141.魔女の穏やかな日々 十九 後編
白鳥先生に案内されたのは、階段を登った先の四階だった。
「……?」
違和感を感じたのは、憶えている体育館の外観と内部構造から見ても、せめて三階建てだろうと思っていたからだ。
二階部分が客席になっているのは知っているので、あってもあと一つ上くらいだろう、と。
三階を登った辺りから、周囲に人はいなくなった。
階下にはびこる半裸男子騒ぎが嘘のように、人気を感じられない。
――と考えたところで、そもそもこの体育館が異空間にあることを思い出した。
そりゃ多少空間が曲がっていたところで特に不思議はないわな。曲がったり圧縮したり拡大したりと、それなりの魔力を持つ魔女なら意外と簡単にできるらしいからね。
「先生、VIPって誰が来るんですか?」
「とりあえず九王院の学園長は来るわね」
あ、あの赤毛美人の。入学式の時に見たっきりだけど。
「あと、騎士道協会の偉い人たちと、名士が数名かな」
「めいし?」
「魔女の世界で有名な人たち。有名どころで言うと、……えーっと……誰がいたっけ?」
階段を登り切り、今度は長い長い廊下を行く。本当に部屋も何もない、ただただ長いだけの廊下だ。延々と続いているようで、行き着く先がまったく見えない。
壁や床と同じ白一色の通路が果てなく続く様は、見ていると不安に駆られる。
だって後ろを振り返っても、登ってきたはずの階段がないから。
後ろも果てがない白い通路になっていた。
こ、こええ……どこへ行っても変わらない景色なんて、下手な迷路よりよっぽど怖いわ……
そんな不安しか見えない中、平然と歩く白鳥先生は、いつもより頼もしく見える。
「橘さんは知ってるかな? 月刊『黒猫』って雑誌。あれの編集長が取材に来たり」
あ、その雑誌知ってる! 覚醒してからは毎月買ってる!
「あと蒼桜花学園や、赤蘭学院の代表とか」
蒼桜花と言えば、九王院の近くにある魔女学校か。赤蘭だけは少し遠いから、九王町周辺ではほとんど見ないんだよね。
「ああ、そうそう」
ポンと手を打ち、白鳥先生は楽しげに言った。
「北乃宮くんの高校デビュー戦になるからね。彼のおじい様が来るらしいわよ」
え? 北乃宮くんの、おじいさん? あのヘルメット頭の彼の?
「有名なんですか?」
「知らないの? 北乃宮家」
「はい」
全然聞いたことがない。
「代々騎士の家系でね。国内では確実に三本の指に入る実力ある家なのよ」
へえ。代々騎士の家系ってのは聞いてたけど……そんなにすごいのか。
でもあんまりピンと来ないな。新米魔女だからだろうか?
「明日の本戦はもっとたくさん来る予定だけど、今日はそんなところね」
なるほど。
聞いた話によれば、今日は地方大会で明日は全国大会みたいなもの、らしい。どうせ見るなら明日の方が見ごたえあるからだろう。
「――白鳥先生」
おっ!
『瞬間移動』で飛んできたのだろう、突然目の前にきっつい眼差しのメガネ美人が現れた。……あれ? 雑誌で見た顔だな。
「ああ、紫先生。お疲れ様です」
そうそう、紫先生だ。九王院の騎士道部の顧問だよね。
「お疲れ様です。もうすぐ客が入るので、手早く済ませましょう」
フッと、周囲の景色が変わる。
「お……」
こ、高級クラブ?
不安を煽り立てる白い通路が一転して、音もなく別世界になっていた。
二十畳ほどの1フロアである。なんだかムーディな淡い灯りは当然のように凝った細工のシャンデリアから発せられ、すっごい高そうなソファーとテーブルが十組ほど、足元は素人の私が一目見てわかるほど高級な毛足の長い精緻な柄の絨毯……
「高そう……」
この部屋にある全てが高級感に溢れている。やばいぞこの部屋は。庶民が来る場所じゃない。
思わず呟いた私の声に、紫先生は事も無げに「高いですよ」と頷いた。
「どれ一つ取っても私の年俸くらいしますからね」
年俸って……魔女学校の教師なんて、安くても年俸6、700万って聞いたことがあるんだけど……
やっべー。これマジっべー。たぶん絨毯は間違いなく一つ桁が違うぞこれ……
ど、どうしよう。
よだれとか女子として名状しがたい体液とか垂らしたら、弁償的なことになるのだろうか? おいおい勘弁してくれよ……橘家は庶民中の庶民なんだから……
「しかし汚そうが壊そうが魔法で直せますから、気にしなくて構いません」
安心した!
