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Witch World  作者: 南野海風
167/170

166.それぞれの一週間 1






「……え?」


 長い長い沈黙のあと、誰かがようやく、それだけ口にすることができた。


 ホテルの大部屋を貸し切って事件に当たっていたこの場には、十名以上の人がいる。

 半数以上が魔女である。

 それも入念に打ち合わせをし、いざという時のために待機を言いつけられている高レベル魔女だ。いわゆる隠し玉、主戦力である。


 そして、信じられないものを見るような視線を集めていた司令塔が、動いた。


「君たち、今日はご苦労だった。解散だ」


 和装の男、北乃宮(きたのみや)岳生(がくしょう)。彼を中心に、今回の「性転換現象」の調査に解決にと奔走していたわけだが。

 ここに来て、まさかの解散宣言が出た。


 まだ何も解決していない。


 いや、それだけならまだいい。


 先ほど電話で交わされた会話から、事件は更に深刻になった、ような、気がする。

 だから皆、信じられないものを見るような目で北乃宮岳生を見ているのだ。


「――質問があります」


 夕方から夜に変わろうとしている空のようなグラデーションが掛かった髪が印象的な、九王院学園生徒会長・空御門神久夜の声が、沈黙を切り裂いた。


「今の電話から察するに、よもや誰かを見捨てましたか?」


 そう、「たった一人のために交渉に応じる気はない」だの「好きにしろ。その覚悟があってここにいたのだ」だの、「だから好きにしろ。どこへなりとも連れていけ」だの。

 背景に「人質が取られている」ことが伺える北乃宮岳生の発言は、到底無視できるものではなかった。


 しかも、その「人質」と思しき人物は、空御門神久夜を含めて九王院学園の者には馴染みが、あるいは記憶にある人物だと言うのだから。さすがに口出しせずにはいられない。


 すると司令塔は事も無げにうなずいて見せた。


「ああ、見捨てた。歩のために王が出ることなどなかろう」


 将棋でのたとえは、わかりやすいことはわかりやすい。それはそうだろう。歩一つのために王が出て、敗北というリスクを発生させるわけにはいかない。というかその必要がない。


