131.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 19
愕然とした。
柔らかなそれに触れながら、愕然とした。
そんなはずはないとしつこくまさぐるが、しかし、それは俺の想像していた感触とは雲泥の差があった。
……まさか……そんな……!
「――ひ、ひえぇぇ!?」
日々野先輩が我に返るまで、約10秒。
吹雪は止んでいるし、触れている俺の手が凍ることもなかった。
魔力のコントロールさえ忘れて、しばし呆然としていた日々野先輩は、弾かれたように後ずさりして俺から離れた。魔女らしくない必死な表情である。
「な、なぜ!? な、なんですかあなたは! なんですかあなたは!!」
胸を庇うような態勢になりつつ、それこそなぜか敬語で抗議された。
血色が悪いと言えるくらい真っ白だった日々野先輩の顔が、今は真っ赤に染まっていた。
でも、俺も聞きたい。
「なかった……」
絶対の自信があったのに。
なぜだ。
「……なかった?」
羞恥に身を震わせていた日々野先輩の眉が、ぎゅんと、それはもうすごい勢いでつり上がった。
「ありますけど!? し……Dありますけど、何か!? D=ない、と言えるほど大きなモノがお好みという意味ですか!? 失礼な!」
ん?
「ディー?」
「ええDです! Cではなく、Dです! ほらどうですDの風格かあるでしょう!?」
いやピンクベストの芸人のように胸を張られても。なんの話をしているかもよくわからないし。
まあ、いい。わからないことを考えたって仕方ない。
それより問題はこっちだ。
――なかったのだ。
俺としては、絶対の自信があったのに。
日々野先輩は、これまでの動きから見て、利き手は右だ。
たぶん真面目で、慎重……かどうかはわかならないが、俺の思考や場の状況を読んでいることから、短絡的ではない。
魔力の操作方法を見ても、きめ細かい性格のようなものが反映されていると思う。そうじゃなければもっと力押しみたいな使い方になるからな。力の強い魔女は特に。力に頼って技術は二の次になる傾向があるのだ。日々野先輩の場合なら、テクニックは置いといて強い魔力頼りに直接凍らせに来る、みたいな感じになると思う。
あれだけ触ったのだ。
感覚が麻痺しつつある手でもあれだけもみくちゃにして確認したんだ、さすがに間違いはないだろう。
参加証がなかった。
日々野先輩の性格と右利きであることを鑑みるに、ブレザーの左の胸ポケットか、左の内ポケットに参加証を入れていると予想した。
使用頻度が高いブレザー左右は、大切な物を入れるに適さない。それこそ使用頻度が高いハンカチやポケットティッシュが多い。スカートのポケットも同じようなものだ。
大切で、そんなに使用頻度のない、かさばらない参加証をどこに持っているのか。
俺は自信を持って、そこだと思った、のだが……
指先が凍えて動かなくなってきているので、まず服の上から確かめた。
左の胸ポケットか、内ポケットか。
確認さえ取れれば、あとは捨て身で行けばいい。勝機のない特攻と、勝機のあるそれとでは、まったく別物だと俺は思う。
俺の全身が凍らされる前に回収すれば、この危機的状況を打破できたはずだ。
というか、現状俺一人の力では、どう考えてもこの方法以外の勝機は見出せなかった。
そして、この方法での参加証奪取のチャンスは、基本的に一回だけしかありえない。
俺がやったことは完全に奇襲で、奇襲なんて奇を衒うから有効なのであって。
一度チャレンジして失敗すれば、相手は確実に警戒するわけで。
「最悪だ……」
今この時、俺は一番やってはいけないことをやってしまったことを悟る。
一発逆転にして、一度きりの勝機を逃した。
読みに失敗し、魔女を怒らせた。
最悪以外の何者でもないことを、やってしまった。
「――誰の胸が最悪ですって!? Dを捕まえて最悪ですって!?」
ほら、すげー怒ってるし……ん?
「ひ、人様の胸を断りもなく遠慮もなく我が物顔で揉みしだいておきながら、『ない』だの『最悪』だの……あなたが最悪よ!! 人の胸をなんだと思っているの!? 胸は男のためにあるものではないのですよ!!」
え、いや、……え? え? ……何?
