142.魔女の穏やかな日々 二十 前編
まるで冷水を頭からぶっかけられたような衝撃だった。
半裸の男どもに目を奪われ、浮かれ、ぬるま湯に浸っていた心を、遠慮なしに握り締められたような衝撃だった。
「た、貴椿くん……!?」
あまりにもボロボロで最初はわからなかったが、彼はどう見ても、私の知っている男子。
医務室搬送用の魔法陣に送られて来たのは、同じクラスの男子だった。
VIPルームの仕事を終え、次に食堂の案内へと回された時、貴椿くんや同じ学校、同じクラスの皆と顔を合わせていた。
運が良ければ会えるだろう程度に期待していたのだが、まあ、運良く会えたってわけだ。
貴椿くんも北乃宮くんも、制服に損害はなく少々残念……いや……いや、やっぱり少々残念だったが、怪我もなく元気そうで安心した。あ、ついでに三動王さんも。魔女の心配はあんまりしません。
そんな彼が、数時間後にはこんなことになるなんて……
私が男の裸体に現を抜かしてよだれを垂らしながら、送られてくる試験で怪我した人やほぼ全裸まで服を失った人を医務室に連れて行くという胸熱すぎる仕事をしている間に。
彼は、彼らは、それこそ身体を張ってがんばっていたんだよな……
私がよだれを垂らして見ていた男子たちも、がんばった結果、あんなことやこんなこと、あまつさえチラリズムの権化と化していたんだよな……
……どうやら少々気がゆるみすぎていたようだ。
ボロボロで、所々凍りついていて、意識を失い横たえる貴椿くんを前にして、私は煩悩にまみれた自分が恥ずかしくなった。
がんばった彼らで欲情するなんてとんでもない話じゃないか。
怪我を惜しまず、それこそ死力を尽くして全力で試験に挑む彼らを邪な目で見るなど、とんでもない話じゃないか。
ゆるんだ気持ちで、色々垂らしながらやっていていい仕事じゃない。
よりによって、貴椿くんが私たちの担当する魔法陣に送られてくるなんて、それこそ、「己を恥じろ」という誰の声が反映されているのではないかと思わせるくらいだ。
――とにかく、運ぶか。いつまでも硬い床に寝かせておきたくない。
「知り合いなんです。私が連れて行きます」
一緒に仕事していたスタッフに断りを入れ、私は『浮遊』の魔法を唱えて貴椿くんを抱え上げた。うわ、身体めっちゃ冷たい……
「あ、来た」
医務室の前には、二人の女子がいた。
私……というより、貴椿くんを見て駆け寄ってくる。
ちょっと記憶が怪しいが、確かお昼に会った時、貴椿くんと一緒にいた人たちだよな……
「騎士道部の方ですか?」
「あ、うん。貴椿くんとは同じ班で」
ふうん。同じ班。
……彼女たちは無傷、か……
何があってこんなことになったのかはわからないが。
きっと貴椿くんのことだから、彼女たちを守って怪我を負ったんだろうな。
……無傷ってことは、貴椿くんはやり遂げたってことか。だったら倒れようが意識を失おうがある意味本望だろうな。
彼女たちと一緒に医務室へ入り、空いたベッドへと運び、横たえ――
「――貴椿くんいる?」
あ、また誰か来た。……最近貴椿くん人気が上がってきてるって話は本当なのかもしれないな。
「蛇ノ目さん」
誰かと思えば、スカートを履いたイケメン・蛇ノ目さんだ。あと知らない連れの人がいる。
「様子はどう?」
たぶん蛇ノ目さんたちも、見学者たちと一緒にモニターで見てたんだろうな。どんな風に写っていたのか私はよく知らないんだけど。
「命に別状はないと思うよ」
出血量がヤバイとか骨折したとか早急な治療が必要な人は、私たちのようなバイトが担当するような魔法陣には来ないようになっているから。
マニュアルに従って、意識がない人用の医務室に寝かしておく、っていうのが処置になる。そのうち魔法治療の先生が来るから、その人に任せるのだ。
ま、とりあえずだ。
「ゆっくり休ませないといけないので、出ましょう」
こうして怪我人を寝かせる場所である。ここには長居するなと言われているし、まったくもってその通りだと私も思う。
いくら意識がなくて今なら私が思うままにあんなことやこんなこともうふふふふふふ……軽くちゅっとするくらいなら淡い青春の1ページとして許されるかも……という状況であろうとも、さすがに苦しんでいる男子相手に煩悩全開はないだろう。
貴椿くんはがんばったんだ。
それを嘲笑うかのように、土足で上がり込んで汚すような真似はしたくない。
「そうだね」
蛇ノ目さんや同じ班だったという女子たちも同意し、眠る貴椿くんを一目見てから医務室を出て――
「このままでいいんすか?」
え?
蛇ノ目さんと一緒に来た知らない女子が、不思議そうな顔で私を見ていた。
「貴椿くん、びっちょびちょっすよ? それに治療するなら患部を見ないといけないから上くらいは脱がせないと――」
「あんた誰」
つらつらと続く言葉を遮るように、きっぱりと、私は問う。
「あ、生徒会一年の糸杉っすけど……」
そう。糸杉。……糸杉さんか。
「あのさ、糸杉さん」
私は出ていこうとしていた身体を彼女に向け、厳しい顔で堂々と言い放った。
「それ採用だわ」
そう、これはあくまでも親切であり医学的検知からも必要なことであり氷のように冷たい貴椿くんには一刻も早く暖を取らせる必要があるわけでならばぐっしょり濡れている制服等あるいはパンツ等の衣類を脱がせるのは必要な処置でありそこに煩悩が含まれるか否かは全然問われないしむしろ双方の利害が一致していて誰も傷つかない誰も損しない素晴らしい対処法であることは神様でさえ否定できない真理と言わざるを得ないわけで早く貴椿くんを裸にしないとかわいそうだから早く脱がせよう決して下心などなく!!
「ちょ、ちょっと待って! まっ……いやほんと待って! 待ちなさいって!」
素早く迅速に一スタッフとしての仕事をこの上なく忠実にこなそうとする私を、同じ班の先輩っぽい女子が止める。腕を掴んで止める。抱きしめるようにして止める。
「いくらなんでも生徒がやるのはまずいわよ! せめて誰か先生に頼まないと!」
チッ……私の親切と医学的検知からの行動を阻止するとは……でも言ってることはもっともじゃないか……




