133.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 21
ドクン!
身体が大きく跳ね上がると同時に、奥底まで沈んでいた意識も急浮上した。
「……っ!?」
意識を失っていたことを、まず自覚した。
どれほどの時間を闇の中で過ごしたかはわからないが、感覚的には肉体の異常がない。ならば数時間か、あるいは逆に数十秒程度だろうか。
不覚。
婆ちゃんの試験で意識を失ったってことは、また負けたってことか?
それとも、まだ間に合うのか?
俺は慌てて飛び起き、現状確認をするとともに敵を探し…………?
「お早う、千歳様」
……そいつの顔を見た瞬間、意識を失ったばかりか、少々寝ぼけていたことを思い出した。
そうだったな。
もう婆ちゃんの試験は、受けなくてもよかったんだよな。
まあ皮肉にも、今度も試験でやらかしてしまったことではあるようだが。
「気付けか?」
「久方ぶりの、正確には二百と十と四日越しの千歳様の唇、堪能しました」
……ああ、そうですか……
道理で傷だらけで疲弊しきっていた身体が万全なわけだ。
死にかけるような試験を繰り返していたあの頃のように、無機物を対象にすれば命を吹き込むくらい強力な回復魔法を、必要のない一部接触とともに流し込まれたようだ。
そりゃ身体が驚いて飛び起きもするだろう。
「ここはどこだ?」
膝立ちになっている俺の足元は、白い布団……ベッドだ。
白い天井は見たことないし、周囲はカーテンで覆われている。清潔感はあると思うが、なんだか無機質な……温かみを感じないせいか落ち着かない。
ベッド一つ分程度の、布に囲われた小さな密室には、俺とこいつしかいない。……カーテンの向こうには人の気配がするけどな。
「試験会場の医務室です。千歳様が意識を失ってから、3時間ほどが経過しました。随分と深い眠りに着かれた様で」
……そうか。
「俺は負けたか」
意識も記憶もはっきりしている。
待ちに待った騎士たちの復帰を見届けて、俺の心が折れた瞬間に、俺は倒れたはずだ。
力を使い果たし、身体に負ったダメージに押し潰され、とっくに限界を超えていた俺はもう立っていることはできなかった。
「そうですか? わたくしは千歳様の一人勝ちの様にしか見えませんでしたけれど」
……だよなぁ……いや一人勝ちはよくわからんが。
「おまえがここにいるってことは、俺の一部始終を見てたってことだよな」
やれやれとベッドにあぐらを掻き、頭が痛くなりそうなこれからに想いを馳せた。
はっきりと悪くなった状況をしけた顔で考え出す俺を見て、こいつはくすくす笑っていた。
……相変わらずだな。
人が困ってるのを見て面白がるとか、本当に婆ちゃんに似てやがる。
――こいつは九浪。婆ちゃんの使い魔の、左目を失った烏だ。
人型としての特徴は、やはり目だ。
左目を覆うなめし革の黒い眼帯はかつて俺が図工で作ってプレゼントしたものだ。目を覆う部分だけ取り外しができるようになっていて、オシャレを楽しむことができる。
やや幼さが残る顔立ち。
長い濡れ羽色の黒髪に、少し陽に焼けたような健康的な色の肌。婆ちゃんの魔力に影響を受けて、やや青みがかる右目には知性の輝きを宿す。
身体は……うん、まあ、結構むちむちというか、超がつくほど発育上々というか……率直に言えば年上の女子だ。艶やかな黒髪と同じ色の、絹の和服をまとっている。
久しぶりに見る馴染みの顔。
ふと気づいた。
そういえば、いつの間にか九浪の外見年齢と、もうすぐ同じになるんだな。
九浪は、婆ちゃんが十六歳の時に使い魔にした烏。契約時の婆ちゃんの年齢が、九浪としてももっとも適した肉体年齢になってしまっているらしい。
ま、婆ちゃんの使い魔として何十年、もしかしたら百年以上を過ごしてきた奴だ。婆ちゃん同様に肉体年齢なんてどうとでもなるだろうけどな。
「千歳様が島からいなくなって、九浪はとても寂しかったのです……」
「擦り寄るな」
こいつも、俺が物心ついた頃から一緒にいる……というかほとんど俺の親みたいなものだ。
俺はだいたいこいつに育てられたと言っても過言ではないし、たぶん俺も親として九浪を慕っている……と思う。
実際は、よくわからないんだが。
一言で言えば「身内」で片付けられるが、内情はもっとややこしいし、俺が九浪をどう思っているかなんてそれこそもっともっとややこしい。
こいつは、婆ちゃんの使い魔でもあるし、親でもあるし、姉でもあるし、家事をこなす使用人でもあるし、遊び相手の友達とも呼べるし、俺の修行や試験に立ち会っていた師のようなものでもあったし――
……たぶん、俺の初恋の相手でも、あるし。
いや、まあ、それはもういいとしてだ。
「今どうなってる?」
「もう試験は終わりましたよ。皆さんお帰りになっているでしょう」
「擦り寄るなよ」
もう小さい頃から遠慮も容赦もなくべたべたちゅっちゅしてくるんだから、もう本当に……もう九浪とのキスくらいじゃ全然動じなくなってしまった。
「あら、つれない。小さい頃は『九浪と結婚するー』と誰憚ることなく公言していた千歳様が」
「やめろよ!! あと擦り寄るな!!」
しかも俺の過去を端から端まで知っているんだから、もう本当にもうっ……!
「照れ隠しですか?」
「本当にやめろよ。本気で怒るぞ」
まったく。本当に婆ちゃんに似て意地が悪い。似なくていいところも似やがって。
俺は九浪を引っペがし、ベッドから降りた。
「「あ」」
あ。
…………
「もしかしなくても、見てたか?」
「…………」
気まずそうに目をそらしたり、あるいは興味津々という顔で俺と九浪を見る女子たち。
さっきまで同じチームで試験に参加していた哀川先輩と國上、生徒会の1年生・蛇ノ目と糸杉、そして総合騎士道部部長の新名先輩と、北乃宮と風間。カーテンの向こうにはそんな面子がいた。
そして一部女子たちは、九浪が俺に行った、必要のない一部接触とともに回復魔法を吹き込まれた様子を、覗き見していたようだ。
……見られたものは仕方ない。
正直、俺にとってはもう九浪との一部接触なんて日常的なものだ、挨拶に等しいくらいに。それ以上の意味も別にないしな。
落ち着いたら、ちゃんと説明しておこう。




