132.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 20
対策を講じる間はなかった。
巨大な氷柱は、すぐに投じられた。
百舌鳥の早贄。
そんなものを連想し、ギリと奥歯を噛み締める。
自分が贄にされる未来が垣間見えて、身体が逃げようとする。
全身を蝕む冷気が、そのまま恐怖に変換されたかのように、この身を危機から逃げることを訴える。
芯が通っている己の意識に、本能が巻き付き締め上げ、へし折ろうとする。
だからこそ!
意志の力で踏み止まる!
小細工が通用しない、対抗策がない。
ならば正攻法で止めるしかない。
どうせもう一つの新技があるんだ。
死ななければなんとかなる!
……と、思う!
…………急所に直撃さえしなければ、即死はしない。救護班に優秀な魔女がいるんだし、多少から致命傷くらいまでの怪我は覚悟しよう。
ほんの2秒か3秒の間が、何分にも感じられる。
自分が串刺しにされる予想を振り払うように、逃げ出しそうな足を……つま先を氷柱に向けて、踵を上げる。
ここで逃げたら、本当に終わりだ。
だから逃げるという手は、やはり、最初からない。
ならば、もう防御だけ考えればいいのだ。
ちらつく死の恐怖を意思の力でねじ伏せると、ゆっくりに感じられた時間が戻ってくる。
できることは防御だけ。
それならもう、迷うこともない。
「――絶! 空! 壊!」
素早く心印を結び、三文字の、魔力と空間を絶ち壊すことへ意味へ与えたシールドを展開する。
魔法を通さないシールドではなく、魔法を襲うシールド。
傍目にはよくわからないだろうが、これは魔法を壊すためのものだ。
構えたシールドで、巨大氷柱に初撃を加える。
ギギッ……バキン!
シールドと氷柱の先端が邂逅、互いが軋みながら……速攻でシールドが割れた。
――は、速っ! 重っ!
きちんと印を結ぼうと思っていた二擊目だが、しかしその間がなくなった。
まばたきさえ許されない隙間のような時間に、心印で結んだ次の防御を加える。
両手を前に構え――氷柱の先端を捕まえる。
「――翡翠!」
両手での発動だが、効果は片手と同じである。
触れた氷柱に強い魔除けの力を注ぐ……が、まるで効果がないと言わんばかりに、氷柱はそのまま俺の腹部に直撃した。
――ここで三つ目の、身体の下に仕込む中和領域を展開する!
掴んだ両手が凍り、めり込んだ腹に一ミリずつねじ込まれる残酷なまでの痛みと異物感。
ちっぽけな人間一人には耐えられない重量が、一気にのしかかる。
「ぐうっっっ!!」
重い! 痛い! 冷たい!
麻痺しかかっていた痛覚が、目覚める。
内蔵が凍る。
耐えれば耐えるほど、身体に氷柱が侵入してくる。
身体が持って行かれそうになる。
それでも両足を踏ん張り、床を滑りながらも、耐える。
――ああ、くそ! マジで……くそ重いな!
