164.貴椿千歳、故郷を思い出す(女子編)
「あのー、とりあえず趣旨だけ教えてもらえないですかね?」
誘拐されるのはいい。
納得している。
死ぬよりはマシだし。
なんなら誘拐自体も二度目だし。
『瞬間移動』でどこぞの廃ビルの一室まで連れてこられたのもいい。
誘拐されてる最中だし。
……たぶんまだ九王町だとは思うが、さすがに来たことがない場所なのでよくわからない。窓から外を見る自由も与えられてないしな。
そして今、俺をさらってきた四人の魔女は、長距離用の『瞬間移動』を行うための魔法陣の用意をしている最中である。
マリーと小さい魔女が魔法陣を描いた紙を広げ、そこに魔力を流し込んでいる。……かなりの魔力を注ぎ込んでいるな。結構遠くまで行くことが伺える。
中間くらいの魔女は俺の背後で、俺の逃走や魔女の追跡の警戒をして睨みを利かせている。大柄な魔女は露骨に敵意を見せつつ目の前で俺をじろじろ見ているという感じだ。
とりあえず、今話をしてくれそうなのが目の前にいる奴だけなので、ちょっと聞いてみたが。
「シュシ? 気取って英語なんて使ってんじゃねーよ」
え?
……ひどい。なんてひどい勘違いだ。
別に友好的に接しろなんて絶対に言わないし、答えだって期待はしてなかった。
しかし、なんというか、予想外にもほどがある返答だぅった。彼女はもう少しだけ勉強したり本を読んだりした方がいいと思う。趣旨は英語じゃねえ。
訂正するのもはばかられるひどい誤解に閉口していると、マリーがこちらへやってきた。
「ミサっち、もうしゃべんな。まだ敵陣だ、この会話さえ誰かに聞かれてるかもしんないし――」
……大柄な魔女はともかく、こっちは抜け目なさそうだな。軽そうに見えるくせに本質はまったく違うんだろう。
「おまえのバカがバレるぞ」
「はぁ!? バカじゃねーし! どっちかっつーとマリーの方がバカだし!」
…………これに関しては口出しは控えよう。何言っても良い方には転ばないだろう。
「そういうおしゃべりをあとにしろっつってんだよ。いいからあっち手伝ってこい」
大柄な魔女をシッシッと小柄な魔女の方に追い立てると、青紫の瞳が俺を捉えた。
「つーわけだから、まだ言わね。どうせこれからしばらくは一緒にいるんだし、話なんてあとでいくらでもできるよ。強いて隠す気もないしね」
そうか……そこまで劣悪な捕虜生活を強いられるわけではなさそうだな。
「でも、気ぃつけろよぉ?」
マリーはへらへら笑いながら、こう続けた。
「――邪魔になったら殺しちまえばいいしさぁ。知るのはいいけど知りすぎた時のことは考えて行動しろよ? あたしよりおまえの後ろにいる奴の方がおっかねえぞ。容赦も躊躇もしねーから」
後ろの……か。
俺を含めて周囲の警戒を緩めてないからな、中間くらいの魔女はなかなか厳しそうだ。
あと、マリーは俺を殺す気はなさそうだ。
望んで殺したいわけでもないって感じもするな……そうじゃなければこんな警告しないだろ。
「見捨てられた分だけ同情はする。おまえに恨みはないし、大人しくしてりゃ悪いようにはしない。気が向いたら帰してやるよ。おまえの態度次第でな」
ふむ……まあ、そうだな。俺の身柄が欲しくて誘拐したんじゃなくて、言い出した以上自分からは覆せないっていう、自分たちの面子を潰されないための行動だからな。
「――準備できた」
小柄な魔女が振り返る。足元には充填した魔力が発光している魔法陣がある。
魔法陣から感じられる魔力は、かなりのものだ。
超長距離を飛ぶようだが……俺の目算では、さすがに外国までは届かないと思う。行き先は日本のどこかだ。
「さっさとずらかるぞ。――ナルト、その女の面倒見とけ」
マリーは俺の肩越しに、俺の背後にいる中間くらいの魔女――ナルトと呼ばれた仲間に指示を出し、さっさと魔法陣に乗って消えてしまった。
小柄な魔女と大柄な魔女も続き――
「行け」
背中を押され、つんのめるように前に出る。
そして今は「その女」であるところの俺は、迷う。
――計らずとも訪れた一対一の機会。
――こいつに勝てれば、この窮地から脱出できる。
……なんて一瞬の迷いを経て、俺は前に歩いた。
今触られた一瞬で、ナルトの力を垣間見たからだ。こいつもかなりレベルの高い魔女だ。一対一では勝てない可能性の方が高い。
理想としては、戦わずに逃げるのが一番だ。
少なくともマリーは戦う意志を見せていないし、帰すことも念頭にあるようだ。俺の希望が通る確率は低くないはずだ。……先の発言が嘘じゃなければな。
今は従おう。
マリーも俺に利用価値を見出していないようだから、そこまで執着もしないだろう。今無理をしてやられても無駄死にだからな。
それに…………いや、今はこれ以上は考えまい。
転送魔法陣に足を踏み込み、視界が歪む――と、もう別の場所に到着していた。
「……?」
ここは……森? 樹海か?
