130.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 18
できることを探る。
手詰まり感は揺るがない。まるで豪華客船を沈めた氷山のように立ちふさがっているが、それはあくまでも現状のみの話だ。
無駄に近い悪あがきをすることで、本当にわずかながらの勝機や賞賛が生まれることがある。
それこそ、少しずつ削るがごとくだ。
絶対の壁を壊せない、乗り越えられないなら、少しずつ現状を変えていき突破を目指せばいい。一気にできなくていい、少しずつだ。
……まあその「少しずつ現状打破」を模索する間に、やられる可能性が非常に高いのだが。
だが、無駄なあがきとなるかどうかは、それこそあがいてみないとわからない。
それこそ今回に限りは、時間が稼げれば有利になる。
どうあっても勝ちに行く必要がないというのは、心理的にも気が楽だ。
――それに、勝算は限りなく低いが、一発逆転の手がないわけでもない。
ただし、一度仕掛けて失敗したら、日々野先輩が本気で俺を潰しに来る可能性があるだけで。
でも、やってみてもいいかもしれない。
先輩に警戒心を植え付けられれば、それこそ時間稼ぎがやりやすい。何をするかわからないと思わせられれば、小細工に等しい悪あがきの効果も増す。
そもそも、時間制限があるのはこっちも同じだ。
現状このままだと確実に、あと数分で身体が凍える。
足元から這い上がってくる冷気に背筋はこわばり、手……指先なんて、震えるを通り過ぎてそろそろ思い通りに動かなくなってきている。
満足に仕掛けられるのは、今しかないだろう。
失敗すれば、危険度は確実に増す。
それを覚悟し、腹を括った。
中和領域を解除する。
途端、室内は再び白一色に染め上げられた。小さな小さな氷の決勝が、あっという間に俺の全身に吹き付ける。
……寒い。死ぬほど寒い。
氷と風に吹かれ、体温がぐんぐん下がっていくのを嫌でも感じる。
中和領域を展開して抑えたい衝動をこらえ、耐える。
それにしても厄介なものだ。
この吹雪なり氷なりは、厳密に言えば魔法ではない。ただの魔力の放出だ。
魔力を魔法として使用しない、ただの放出。通常ならば原始的な空気弾程度にしか使えない、魔法と呼ぶにもおこがましい雑な代物なのだが。
しかし、日々野先輩の特異体質だからこそ、こうなる。
放出量と放出濃度を調整するだけで、吹雪を生み出したり氷柱を発生させたり、または触れたものを凍らせたりする。
もしこの現象が魔法だったら、それこそ吹雪や氷柱を生み出すのに、いちいち魔法を使用せねばならない。そんな様子がまるでないのだから、やはりそういうことになる。
特に、吹雪を呼びながら氷柱を出したり、それこそ魔法である「瞬間移動」を使える時点で、魔法が複合していることになる。婆ちゃんクラスでも非常に難しいという異なる魔法の同時使用を、さすがに日々野先輩の年齢で使えるとは思えない。
原理としてはやはり原始的なのだ。
通常の魔女が使用する時と違い、高い効果が得られるだけで。
視界はほとんど利かない。
眼前には真っ白な猛吹雪だけだ。
だが、それは俺だけではなく、日々野先輩も同じことだ。
先輩も見えてはいないだろう。ここはもう己が冷気で支配する領域にしている、手に取るようにいろんなものを把握できるようになっているはずだ。温度の変化だか生き物としての息遣いだとか存在自体だとか、様々な要因はあるとして。
しかしその「様々な要因」に、視覚は含まれない。
そこに付け入る隙がある。
余程の馬鹿じゃなければ、この状態で自ら突っ込んでくることはない。中和領域を解除した時点で、俺が何かを企てていることは容易に想像がつくだろう。
このまま体温を奪うのが、日々野先輩にとっての正解。
現状を維持し、確実に俺を凍りつかせればいい。
しかし、魔除けの力が強い相手を見えないまま放置できるのは、それこそ戦い慣れて経験豊富な魔女だけだ。
逆に考えればわかりやすい。
絶大なる力を持つ魔女と戦っている最中、魔女から目を逸らすことができるのか?
俺は確実に否だ。
それは即敗北に繋がることを、身をもって経験している。
日々野先輩は、中和領域を解除した俺が何かしている、という不安を押し殺して現状維持に努めることができるのか……
婆ちゃんほどのベテランなら、この状況であれば距離を取って高みの見物に入るだろう。経験上「何が起ころうと問題ない」と悟り、何かあれば離脱と反撃の警戒心も忘れずに。
これは俺の罠だ。
日々野先輩に下策を打たせるための、罠だ。
それも、日々野先輩が「とりあえず出しておけば問題ない」と、牽制のつもりで放つ一手を、待つ。
果たして……先輩は罠に掛かった。
――やると思った!
見えない視界、何かを企てる中和領域の解除、そしてあえて動きを見せなかった俺。
何事かあると予想し、日々野先輩は動いた。
吹雪で互いの視界を塞いだまま、数本の氷柱を生み出し、飛ばしてきた。
そう、俺が待っていたのは、この「とりあえず出しておいて損はない」という牽制の手だ。
様子見の、俺の反応を伺うための、しかし当たれば俺にとっては致命的なダメージを受けるであろう、尖った飛び道具。
一面真っ白のその先に、ほんの一筋だが、勝機が差し込んだ。
「――硬!」
初歩的な五角シールドで牽制の氷柱を防ぎ――大きく踏み込む。
「飛べぇ!!」
寒さに縮こまっている下半身に命じる。
強く踏み込み。
力の限り床を蹴り。
体重を乗せるようにして腰を回し。
跳ね上がる右足の底――単純にして、だからこそ力が込めやすい型通りの前蹴りを放つ。
狙いは、シールド。
更に言うなら、シールドで止めた氷柱だったもの……盾に阻まれ先端が折れた氷塊だ。
やはり視界は効かないが、日々野先輩の漠然とした居場所と魔力の流れくらいは、ちゃんと見えている。
俺が蹴り飛ばした、先輩の武器だった氷塊は、確実に先輩に向かって飛んだはず。
「なっ……!」
白い魔女の動揺を、確かに察知した。
俺は、氷塊が飛んでいった先――差し込む勝利への細道へと走った。
氷塊は、硬い。
この環境にして、日々野先輩の魔力から発生したのであれば、石のように硬い。
そんなものを蹴り飛ばされたら、それは驚くだろう。
それも、視界の効かない先から、予想外に飛んできたのであれば。
咄嗟に両手で顔を庇う姿勢になるのも、当然だ。
顔や頭に直撃し、当たり所が悪ければ意識まで取られかねない。それくらいの大きさの氷塊と、それが起こりうるだけの強さで蹴ったつもりだ。
顔や頭もそうだが、特に目に当たるのを防ぐのは、それこそ生物としての本能的な反応だろう。むしろそれこそ意識的にやったとは思えないくらいだ。
この状況、この視界の悪さで咄嗟に反応できただけでも、先輩の反射神経はそれなりに良いと思う。
「――っ!」
だが、それも想定内の悪手。
ほとんど無防備になっている先輩のすぐ傍に、俺はすでにいた。
腕のガードが下がった一瞬、俺と先輩の目が合った。
慌てて距離を取ろう、あるいは氷を生み出そう――動揺に揺れる双眸に、そんな思考を巡らせたのが読み取れた。
だが、遅い。
何をするより、俺の方が速い。
先輩が行動を起こすより早く、俺の手はもう、日々野先輩に触れていた。
むにゅ むぎゅう むにむに
すでに俺は、日々野先輩の胸を、揉んでいた。




