144.閑話 老人たちの楽しみ 前編
責任者が見たら目眩を起こしそうな光景が、そこに広がっていた。
世界四魔王の一柱、九王の名を継ぐ高位魔女・九王院カリナ。
高位魔女でこそないが、それでいて九王院カリナと肩を並べるほどの実力者と言われる桜好子蒼。
遠き未来を見通す空見の門の最高責任者・空御門真宵。
四神の守り手の一つ、世界トップレベルの実力を持つ騎士――歴史の裏で脈々と続いてきた陰陽の家系の前頭首・北乃宮月山。
世界に名を馳せるほどの要人たちが、たかが一般向けの騎士検定試験第一日目にこんなに集うことなど、ありえない――というより、あってはならない事態である。
VIPルーム……このフロアを任されている――いや、上に押し付けられた形になる、九王院学園総合騎士道部顧問・紫灯亜は、重鎮の集いを見てひっそりと溜息をついた。
なんともひどい面子だ。
一人来るだけでも全身全霊の配慮をし、気を遣う必要があるのに、それがまとめて四人も来るなんて。
同じ職場で働く九王院カリナはまだマシだが、……いや、マシだと思える彼女こそ、今紫灯亜がもっとも心配している人物であることに気づく。
彼女は、桜好子蒼と、仲が悪い。
もし言葉の小競り合いだけで済まなくなってしまったら――立場上、自分が止めるしかないと理解してしまった。
唯一の騎士である北乃宮月山はもう現役を退いていて、事あるごとに「もう魔女とは、特に蒼とは戦いたくない」と零している。彼の助力は期待できないだろう。空御門の家は荒事には対応しないので即座に逃げるか高みの見学と洒落込むだろう。
なんとも、本当になんともやりづらい面子が顔を揃えてしまったものだ。
せめて明日なら、もっと優秀なスタッフを多く配置できたのに。
なぜに第一日目にやってきたのか。
つい先程、自分で「過度のもてなしは不要」と言ったものの、それは気を遣わなくていいという意味ではない。機嫌を損ねたらどんな損害が出るのか想像もできない。
まったく。頭が痛い。
「――先生」
四人で話し込んでいる老人たちを内心ハラハラ、胃をキリキリ軋ませながら見守っていると、すぐ近くにいた女生徒に声を掛けられた。
彼女は、助っ人として新任教諭・白鳥未波が連れてきた生徒だ。感じる魔力は並であり、珍しくもないいたって平凡な魔女である。
ちなみに白鳥未波は速攻でこのフロアから出て行った。逃げられる彼女が心底羨ましいし妬ましい。それに自分の身代わりを置いていく辺り、新任にはもったいないほどのしたたかさである。――もちろん皮肉だ。
「あの人たちを席に案内すればいいんですよね?」
「え? え、ええ……」
あの人たち、というのは、厄介な老人たちのことである。
わかっている。
わかっていはいるのだが、なかなか身体が動いてくれないのだ。
「じゃあちょっと行ってきますね」
「えっ」
女生徒はすたすたと老人たちに近づくと、「お席に案内したいんですけど、いいですか?」と平然と声を掛けた。
(……知らないって……知らないって……!)
紫灯亜は、無知であることがどれだけ恐ろしいことなのか、身体が震えるほどに実感した。
だが、女生徒の裏も表も存在しない平然とした対応が毒気を抜いたのか、少々険悪だった顔合わせを済ませて老人たちは散った。
とりあえず、第一関門はクリアした。
四人を引き離して大人しくソファに座らせられたのは、とてつもない僥倖だ。白鳥未波が連れてきた女生徒は大変なことをやってくれた――だが見ている方が恐怖するほどの無知であるからして、彼女は早々にVIPルームから退室願った方がよさそうだ。
――と、目の前に大柄な老人……北乃宮月山が立った。
短く刈り込んだ頭髪と、豊かな髭は真っ白。190センチを超える長身に、プロレスラーのように鍛え上げられた肉体。北乃宮の家紋が入った羽織に袴。
目立つのは、顔に一つ走った切り傷である。齢70を超えてなお精力的な瞳を持つこの老人がどんな人生を送ってきたのか忍ばれた。
大きく重そうな身体なのに、その動作は気配も足運びも感じられないほど柔らかい。現役を退いてなお実力は衰えていないようだ。
「失礼。桜好子蒼と同席したいだが、構わんかの?」
……これはまた、ひどい我侭を言われたものだ。
「申し訳ありません。このフロアのお客様同士には、同席は規則で認められておりません」
ここで政治的な、あるいは勢力的な話をさせないようにという配慮だ。この場に一般生徒を通しているのも、陰謀を企てれば無関係な魔女も巻き込むことになるという抑止力のためである。予算の都合でもあるが。
密談の場になる恐れのある場所に、第三者がいる。それもプロではない。これはそういう布陣なのだ。
「うむ……そうか。そうだな。やはり無理か」
その我侭が無茶な我侭であることを知っていたようで、北乃宮月山は溜息混じりに頷く。
「私の孫が、蒼の孫と友人同士でな。今日一緒に出ておるのだよ」
彼の孫の存在は知っている。
何せ紫灯亜が顧問を務める総合騎士道部の部員であるからして。
「……もしや、貴椿くんですか?」
「ああ、そうそう。貴椿千歳と言っとったな。蒼が嫌に自慢するから、うちの孫には敵わんことを知らしめてやろうと思ってな」
――つまり孫自慢がしたいのか。重鎮よ。
紫灯亜は、今ほど己のポーカーフェイスに感謝したことはない。そうじゃなければきっと呆れていただろう。
「ならば、二人に友好的ではない第三者がいたらどうかしら?」
また違うのが来た。今度は職場で馴染みの顔、九王院カリナだ。今日もブラックのパンツスーツ姿で、一部の隙もない。紫灯亜の目指す手本そのものだ。
「二人きりだからまずいのでしょう? ならば私も入るわ」
「しかし学園長、規則です」
「――ならば妾が最高責任者に許可を取りましょう」
ここまで揃えば、やはり来ると思った。空御門真宵だ。
年齢不詳。見た目は二十から三十の間。大人っぽく見える気もするし、幼く見える気もする。大まかには北乃宮月山と同じ年代だと言われているが、正確なところはわからない。
空見の門の正装である白装束に家紋の入った白い羽織を背負い、力なく佇むその姿はなんだか現実味に乏しい。
下ろされている長い髪は黒い――が、毛先に進むにつれ徐々に白くなっている。さすが血族である、現生徒会長ととてもよく似ていた。
「……上に許可さえ取って頂ければ、私から言うことはありません」
彼女らの我侭を、私は許可できる立場にない。
政治屋じゃないからとか、孫自慢がしたいからとか、事情はどうであってもその権限がないのだ。
だが、彼女らがやると決めたら、それを止められないのも事実。
結局双方にとっては、上からの許可を取るのが、一番スムーズな解決法なのである。
空御門真宵が『瞬間移動』で消えると、私はひっそりと溜息をついた。
ふと視線を上げると、向こうのソファに座ってニヤニヤしながらこちらを見ている桜好子蒼と目が合った。
――本当にやりづらい老人たちである。




