127.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 15
「――なんだよもぉぉぉぉぉぉ!!」
攻撃を加えられても状況を認識できなかった糸杉は、日々野先輩の「ただの嘘よ」という聞き間違いすらできない切れ味鋭い一言で、わっと泣き崩れた。
「いきなり絶頂にいたったこの胸のときめき、どうすんだよおぉ……! 会って1分で結婚詐欺に遭ったって誰が信じるんすかぁ……!」
日々野先輩の言う通りだった。
俺は、ひどい、とてもひどい、罪深いことを言ってしまったようだ。
ポンと、優しくいたわるように、俺の右手が糸杉の肩に触れる。
そして糸杉は顔を上げ――
「――翡翠!」
「んぎゃっ!?」
よし……触った感じ、これで糸杉の魔力はほとんど残っていない。もう戦闘不能だろう。
「――なんだよもおぉぉぉぉぉぉーーー!! 会って数分で二回も騙されたよぉーーーー!!」
ついに糸杉は日々野先輩に泣きついた。
「せんぱーーーーい! おとこがーーーー! おとこが自分にひどい嘘をーーーーー!」
そんな糸杉を、日々野先輩は冷ややかに見ていた。
「議論の余地なく騙す方が悪いけれど、でも今ので騙される方もかなりどうかと思う」
「そうですね」
冷たい言葉に、「こいつマジかよ」と言いたげに呆れている蛇ノ目も同意した。……でもそれでも糸杉に胸を貸しているのが、日々野先輩なりの優しさなんだろう。
「でもいい機会だわ。蛇ノ目さんも憶えておきなさい。高校からの実技試験には、こういう本物の騎士もいるのよ」
――本物かどうかは俺は知らないが、魔女と常人の差は、痛みを伴って心底理解しているつもりだ。
やれることと、考えられること。
魔法が使えない者からすれば、それら全てを総動員しても勝てない可能性の方が高いのが、魔女という存在だ。
「そうですね。どう見ても、これまで見てきた騎士より危険ですね。……これが先輩の言うところの、意識の違いってやつなんですかね」
蛇ノ目がずずいと顔を寄せ、それこそ前髪が触れるんじゃないかという至近距離で俺の瞳を覗き込む。
それでも俺は、蛇ノ目の顔の向こうにいる日々野先輩を注視する。
「ちょうどいいし、蛇ノ目さんそのまま相手してみれば?」
「いいんですか? どう見ても貴椿くんは先輩を相手として見てますけど」
「別に。内心相手にしたくなさそうだから」
相手したくないと思っているのは当たっているが、ちょっと待て。
「その場合、日々野先輩はどうするんですか?」
今俺がしているのは、日々野先輩の足止めだ。
蛇ノ目と糸杉が、今まさに体勢を整えているだろう騎士たちに向かうのは、構わない。ヴァルプルギスじゃないし騎士側も単独ではない以上、そこまで圧倒的な差はないだろう。
しかし、日々野先輩を行かせるのはまずい。
体勢を整えるってのは、メンタル部分も担うのだ。
今騎士が、日々野先輩に折られかかった心を抱えていて、更に補強する前にへし折られるような真似をされたら、援軍が望めなくなる。
最悪……二人同時に相手することになる、か。
魔力を削った糸杉は、魔女としてはもう役に立たないだろうが、しかし……
「さあ? どうすると思う?」
……やっぱり日々野先輩は、状況も、俺が考えていることも見抜いている気がする。
ならば、取れる道は一つ。
「蛇ノ目」
俺はひたと、蛇ノ目の目を見据える。
「やるか?」
日々野先輩が何を考え、どんな行動に出るのかわからないのであれば。
何かを始める前に、この蛇ノ目を速攻で片付けて、再び日々野先輩と睨み合う。
それがベストだ。
「ちょっと待ってほしいっす!」
……ああ、やっぱ来たか。
「自分も騙したお礼くらいはしときたいっすね!」
日々野先輩から離れた糸杉が、それはもう至近距離で俺を睨む。まるでヤンキーのように。
二対一、か……まあいい。
魔女の戦力を削ぐことに繋がるなら、相手にするのは無駄じゃない。
かなりきついが、糸杉の魔力がほとんど尽きている分だけ、まだマシだ。
第一、この二人より日々野先輩一人の方が、厄介だろうしな。
「やるなら早くやろう」
うだうだやってる場合じゃない。日々野先輩を釘付けにしておかないと。
少し離れたところで、蛇ノ目と糸杉二人と向き合う。
狙うのは速攻だ。
少し見た限りでは、騎士たちの立て直しにはもう少しかかるかもしれない。こちらの様子を伺っている元気な者もいれば、半分氷漬けにされたのか真っ青な顔でまだ震えている者もいるし、「逃げる」「逃げない」で口論をしているチームもいる。
問題の日々野先輩は壁際に移動し、笑いながらこの勝負を観戦するつもり……のようにも見えるが、あの人は俺がしたいことと警戒していることを悟っている。
故に何をするかわからない。
勝負ってのは相手の嫌がることをやるのが基本にして王道だからな。今騎士たちの所へ行かせたら、恐らく一気にやられるだろう。
……さて。
片方は魔力切れ寸前とは言え、魔女二人を相手するとなると。
やはり、自分の身体を削る覚悟は必要だろうな。
哀川先輩は簡単な治癒魔法を使えるし、大いに期待しよう。
よし、だいたい方針も決まったな。
「じゃあ、行くっすよ?」
仕返ししたくてたまらないらしい糸杉が、礼儀とばかりに確認する。
「来い」
躊躇なく頷いた。
「――『変化』っ!!」
声とともに、糸杉の姿が掻き消えた。
そう思ったら、このフロアの低い天井すれすれを、一羽の鷹が滑空していた。
大きい。
鳥類とは思えないくらいに。
悠然と舞う貫禄ある姿に一瞬目を奪われるが――
一度遠ざかったかと思えば、今度はまっすぐにこちら目掛けて飛んできた。
空を掻っ切る風の音が聞こえそうな猛禽類のスピードは迅速。このまま突っ込んできたら鋭い嘴が体内をブチ抜くだろう。
そうか。
残り少ない魔力を、糸杉は「動物変化」の魔法に使ったか。
「――おりゃーーーー!」
来た。
染色する寸前、糸杉は「変化」を解除した。
鷹のスピードに、人間の重量。
そして鍛え上げた瞬発力、筋力、テクニック。
全てを統合し重い一撃へと昇華した、渾身の右膝蹴りが――
俺の顔面を直撃した。