時間にすれば10秒ほどだったはずだ。
体感的には、何時間にも思えるような苦行だったけどな。
「……はあ……」
一つ息を吐き、両手を離す。
腹をえぐっていた氷柱が、カシャンと床に砕けた。
――ようやく一抱えくらいの氷柱までに魔を祓うことができた。
シールド、翡翠、そして中和領域……
俺の使える四つのカードの三枚を使っても、即座に無効化することができなかった。とんでもない魔力の密度と量だった。婆ちゃんがやや本気を出した時くらいの難物だった。
「……いて」
膝が折れた。
巨大氷柱には対応できたが、寒さとダメージは別だ。
正直、あの氷柱があと三秒も俺の身体を押していたら、もう耐えられなかっただろう。
初手のシールドで、先端を削ってなんとか丸くしたので、身体に刺さることはなかったが……それでも強く圧迫された腹部のダメージは無視できない。
それに、両手。
こっちは完全に凍った。
氷柱を強く掴んでいたせいでところどころ皮膚が裂け、血で真っ赤になっている。全然血が流れていないのは、更に凍っているからだ。
この分じゃ、傷は治せても、しばらく自由に動かすことはできないだろう。
全身が震えるのは、もう無視できないくらい全身が冷えたからだ。
……いや、しかし、まったく。
この程度で済んでよかった。
「あ、いててて……」
ガクガク震える膝を騙し騙し、立ち上がる。
凍えている両手を、強い鈍痛で異常を訴える腹に添える。
「――桜爛」
心印を結び唱えると、両手が淡く光る。
これが、北乃宮から教えてもらった四つ目の俺の新技「桜爛」……いわゆる魔法で負った傷に対する治療の魔除けだ。
原理は、中和領域にものすごくよく似ている。
あれよりも淡く緩やかに、そして傷一つ一つに丁寧に、まるでハケで傷薬を塗るようにして魔除けの力を集中すると、魔法で負った傷が治るんだそうだ。
前に乱刃の腹に「鉄槍」が刺さった時、北乃宮が使用した抗魔法である。
北乃宮が言うには、俺の中和領域は完成度が高いから「桜爛」は絶対に使えるはずだ、と。太鼓判を押され、もしもの時のために憶えておけと勧められた。
本当に、憶えておいてよかった。
ありがとう北乃宮。
……けど、ここまでだな。
見栄を張るどころか、空元気さえ出やしない。
芯まで届く寒さに震える身体を誤魔化すことさえできないまま、また治療も続行したまま、俺は再び歩を進めて日々野先輩の前に立つ。
「ここまでね」
そして、先輩は確信の一言を口にした。
そう、ここまでだ。
この満身創痍、どう見てももう戦えない。
だから、俺は勝気に笑ってみせた。
「普通ならそうでしょうね。でも、俺はあの人の孫ですから」
婆ちゃんの試験と比べるなら、まだ行ける。
このくらいならギリギリでさえない。
今の状態なら、七割くらい死んでるだけだ。
あと三割弱は粘れる。
――これくらいなら、何度も何度も経験してきたからな。諦めるにはまだ早すぎる。
「そう。……どう見ても限界にしか見えないけれど」
日々野先輩は、今一度、さっきと同じクオリティの巨大氷柱を生み出した。
「大丈夫と言うなら、やらせてもらうわね?」
――やはりここまでか。
ここから先は、「これから」戦う分の余力を使うことになる。
ここで持てる力の全てを注ぐ必要がある。
なんとかできる限りの力を温存して、しのぎたかったが……
明日の試験は絶望的になる。
たぶん、日々野先輩との戦いが終われば……勝っても負けても、俺はもう動けなくなるだろう。
もう、やると決めている。
どうせ逃げられないなら、ここで力を振り絞るしかない。
それが来たのは、巨大氷柱を二回ほど防御し、三回目を防ごうと構えていた時だった。
「――我流・錦糸糸!」
俺の張ったシールドに巨大氷柱が触れると同時に、横手から現れた人影が氷柱を殴……いや、斬りつけた。
すると、氷柱は氷塊に帰した。
氷柱に無数の線が走ったと思えば、それは賽の目状の小さな欠片となってカラカラと床に広がり落ちた。。
――すげえ。魔除けの斬撃か。
「すまない、貴椿。待たせた」
目の前で、馬の尻尾が揺れた。
俺より高い背に、白木の木刀を引っさげ。
ようやく、待っていた騎士が現れた。
「……遅いっつーの」
三動王夢幻。
総合騎士道部で最強の体術を誇る騎士が、ついにやってきた。
それを見て、すでに余裕で限界を超えていた俺の身体から力が抜けた。
――あとは任せる。
そんな一言を告げる余力さえ、もうなかった。




