125.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 13
目的を決めてからの行動は早かった。
「行こう!」
「おっ!?」「えっ!?」
形ばかりの多数決で即結論が出ると、哀川先輩は俺と國上を押して――壁が崩れたそこから俺たちを突き落とした。
一瞬の浮遊感と、重力に従う落下。
突然の行動に驚くも……いや別に間違ってはいないな、と思い直す。
一緒に飛び出した哀川先輩は、二回ほどの「瞬間移動」で俺たちごと飛び、無事に降り立った。
さすが魔女。
やはり魔法は便利だ。
階段をそのまま降りるよりは圧倒的な移動スピードで降り、俺たちは駆けた。
問題の氷漬けのビル到着に1分も掛からない。
走っている間に、俺は心印を結ぶ。
ここ最近、北乃宮から教えてもらった抗魔法は多種多様で、全てを体得はしていない。あくまでも「使える」程度のもので、まあ実戦レベルには耐えられないくらいだ。
しかし、二つだけ。
俺が使いやすいと判断した二つだけ、自主鍛錬で身につけた。
実戦レベルで使用できるまで鍛えた。
「俺が穴を開けます! どのビルですか!?」
さっきの「瞬間移動」での移動距離から考えるに、三人一緒に氷漬けのビルに入るのは、ちょっと難しいと思う。
「瞬間移動」は俺たちが多くなると、距離も精度も落ちる。
下手すれば氷の中に移動してしまって身動きが取れなくなる可能性もある。
もしもの時の逃げ道確保の意味も込めて、物理的に氷に風穴を開けておくのも、悪くはないだろう。少なくともデメリットはないはずだ。
「あれ! ――っととと!? あぶなっ」
近づけば、ビルどころか地面まで氷が広がっている。國上はスケートのように滑りつつ、日々野先輩や綾辺先輩がいるビルを指差す。
遠くから見てもすごいが、近くで見るともっとすごいな。
なんだか世界の終わりを感じさせる、人が滅んだ世の中を垣間見たような……生き物を拒絶しているような冷たい空間だ。
それにしても、見事に凍結って感じだな。
ビルを覆う氷壁の厚みは少なくとも1メートルはあるだろうし、一帯の温度は氷点下なのではなかろうか。
吐く息はすでに白いし、近づけば近づくほど危険な気配が強くなる。
こんな状況でもなければ、絶対に近寄ろうとは思わないんだがな……
だが、決めた以上は、迅速に片を付けねばならない。
他の魔女が寄ってくる前に、日々野冥を狩るぞ!
目的のビルに到着すると、俺は腰を落として構えた。
魔除けの印はすでに結んでいる。
あとは放つのみだ。
「――翡翠!」
放った拳が触れた瞬間、一瞬にして氷壁に球状の風穴が空いた。
「うわすごっ! 効果でかい!」
クレーター状に空いた氷壁の穴は、大体直径2メートルくらいだ。これなら余裕で通れるだろう。
うん、やっぱりこれは実戦で使える。
拳に魔を払う力を集中させ、触れることで発動する近接用の抗魔法だ。
俺がわかりやすいように解釈すると、直接魔法に叩きつける中和領域……という感じになる。
直接接触しないとダメなだけに射程距離は手の届く範囲と短いが、利点はシールド並の硬度と効果が望めること。
何より画期的だったのは、これは直接魔女にダメージを与える技でもある、ということだ。つまり俺が持っていなかったジャンルの技だったということだ。
この「翡翠」は、魔法は当然として魔女の身体に叩き込むことで、強制的に魔女の魔力を消耗させることもできる。
レベル4くらいなら、俺なら二、三発で魔力を枯渇させられる。
――この辺の魔力の強制消耗は、実は中和領域で代用はしていたのだ。
ただし「魔力を祓う」のは魔女の身体の外に出ている分だけが基本なので、強制的に消耗させるには相手に触れないといけない。
その上、「翡翠」のように触れれば爆発的な効果が期待できるものではなく、じわじわ減っていく。その間触れ続けていなければならない。……と、代用と呼ぶにもおこがましい効果の差があった。
ちなみにこの「翡翠」は、珍しい技ではない。
抗魔法のレベルも2で、ごく一般的な技なんだそうだ。きっと國上も、魔女である哀川先輩も使えると思う。
婆ちゃんの試験中、これがあれば、もう少し楽に突破できたはずだ。
魔法の奥深さは知っていたが、抗魔法の奥の深さにも驚かされたものだ。
……ふふっ。
いつか絶対婆ちゃんに叩き込んでやるからな……積年の恨みを思い知れ……!
