148.貴椿千歳、教室に到着する(女子編)
俺の心境はともかくとして。
性転換してから初めての登校自体は、非常に穏やかに、そして何事もなく完了した。
いつも感じていた視線がまったくなくて、むしろ男だった頃より普通だったように思う。いつもなら周囲の魔女の視線が、こう、…………視線に込めた感情が強すぎるせいだろうか、俺の警戒心と危険信号に引っかかってちょっと気になるものなんだが。
「どうだ? 平気だろう?」
今し方、靴を上履きに履き替えている時にクラスメイトの星雲ささらと会ったのだが、彼女は乱刃に挨拶をしてとっとと先に行ってしまった。向かった先が教室がある方ではないので、クラブだか用事だかを済ませに行ったのかもしれない。
本当に、何事もなく過ぎ去った。
まるで俺のことなど気にした様子もなく。
「……たぶん気づいてなかっただけだと思うが」
乱刃は「女体化くらい大したことないだろう」と、憂鬱が止まらない俺を励まそうとしている。
……うん、その気持ちは嬉しいけど、励ます方向がなんかずれてるよな。
きっと星雲の目には、俺が「クラスメイトの貴椿千歳」ではなく、「よそのクラスの知らない女子」にしか見えなかっただけだと思う。
気づいていたら、そりゃ少しは何かしらリアクションを取っていたはずだ。
驚いたりもしただろう。
それはどういうことだ、と説明を求めたりもしただろう。
気づいた上で、さすがに素通りはないだろう。性別が違うんだからさすがに気になると思うんだが。
「千歳は気にしすぎだ。そもそも女になったからと何をためらう。見てくれは違えどおまえはおまえだろう」
いや、理屈で言えばそうなんだろうけどさ。
でも見てくれも大事だろ?
今の俺の場合は、男と女という人類の根本レベルで変わってるんだし……
「管理人さんも言っていたではないか。一時的に性別が変わることなど珍しくもないと。おまえもそう納得したではないか」
まあ、そうなんだが。そうなんだけどさ。
でも、これから会うクラスメイトたちの反応とか、ちょっと怖いんだよ。この格好で教室へ行って、果たして何を言われるか。その辺のところが本当にわからないから……
いくら管理人さんが用意してくれたからって、さすがに下着まで女性物を着用しているってのは、やっぱり問題があるんじゃなかろうか。
初めてのことだから、言われるがまま従ってしまったけど……
「このド変態が!」とか罵られたらどうしよう……ド変態があだ名にでもなったら、明日から学校来れなくなるぞ……
「気にするな。たとえ女になったって飯は作れる。弁当も作れる。私は一切気にしないぞ」
「おい待て」
ここまでの発言、全部おまえ基準かよ! おまえが気にするかどうかは正直どうでもいいんだよ! だいたいメシさえ用意されれば俺が本当にどうであろうと気にしないタイプだろ! おまえは! 乱刃め!
「委員長には連絡してあるのだろう? ならば心配無用だ――ほら、早く来い」
と、乱刃はすっかり小さく縮んでしまった俺の手を取り、すっかり心まで萎縮している俺を連れて強引に歩き出した。
……ごねたって気が進まなくたって、結局行くしかないのだが。行かずに済むわけがないのだが。それくらいはわかっている。
こういうのは、いきなりだから衝撃が大きいのだ。
だから、一応委員長・花雅里には先に通達している……メールで。声を聞かれるのもちょっと嫌だったから、慣れないメールを打ってみたさ。
委員長からの返信で「了解しました。事前に伝えておきます」とあったので、もう教室に来ている連中は知っていると思う。
……よし、俺もそろそろ覚悟を決めるか。
何、これまでの付き合いだってあるんだ。
これまでに積み上げてきた魔女たちとの友情は、このくらいのことでどうこうなるほど軽いものではない! ……と、信じるぞ! 頼むぞ!? 頼むからな!? 信じさせてくれよ!?