見通しが悪いのは夜だから、というだけではないだろう。
見渡す限りに沢山の木々が見えるし、身体を包むような濃い緑の匂いが……いや、それと、懐かしい匂いがする。
……海の匂いだ。間違いなく。
「おい、こっち」
一応捕虜のはずなんだが、先に行った三人は踏み均された獣道のような道をすでに歩いていた。
マリーだけ一度振り返って声を掛けてきたが、それだけでさっさと行ってしまう。
「……」
俺の後にやってきたナルトさえ、今俺を追い越して行ったよ。……俺一応捕虜のはずなんだよな? 何この放置っぷり。
…………
……この放置っぷりから予想はしていたが、携帯は通じないようだ。電波が届かないらしい。
「――あ、やべっ」
本当にマジで放っておかれている。先に行った四人の背中がもう見えない。
ここがどこかは非常に気になるが、右も左もわからない上に夜の森に置いていかれたら、迷ってしまう。
なんだか気に入らないが、俺は足早に四人が歩いた獣道を追った。
「……」
「あ」
少し行くと、ナルトが俺を待っていた。さすがに完全放置はしないらしい……だよな、そりゃそうだよ。まあ前の三人はもういないけど。さっさと先に行ってしまったようだけど。
俺を確認し、再び歩き出すナルトに続き――ついに到着した。
「海だ……」
匂いであるのはわかっていたが、この目で見るとまた違う。
久しぶりの海。
眼前に広がっている海。
毎日のように見て、あたりまえのように潮騒に揺られて育ってきた俺には、たとえここが俺の知っている場所ではなくても故郷のように感じる。
懐かしさのあまり泣いてしまいそうなくらいだ……情けない。たった数ヶ月離れていただけなのに。
「……あ」
しばらく息をするのも忘れて見入っていた暗い海。
気が付けば、立ち尽くす俺をナルトが見ていた。
「……行けよ」
気を遣われたのかなんなのかわからないが、待たれてしまった。待たせてしまった。
「……」
ナルトはやはり何も言わず、俺を先導するように再び歩き出した。
――向かった先は、四階建てくらいの大きな廃ビルだった。浜辺に直で立っている。
……これは「ここに建設した」んじゃなくて「ビルを持ってきて置いた」のだろう。だって浜辺にポツンと一棟だけ建ってるし。きっと魔女の成せる技である。
まあ、詳しく観察するのは後だ。ビル以外の光源が星空なので結構明るいが、それでも夜間に観察するには限界がある。
あの廃ビルから、魔女の気配を感じる。
十人くらいはいるだろうか。
……予想は付いていたというかなんというか、やはりマリーたちは何かしらの魔女の犯罪集団ってことになるのかな。
突発的な襲撃ではなく、周到に用意された事件だった。
まあそりゃそうか。
北乃宮・父と何事か交渉していたからな。決裂したから俺が連れてこられたわけだし。
一連の出来事の真相や、マリーたちの正体は……早めに聞けるのだろうか。
懐かしくも足に馴染む砂浜を踏みしめながら、俺はナルトの後に続くのだった。