ビルに侵入すると、上階から物音が聞こえた。どうやらまだ戦っている最中らしい。
「先行します!」
「「えっ」」
止める間もなく、哀川先輩が消えた。「瞬間移動」で上に向かったのだろう。
あまりにも唐突だったので驚いたものの、別に間違ってはいない。打ち合わせ済みでもあるしな。
哀川先輩の行動は、戦場を確かめるための、言わば斥候。
地形も上下左右も無視して移動できるので、魔女の偵察は行くも逃げるも有能である。
ただ、本当に唐突で、驚いたが。
「あの人そんなに綾辺先輩好きなのか?」
「好きだよ。貴椿くんの想像以上に大好きだと思うよ」
「でも綾辺先輩、結構変な人だろ? 今はチラリ要員になってるし」
俺は正直ちょっと引いたんだぞ。巧妙に隠してチラチラさせずにいっそ脱げと思ったんだぞ。
「そうだねぇ……色々変だとは思ってたけど、今は嬉々として半裸で堂々と歩いてるしねぇ。……でもまあ変なのはお互い様なんじゃない? あれで周囲にバレてないと信じてる哀川先輩とか、もう逆にすごい」
ああ……それは確かにすごいな。俺でも一瞬でわかったのにな。どんな根拠でバレてないと思ってるんだかな。
そんな会話をしつつ、待つこと30秒。
斥候の哀川先輩が戻ってきたら撤退の合図で、戻ってこなければこちらから行く手筈となっている。
上階の物音と、誰かしらの声は、止むことなく断続的に続いていた。
当然のように哀川先輩は戻ってこない。
「行こう」
「うん」
俺たちも遅れて移動を再開した。
やはり荒れているビルを探索し、非常階段を発見。そのまま三階へと移動し――
ようやく戦場にたどり着いた。
「寒っ……」
「これはきついね……腰が冷えそうだ。というかすでに冷え始めてる」
ビルに侵入してから温度がガクッと下がったが、この階は更に寒かった。
立ち込める冷気に、指先から凍ってしまいそうだ。
これは……この寒さは、長期戦は絶対に無理だぞ……こっちは防寒準備さえしていないのだ、早めに決着をつけて脱出しないと、身体が凍えて動かなくなる。
「ねえなんで女の子が腰を大切にしなきゃいけないか知ってる? 知ってる?」というどこかセクハラめいた國上の言葉は聞こえなかったことにし、俺は問題の場所へと走った。
――と、ようやく問題の人物が見えた。
「やっぱり日々野先輩か……」
俺たちと同じ制服で、白い髪をはためかせるその人は、あの夜に見た生徒会2年生の日々野冥だ。
自分の周囲に雪のような白い結晶を浮かせて、生み出した風に舞わせている。
……下手な魔法なんて必要ないってことか。
それこそ温度を下げて雪を吹きかけるだけで、人は行動不能になる。
実際、そうやって何人かの騎士を足止めしたり、また凍らせている最中のようだ。時折動くのは、哀川先輩ほか魔女の攻撃を避けているのだろう。
日々野先輩周辺は、吹雪のようになっているので、かなり視界が悪い。
やっぱりレベル7以上は、桁違いだな……
って、尻込みしてる場合じゃないな。
幸い日々野先輩は、まだ俺たちに気づいていない。
俺は再び心印を結んで、――一気に接近した。
己が生み出す風の音で、俺の足音も消えていたのだろう。
日々野先輩が俺の接近に気づいた時には、俺はもう射程距離に入っていた。
「――っ!」
口は開けない。雪が入ると体温が奪われる。
無言のまま放った俺の「翡翠」は、一瞬にして日々野先輩のまとう吹雪をかき消した。
白い結晶が、魔力の粒子となって消える。
輝くそれらを挟んで、確かに、俺と日々野先輩は互いを認識し合った。
時間にすればほんの瞬きほどの間なのに、
しかしその瞬きほどの間は、まるで時間が止まったかのように感じられた。
絶対的な存在への宣戦布告。
ヴァルプルギスとの戦闘が始まった。




