126.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 14
「――あら。意外なところで会ったわね」
荒ぶる吹雪が止む。
かなり近い距離で対峙する日々野先輩は、余裕たっぷりに笑う。
「おい撤退だ!」
「く、くそ……震えが止まらない……」
無差別的な冷気攻撃がストップしたのを合図に、今までがんばっていた騎士たちが撤退、あるいはチームの立て直しに動き出す。
数は……予想以上にいるようだな。10人くらいいるかもしれない。
これだけの騎士をまとめて相手にするとか……やっぱり望んで戦いたい相手ではないな。
それにしても……やっぱりダメージはないか。
今の「翡翠」は一かけらの吹雪に接触した瞬間に発動した。
つまり日々野先輩には触れることができなかった。
接触発動型の欠点……もしくは、もっと練度が上がれば、目標に接触した瞬間に発動なんて器用なことができるのかもしれない。
だが、意味はあったか。
高レベル魔女の日々野先輩の気を引くくらいの威力はあったみたいだ。
「先輩、寒いですよ」
「そう? 私は心地良いけれど」
「やっぱりそういう体質なんですね」
「言っておくけれど、温かい飲み物や食べ物も普通に好きだからね」
まるで雪女みたいだ、と思ったが、案外融通も利くようだ。
――とにかく今は時間稼ぎをしなければ。
逃げる騎士も続けて戦う騎士も、どちらにせよ立て直しの時間が必要だ。いなくなると心細くなるが戦意を失った者がいるのは邪魔になるし、これまで日々野冥と戦っていた騎士がまだ戦うとなればその経験がきっと役に立つ。
こうして対峙してわかった。
このプレッシャー、魔力量、そして何もせずとも身体の自由を蝕む環境……
日々野先輩は、俺一人では絶対に勝てない。
贔屓目に見て、捨て身になってようやく勝機が見えるくらい……後先考えずにやって勝率1パーセント以下ってところか。
まさしく「一矢報いる」くらいだな。
後を考えなくていいなら全力でぶつかるのもいいかもしれないが、俺の目的は別にある。ここで失格になるわけにはいかない。
「…………」
「…………」
お互い、動けなくなってしまった。
いや、結局は俺だけか。
隙あらば仕掛けようと俺は構えているが、日々野先輩はその俺をどうしてやろうかと笑いながら考えているみたいだ。
俺は本気だが、日々野先輩はまだまだ全然本気じゃない。格下と遊んでいる以外の事でもないのだろう。
正直かなり悔しいが、これが俺と日々野先輩の実力差だ。
「――せんぱーい」
そんな俺たちの間に、急に視界に現れた女子二人が割り込んだ。
「上階の連中、掃除してきたっすー」
「あ、貴椿くん」
最悪だ。日々野先輩の仲間……生徒会か。
視線は逸らせない。
日々野先輩を見たままだが、視界に入った二人……の、片方は見たことがある。
蛇ノ目である。
……というか、目に見えて状況が悪化したような……
「そういえば、今日は一年生の引率で参加してるって聞いてますよ」
「ええ、その通り。蛇ノ目さんは会ってるわね? こっちが――」
日々野先輩が、俺の知らない女子に視線を移した瞬間。
俺は一足で間を詰めると、すでに心で印を結んで準備していた「翡翠」を放った。
――お互い臨戦態勢に入っているのだ。隙を見せる方が悪い。この距離でよそ見する方がよっぽど悪い。よそ見できる方が問題だ。
だが当たり前のように、俺の拳は届かなかった。
「何してんすか、あんた」
日々野先輩の左右に控える形で寄り添う女子二人……の、知らない方の一年生が手のひらで軽々止めた。
「――こっちが糸杉鷹羽。生徒会の1年生よ」
俺の行動など視界に入れるまでもないのだろう。日々野先輩は何事もなかったかのように、俺の拳を止めた糸杉なる女子を紹介してくれた。
名前の通り、鷹を思わせるような気の強そうな瞳と、動きやすそうなショートカット頭が印象的だ。
「彼は貴椿くん。名前くらいは知っているでしょう?」
「はあ……生徒会に入るかもって噂されてた男子っすね。へえ。こいつがねえ」
糸杉が眼前でジロジロ俺を見ているが、それでも俺は日々野先輩を見つめたままだ。
さっきより非常にヤバイ状況になっているが、このメンツで一番危険なのは、やはり考えるまでもなく先輩だ。
不用意に逃げるのも、腰が引けるのもダメだ。
臨戦態勢に入っている以上、この場で逃げるという選択肢はない。
気持ちで負けたら、その瞬間に負ける。
やると決めたらヴァルプルギスだろうがなんだろうが、絶対に引かない。
婆ちゃんの試験で、一番最初に学び、一番最後まで必要とされた心構えだ。この心構えができなければ、俺は今も島でくすぶっていただろう。
「いいかげんこっち向いてもらえないっすかね? そんなに日々野せんぱいが好みなんすか?」
クスクス笑いながら糸杉が挑発してくる。
だが、もちろん無視だ。
俺はその数百倍はひどい婆ちゃんの煽りを数え切れないほど食らってきた。あれに比べれば本当になんでもない。
もっと口汚く、もっとゲスに。
身内としても他人としても恥じ入るくらいひどい煽りを、何度も何度も受けてきたんだ。
この程度で何を思うことがある。
それどころか、むしろ好機であると言える。
「――いや」
俺は日々野先輩を警戒したまま、視線だけを動かし、糸杉を見詰める。
「おまえの方が好みだ。結婚してくれ」
…………
「……へ……へえぇぇっっっっ!?」
何を言われたのかわからなかったのか、反応はだいぶ遅かった。
しかし、ちゃんと驚いてくれた。
平常心を崩す。
それは騎士であろうと魔女であろうと、わりと致命的なことである。
心を乱せば、正常な思考を奪えば。
魔除けも魔法も、鈍る。
当たり前のことであり、誰でも知っていることでありながらも。
戦闘慣れしていなければ、そのまま「当たり前のこと」としてそのままにしておく致命的な弱点。
ましてや手の届く距離にいれば、もはや語るまでもない。
「――翡翠!」
「ぎゃっ!?」
よし、糸杉の魔力を削ったぞ!
「え? え? え? え? ……え? えっ? …………えっ? けっこん……え? あれ? え? まずおつきあいから……え?」
攻撃を仕掛けられてなおかわいそうなくらい動揺している糸杉がさすがにちょっとかわいそうに思えてきたが、それでも俺は日々野先輩を警戒している。
「……その戦闘に対する意識の高さは称賛に値するけれど」
日々野先輩の視線が、物理的にも精神的にも、若干冷たい……気がする。
「罪深いことを言うわね」




