部からお互い顔くらいは知っている仲だ。そして彼女が部屋まで来たのは初めてのことだ。


 義理堅く、礼節を忘れず、しかし堅すぎない。


 そんなイメージを持っていた三動王夢幻の突然の来訪である。

 彼女の言う通り、緊急事態が起こったのだろう。


 決して男にフラれたとかお金を使いすぎて食費がなくなって泣きついてきたとか好きな芸能人が結婚して泣きながら愚痴りに来たとか「魔女水」で酔っぱらって乱入してきた、などということはあるまい。


「貴椿が誘拐された!」


 ――若干残っていた眠気が、一瞬にして吹き飛んだ。


「なるほど。それは間違いなく緊急事態ですね」





 花雅里明日の朝は早い。

 冬は暗い内に起きるし、夏は空の彼方が染まる頃に起きる。起床したら柔軟体操して走りこみをするのが中学からの日課だ。


 時々どこぞのクラブに混じって朝練をこなすが、特定の武道やスポーツをしているわけではない。

 「健全な肉体には健全な精神が宿る」という、月並みだがわりと真理を感じる言葉を実感し、信じているからだ。


 花雅里明日。

 貴椿千歳が席を置く九王院学園高等部1年4組の委員長で、クラスの代表。


 彼女の朝は、一杯の牛乳から始まる。


「――で、ついさっきまで――」


 少しだけレンジで暖めて常温程度にした牛乳を、ゆっくりと飲みながら三動王夢幻の話を聞く。


 「誘拐される」なら急ぐ必要があるが、すでに「誘拐された」のだ。ならば今は下手に焦って動くより、状況の確認をしてから手を打つのが正しい。


 彼女は、由緒正しき家庭……古くから存在する名家とも言える上級階級・花雅里家に生まれた娘で、小学校高学年の頃に魔女となった。

 花雅里家は名家ではあるが、魔女を出したことはなく。


 つまり、花雅里明日が一族にとってはじめての魔女だった。

 そして誰も予期せず、急に一族の期待を担う存在になってしまった。


 世間一般には、まだ日本における魔女の意識は排他的な傾向にある。

 芸能界で日々活躍する魔女タレントも育ってはいるが、まだまだ偏見の色も強い。

 どこででも生きていける世の中とは言いづらく、だから「魔女の集まる町」ができた、という背景もある。


 しかし、上流階級では違う。


 魔女は繁栄の種。

 魔女は実力の証。


 誰がなんと言おうと、たとえ魔女に対して誰がどんなけちを付けても、その事実は揺るがない。


 実際、魔女が生まれたことで、政界や財界、世界に進出した家は多い。

 具体的に名を上げるなら「御門森みかどのもり(現在では空御門そらみかどと改めている)」、「時鋏ときばさみ」、「歌南かなん」辺りが有名だ。かの家は魔女の力で大きくのし上がった。


 そして「魔女がいない家」は、少しずつ力が衰えていくのだが、それに抗うように「騎士」という力を磨き始める家があった。

 先日の騎士道検定で猛威を振るった防宗峰竜華――「防宗峰ぼうそうみね」の家系は、代々優秀な騎士が家を継ぎ今日に至る。

 「魔女はいないが力ある家」として、各方面で影響を与えている。魔女の活躍に負けないほどに。


「最近起こっていた性別転換現象の原因、そしてその黒幕……貴椿君はその人たちに連れて行かれたわけですね?」


 細かい部分もちゃんと聞くが、まず概要だけ耳に入れた。


「……なら、現状打てる手はなさそうですね」


「な、なぜだ!? 今すぐ助けに行かないと!」


「気持ちはわかりますが、出る幕がないです」


 話を聞けば、大規模な作戦の上で貴椿千歳は連れて行かれたそうだ。

 現場でも、今でも、相当腹に据えかねているのか、「北乃宮のオヤジが見捨てた」と何度も強調されたが。


しかしそれはどう考えても――


「大規模な作戦の上に動いていたのなら、貴椿君の……というか、犯人の動きは追跡されているはずです。その用意をしてあったはずです。行き当たりばったりの戦闘ではなかったのでしょう?」


 ならば罠も監視もやりたい放題できたはず。

 いや、もっと言うなら、むしろ「勝たなくていい戦い」だ。


 現場では苦戦するなり追い込むなりして、「相手をわざと逃がしてアジトを突き止める」という手段が取れる。事前に準備できるなら、花雅里明日ならそういう手を打つだろう。


 しかも、聞けば警察機関も動いているらしい。

 なら、どんなに敵が凄腕の魔女であっても、そう簡単には振り切れないだろう。時間は掛かるかもしれないが、必ず居所を突き止めるはずだ。


「貴椿君は『見捨てられた』のではなく、一つの駒として敵陣に潜入させた……という作戦上の判断では? 私はそう思いますが」


 これで貴椿千歳が普通の男子であるなら話は別だが、彼は間違いなく腕のある騎士見習いだ。

 先日の騎士道検定試験のあれこれは、花雅里明日も聞いている。同じクラスの友達として。友達以上恋人未満の関係として。……いや無理があるか。クレープデートだけではまだ遠いか。