――この後、一言で言えば、いろんな意味で期待を裏切られまくることになる。
――いや、というか、俺がどうこう以外にも問題が発生しているというか、それどころじゃない状況になるというか、なんというか。
まあとにかく、この時の俺は、そう信じることで己を奮い立たせたのだった。
意を決し、乱刃に誘われるまま教室へと踏み込んだ。
「――おおー! ほんとに女の子になってるじゃん!」
「――マジか! マジだった!」
「――委員長のつまらない冗談だと思ってたのに!」
「――ほう……」
いきなり兎、橘、猪狩切と元気の良い連中に囲まれ、縫染や和流という比較的大人しい女子たちも少し離れたところから興味深そうにこっちを見ている。「ほう」とか言いながら。あとどうでもいいがやはり星雲はいないようだ。
う、うーん……こっちは戸惑うばかりではあるものの、クラスメイトたちは物珍しそうに見ているだけだ。
こうして見る限りでは、特に悪印象は与えていない、と、思う。思いたい。
よかった……思ったより平和な反応だ……あれ?
「…………はあ」
自分の席に着いたままこちらを見ていた三動王が、遠目でもわかるような大きな溜息を吐いて、教室を出て行った。……え? なんだあの反応? あれは明らかに俺を見てがっかりした感じじゃなかったか?
……あれ!? ちょっと待て!
「何してんだ!?」
なんかさっきから違和感があると思えば、すげー胸揉まれてたわ! ぐにぐにと!
「……チッ……なんで私よりデカいんだ……」
兎ははっきりと舌打ちし、俺を睨んだ。
……男の時はなかった兎のこの反応……なんだこれ!? もうすでに女子として受け入れた感じか!? こっちはまだまだ己の変化にも周囲の反応にも戸惑ってるのに、そんなに簡単に受け入れられるのか!? ……え? もしかして俺の考えすぎだったか?
あと、俺の胸はどう見ても明らかに小さい方……いや、うん、なんでもない! 兎の名誉のためにも今の思考は忘れる!
「どれどれ」
「や、やめろ!」
橘と猪狩切が無遠慮に触ろうとするのを阻止しながら、……でもまあ別に触られても問題はないような気がした。別に拒否する理由もない気がした。身体はアレだが心はまったく俺のままだしな。
……でもまあ嬉々として揉ませるというのもなんか違う気がするので、やっぱり阻止はしとこうかな。
「はいはい、もういいでしょう」
だいたいのファーストコンタクトが済んだところで、その辺で様子を見ていた委員長がやってきた。
「見ての通り、貴椿くんは女性になりました。事情はよくわかりませんが、まあしばらくはこのままだと思われます。彼が困っていたら手を貸してあげてください」
「はーい」と女たちが返事を返し、とりあえず俺は開放された。あっさりと。こんなにも簡単に。
……どうやら本当に俺の考えすぎだったようだ。
もしかしたら、俺が考えている以上に、魔女たちは肉体的変化を「珍しくもない普通のこと」として捉えているのかもしれない。
確かに管理人さんもそんな感じのことを言っていたが、しかし、まさか本当にそのままの意味だったとは……
「それにしても、なかなかイベントが重なりますね」
委員長は上から下から女となった俺を見る。まあ、じろじろ見るくらいには珍しいものなのだろう。
「イベント? 他に何かあるのか?」
何気なくまだ傍にいた乱刃が問うと、花雅里は「ええ」と、これまた珍しく少し微笑んだ。
「先の騎士道検定試験で、北乃宮くんが高校一年生の部の最優秀賞を取りました」
えっ!? 北乃宮が!? あのシティボーイのヘルメット頭が!?
…………
いや、驚きはしたものの、別に不思議ではないか。
あいつの実力なら俺もよく知っているじゃないか。騎士道部でも郡を抜いていたし、薄々感じていたけど本当に全国クラスだったってだけじゃないか。
「これから体育館で朝礼があります。その時に全校生徒に発表されるそうですよ」
――だが、本当に驚くことになるのは、これからである。