「いやちょっと待ちなさい! あなたなんで若干引いてる顔してるの!? 私の方が引くわよ! 引いて怒ってるわよ!」
は、はあ……
「事故でちょっと触れる程度なら微笑さえ返して許せるのに、あそこまで鷲掴んで揉みほぐして! もぐほどの力で揉んでおいて! ないとか最悪とか引くとか! 引くとか!! せめて少しは喜ぶか申し訳なさそうな顔しなさいよ!」
いや、あの、えーと、
「な、なんの話を……?」
「わかりきったことを! 私の胸がDだという話ですけど!?」
むね?
……胸?
…………あっ。
なるほどと納得した俺は、はっきりと頷いた。
「大丈夫です」
「はあ!?」
「厚手のブレザーの上からだし、しかももう俺の手はだいぶ感覚がありません。だから気にしなくていいです」
確かに胸は触ったんだろう。
あれだけ怒ってるわけだし。
もぎ取ってやろうくらいの勢いで触ってしまったんだろう。
けど、この状況で女子の胸がどうこうなんて、そんな余裕があるわけがない。
むしろそんなことを気にする余裕があるのは、魔女だけの特権だろう。
魔女と、それも高レベル魔女との戦闘の最中に、騎士側にそんなの気にしている余裕があるものか。
必死だぞ。本当に必死なんだ。
わずかな望みにすがりつきながら、必死で勝利を目指しているのだ。
俺はもう、勝率がわずかでも上がるなら、この場で素っ裸になっても構わないとさえ思っているしな。
その……アレだ。
都会で言うところの、「パンツ溶けた」ってやつだ。……ん? なんか違うか?
「だいたいDだのなんだのわかりませんよ」
そんなの揉んだこともないし。どれくらいのサイズなのかもさっぱりわからないし。そもそも何カップがどの程度っていうのも理解してないし。
「……それは、暗に、揉んでみた感じでは私はDではないと仰っているの?」
ゴォォォォ!
再び吹雪が巻き起こる。
……怒った分だけ、さっきより強烈なやつだ。
今まではそんなでもなかったのに、今はほとばしる魔力から強烈な害意を感じる。
吐き気がするほどの濃密な害意を。
そしてそれは、賭けに負けた哀れな騎士――俺に向けられている。
ヤバイぞ……マジでヤバイ。
さっきから中和領域を展開しているのに、吹雪が消えない。
このままじゃ本当に数分で凍えちまう……!
肉体的にも精神的にも震え上がってしまうこの状況。
全身に吹き付ける氷と風は、しかしピタリと止まった。
視界を覆う白は止み――代わりに恐ろしいものを見てしまった。
でかい。
日々野先輩の頭上に、巨大な……軽トラック並に大きな氷柱が浮かんでいた。
あんなの直撃したら、刺さるどこか、焼き鳥みたいに串刺しになっちまう。
その物の重量、そして込められた魔力の密度からして……俺のシールドや「翡翠」では排除できないのは、一目でわかった。
まずい。
これはマジでまずい。
「――大きいのが好みなんでしょう? お望み通りにしてあげる」
あまりにも感情を感じさせない冷たい視線に、ぞっとする。
先輩は、間違いなく、ためらいもせずにアレを放つことを、確信した。
俺の後ろには、騎士たちがいる。
こんな物が飛んでいったら、たとえ当たらなくても、ただでさえ折れかけているだろう騎士たちの心は、確実に折れるだろう。もう刃向かうがなくなるだろう。……正直、近くで見てしまった俺の心も今折れそうなくらいだ。
彼らが復帰しないと、日々野先輩には勝てない。
俺は逃げられない。
騎士たちを守るためにも。
それに、たとえ今逃げても、日々野先輩は怒らせた俺を確実に追いかけてくるだろうしな。
防ぎようのない魔法が、来る。
防げないのがわかっているのに、逃げられない。
――どうすんだこれ。難儀なことだ。本当に。