「……」


 三動王夢幻は難しい顔で腕を組む。


「……そう、かもしれない」


 思えば、北乃宮・父の判断の早さや、「見捨てた」なら貴椿千歳のことなど無視して主戦力を投入する、という手も打てた。


 判断材料は少ないが、少ないそれらは花雅里明日の推測に反していない。


 ――だが納得はいかない。それとこれとは話が別だ。


「連れて行かれた先でどんな目に遭うかわからないんだぞ。今頃はひどい扱いを受けているかもしれない」


「それは否定しませんが……」


 しかし最悪のケースだけは免れているのは、不幸中の幸いとも言える。


「――今は男子じゃないですからね」


「――ああ。その点だけは救いだな」


 奇しくも、今の貴椿千歳は、女子である。


 もし貴椿千歳が男の身体だったら、色々と危なかった。

 貞操的な意味で。

 誘拐なんてする魔女に理性だ常識だ犯罪だなんて期待できたものじゃない。

 スケベな魔女どもがいたいけな男子に何をするか、もう考えただけで興奮……怒りの感情を抑えきれない。抑えきれないのである。


「まあとにかく、作戦上の判断だったのなら、私たちが下手に動くと台無しにしてしまう可能性があります。三動王さんの気持ちは痛いほどわかりますが、行動を起こすのはまずいと思います」


「……そうか。そうだな。作戦を邪魔するってことは、突き詰めれば貴椿の身も危ないもんな」





 魔女に覚醒しなければ。

 花雅里明日は普通に名門校に通い、そこそこの家の子息と婚約し、家名を傷つけない程度に大人しく生きて生涯を終えたのだろう。

 本人もそう思っていたくらいなのに。


 魔女として覚醒してから生活は一変し、今では将来の見通しがまったく利かない状態になった。


 両親はそうでもないが、遠い親戚から古くから付き合いのある家から。

 花雅里家を「魔女のいるエリート名家」にしたいという露骨な欲望と野心が、見通しのよかった花雅里明日の未来を大きく曇らせた。


 幼稚舎から大学までエスカレーターで進める名門女子校から、魔女の集う中学に編入させられ寮生活に。

 自分の与り知らないところで「お見合い」だの「許婚候補」だのが勝手に決まり、魔女の世界にも慣れていなかった花雅里明日は色々と戸惑うことが多かった。


 挙句、中学二年の帰郷で、四十過ぎた親戚の叔父に既成事実がどうこうと襲われる始末だ――「魔女なら自分でなんとかしろ」が身についていたのか、慌てず騒がず裸にして表に放り出してやったが。

 たかが魔よけの護符一枚で魔法を完全に防げると思っていた、おめでたい叔父がその後どうなったかはわからないし、知りたくもない。


 まあそれ以来、花雅里明日はもう家のことはあまり考えないようになったが。

 家に尽くそうが受け入れようが、どう考えても周囲は花雅里明日の幸せや意志より、自分たちの利益を優先しているから。

 それがわかって尚大人しくしていよう従おう、なんて思えるほど「いい子」ではないつもりだ。


 ――魔女も人間だ。


 楽しければ笑うし、怒れば肩パンもする。

 普通に恋愛に憧れて、普通に恋もするし、普通にフラれて泣き喚いたりする。花雅里明日だって周囲の恋愛成就の率が極めて低いことに溜息を吐いたりもする。


 全てを魔法で問答無用に解決する、なんて無茶はしない。

 魔女という存在に偏見を持っていた花雅里明日は、この町で過ごした三年間で、よくわかっている。

 学友も級友も気に入らない先輩後輩も、ただ魔法が使えるだけの人なのだと。


 ただただ不快なだけだ。

 魔女を出世や利益を得るための道具のように見られると。


 自分の将来は自分で決める。

 級友たちより少しだけ早く、精神的な自立を果たした花雅里明日に、信を置く者は多い。


 今回相談を持ち込んだ三動王夢幻も、少なくとも多少の信頼はあるのだろう。


「――一週間、様子を見ましょう」


 止まった話を進めたのは、花雅里明日だ。


「その間に情報を集めます。敵の魔女のことや作戦のことを聞きに行きましょう。もし何も教えてもらえないようなら、その時は」


「その時は……やるか?」


「ええ。クラスメイトを巻き込まれたのに何も知らないまま関わるな、では私も納得できませんから」


 一年四組総員で当たれば、なんとかなる。

 十人以上の魔女が集えば、それなりの奇跡は簡単に起こせる。なんとか策を練って貴椿千歳奪還に向けて動くことにしよう。


「テストもありますから、今皆に話すのはまずいでしょう。三動王さんもちゃんとテストは受けてくださいね」


「……あ。そういや期末があったな……」





 信じないわけではなかったが、本気で実感が湧いたのは、担任の教師から「貴椿君は家の都合でしばらくお休みします」と告げられた時だった。

 いつもそこに彼の姿が、ない。


 ――誘拐されたのだ。本当に。


「……」


 花雅里明日は、久しぶりに腹が立ったことを自覚した。








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