 ただし、将棋ならばの話だ。

 現実では駒は人、命、意思のある人間。


 理解はできても、納得はできかねる話だ。


「――」


 誰かが息を呑み、ガギと妙な打撃音がした瞬間には、すべてのことが終わっていた。


 瞬時に膨れ上がった、尋常ならざる黒い殺気。

 殺気は『瞬間移動』も真っ青なほどの猛スピードで、北乃宮岳生へと肉薄し――


「……」


 その直後、空御門神久夜がふわりと宙から舞い降りた。


 刹那。

 一秒満たない間に繰り広げられた奇妙な現象に、付いていけていた者は少ない。


 いつの間にか北乃宮岳生の前に立ち、片腕を上げて防御体制を取る女性は、彼の護衛の千である。上げた左腕は黒く染まり――腕を鉄塊へと変化させていた。


「間に合いました?」


「……」


 空御門神久夜の問いに、千は何も言わず下がった。腕をさすりながら。


「どうやら間に合わなかったようだな」


 そんな千の代わりに、北乃宮岳生がそう答えた。


「そうですか。運がなかったですね」


 心の中で「『0.5秒ほど先見』したのに自分は間に合わなかった」と呟く。

 あまりの攻撃速度に、空御門神久夜は仕掛ける前に止めることができなかった。未来を予見して尚できなかった。だから攻撃の最中に割り込んだ。

 むしろ今の速度を防御できただけでも、千の反応速度に驚きを禁じえない。


 ――それほどまでに怒り狂ったのだ。彼女は。


「先ほどのは、三動王か。……なるほど、将来有望な騎士だな」


 そう、今まさに北乃宮岳生の采配に怒り、仕掛け、飛び掛って攻撃を当てた瞬間に強制退場の措置が取られたのは、九王院一年生の三動王夢幻だ。


「今の何?」


「三動王がキレたみたい。まあ気持ちはわかるわ」


「捨てられたの、貴椿くんでしょ? 確か同じクラスだよ」


「ああ、そりゃキレるね」


 遅まきながら状況を理解した魔女たちが、三動王夢幻の凶行より、司令塔の判断に反感を持っている。


 空御門神久夜も気持ちは同じだ。

 三動王夢幻を止めるために外に「飛ばし」はしたものの、別に北乃宮岳生の身を案じての行動ではない。


 むしろ反感があるから止めた。


 あんな殺気を放って、あんな速度で木刀を振るえば、本当に殺してしまうから。彼女を犯罪者にしないために退場させた。


「皆さん、解散しましょう」


 ただ、空御門神久夜は内心の反感を飲み込むのは簡単だった。


 仮にも四神の守り手と呼ばれる北乃宮の当主である。

 ただ何かを切り捨てるだけの判断を下すわけがない、と。


 たとえ世襲であろうと、そんな無能が務められるほど、四神の守り手という要石は軽くない。


 ――もしもの時は、生徒会長として、己が動けばいい。

 そして、もしこれから何もしない、何もできない無能であれば、上申するだけだ。

 北乃宮の現当主は四神の守り手にふさわしくない、と。





 不平不満たらたらの魔女たちが引き上げると、室内に残ったのは四名になった。

 北乃宮の当主とその息子、そしてそれぞれの護衛。


 北乃宮岳生は、己の護衛に目を向けた。


「大丈夫か?」


「折れました」


 先の三動王夢幻の不意打ちを防御した折、千の腕は完全に折れた。鉄と化していたにも関わらずだ。もう自分で回復しているが。


「もしあのまま振り降ろされていたら、腕が飛んでいました」


 腕に当たった瞬間、空御門神久夜が場外に飛ばしたのだ。衝撃こそ通ったが――あの一撃、本来は木刀による斬撃だ。


「そうか……恐ろしい速さだったな。よく間に合ったな、千」


「自分でも驚いています。少しでも余裕があれば防御などしなかったのですが」


 あまりの余裕のなさ、あまりの速度に、身を盾にすることしか考えられなかった。というより、とっさの選択肢にそれしかなかった。


「『三動の神舞』か。古くは神に捧げる剣舞だったと記憶しているが。どうにも伊達ではないらしいな……あの動きと太刀筋で魔女であり騎士か。即戦力だな」


「調べておきます」


 思わぬ逸材の発見に野心をたぎらせる父親に、息子は遠慮なく切り込んだ。


「父上、貴椿のことはどうするんですか?」


 北乃宮匠は、三動王夢幻のことより、この事態を引き起こした一事の方が気になっている。


「様子見だな」


「様子見……ですか。てっきり何か考えがあっての判断だと思ったのですが」


 ふむ、と北乃宮岳生は腕を組んだ。


「まず一つ、敵はあの場で人質を殺さず連れて行った。

 次に、人質となっていたのは貴椿千歳だった。

 そして最後に、敵が顔を出したことで正体が判明した。


 この三つの要素を併せて考えると、『様子見』という選択は悪くないと私は思う」


 息子は少しだけ考え、口を開く。


「暗に、貴椿に任せた、と?」


「そういうことだ」


 もしあの時、人質だった人間が貴椿千歳じゃなければ、北乃宮岳生の判断もまた違っていた。


「匠、彼は強いぞ。腕も悪くないが、何より騎士としての覚悟と心構えが強い。魔女の強さと怖さを心底知っている上で立ち向かえるのもいい。

 恐らく、彼なら私の判断の意図も察するだろう」


 先日の騎士道検定の記録は見ている。

 だからこそ「貴椿千歳を見捨てる」という選択を選ぶことができた。


 仲間は怒り心頭で反感を買い、同じクラスらしい三動王夢幻に襲われかけたりもしたが、敵も味方も騙すくらいじゃないと、敵に切り捨てた意図を見抜かれる。


「見捨てたのではなく、単身潜入して情報収集をしてこい。可能なら自ら脱出しろ。できないならそのうち必ず迎えが行く。

 彼はそのように考え、行動するはずだ。私の狙い通りにな。

 ……まあ考えないにせよ、『そのうち迎えが来る』ことだけはわかっているだろう。

 彼はあの女の孫だからな」


「桜好子蒼ですか」


「いついかなる時も、どんな状況になろうと貴椿君を追跡できるように細工しているはずだ。あの女ならそれくらいはやる。そして貴椿君本人も、あの女の性格を知り尽くしているだろうからな」


 あとで面倒がないように、一言断らなければならないだろうが。

 「とある事件で孫を見捨てた」なんて人聞きの悪い部分だけ切り取って伝わったら、確実に本家に乗り込んでくる。


 そして本気で殺されかねない。


「時に父上、敵の正体に心当たりがある……というようなことを言いましたね?」


「それはまだ知らなくていい。私が対処する」


 仕事に抵触する情報は、厳しく統制されている。息子であってもそれは変わらない。





 息子とその護衛を見送った北乃宮岳生は、次の手を考える。


「千、今『時鋏ときばさみ亜鞠あまり』は何をしている?」


「半年以上、目撃情報はありません」


「そうか……やはり様子見でよかったようだな。貴椿君が仕入れる情報に期待しよう」


 ――そして北乃宮岳生は、地下に根を下ろした「呪い」を振りまく魔獣の討伐へ赴く。








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