なんか身も蓋もない対処法だけど、安心した! 魔法って超便利!
私と、私と同じように連れてこられたのだろう犠牲者数名は、紫先生から業務内容を知らされる。
よく見るとテーブルやソファは、部屋の三分の一ほどを占める空いた空間の方へ向けられている。
その空いたスペースに魔法を使った大画面のモニターを作り、試験をリアルタイムで撮影・放映し、お偉いさんたちがゆったりと見学するらしい。
さながら会員制の高級シアターって感じか。
私たちは、これまた高そうなトレイと、転送魔法陣が彫り込まれた下敷きくらいの金属プレートを渡される。なんかテレビとかで観たことがある魔道具だ。
「皆さんの仕事は、簡単に言えばウェイトレスのようなものです」
このプレートは別室にて待機している厨房に通じていて、魔力を注ぎオーダーを通すと、瞬時に料理や飲み物を送ってくれるそうだ。
紫先生が実際にやってみて、トレイの上にコップ一杯の水を生み出す……いや、厨房から送られてくる。
「難しいことはありません。最初のワンオーダーを通せば、あとは通常業務に戻っても構いませんので」
ふうん……なんだかなぁ。
「――なんで専門スタッフを雇わなかったんですか?」
ちょうど腑に落ちないと思っていた疑問点を、同じ犠牲者にされた蒼桜花の生徒が挙手して問う。
そう、そこが気になるよね。
私はVIPに対する礼儀作法なんて何も知らないくらいだし、何かやらかす可能性も高いだろう。
「予算の都合です」
おい。この高級感しかない部屋で聞くには似合わないセリフだな。
「この騎士検定自体、国から予算が出ていますからね。削れるところは削りたいのでしょう。やることも多くないですし、万が一粗相があっても何とでも取り返しが付きますから。
何より、ここを利用されるのは忙しい方々ばかりです。そんな彼らは、ここにくつろぎに来るのではなく、検定試験を観に来るのです。過度のもてなしなど最初から必要とされていないのです」
予算の都合もあるし素人手で充分ってことか。
まあ、アレか。
いざとなったら先生たちを頼ればいいし、なんとでもなるか。
それからすぐに、お客さんが入り出した。
紫先生が言っていた通り、仕事自体は大したことなかった。
「――久しぶりね、蒼」
「――九王か。なんじゃ相変わらず老けとるのう」
九王院の学園長と和装の子供が睨み合ったり、
「――おう、魔女ども。まだ生きとったか」
そこに超ガタイのいい顔に切り傷の痕がある渋いおじいさんが割り込んだり、
「――しばらく」
「――おお、空見か。久しいな、何年ぶりじゃ?」
「――蒼とは十三年ぶり。九王とは三年ぶり。北は数日前に飲んだ」
「――このもうろく爺とか。物好きじゃのう」
「――実質一番歳上がそれを言うとか、皮肉?」
更にそこに近付く者がいたりと……まあVIP同士の軽い諍いがあったくらいで、特に何か問題が発生することもなかった。
滞りなく言われた通りに業務をこなし、だいたい10人ほどの客が入ったところで、私たちはお役御免でVIPルームから出る。
幸か不幸か、私は学園長以外はよくわからなかったが、ほとんどが魔女の世界の有名人だったらしい。
同じくVIPルームで仕事をしたバイトが騒いでいるのを見ても、「へーそんなに有名人なんだ」くらいにしか思わなかった。
まあ知ってたとしても無駄に恐縮するだけだろうし、やっぱり知らなくてよかったんだろう。
――何より、今はVIPより、会場の半裸男子の方がよっぽど大事だし!!




