122.貴椿千歳、はじめての検定試験に挑む 10
ビルが並ぶ、どこかの街だった。
ただし、廃れている。
倒壊まではいかないが、ビルのあちこちは崩れ壁はくすみ、窓ガラスは割れ、およそ映画で見たゴーストタウンのようだ。
アスファルトの道路もところどころひび割れ、深い亀裂が走る。
しかもなんだか薄暗いと思えば、彼方が真っ赤に染まっている。
かろうじて見える赤い太陽から、反対の空を見れば深い藍色――明日がすぐそこまで来ている。
夕方の朽ちた街、荒れた道路のど真ん中に俺たちは立っていた。
ここが俺たちの最終試験場である。
あと5分ほどで、騎士と魔女の戦いが始まる。
この三回戦目は、これまでの試験と違い、勝ち抜き形式となっている。
目的地を目指すだの制限時間を過ごすだのと明確な勝利の条件は存在せず、ただ状況を見て、『脱出』の合言葉で試験場から出ることで一応の勝ち抜きという形になる。
俺たちのチームでは、後方で状況を見て動く役割になっている國上が、緊急の際には合言葉を唱えることになった。
三回戦目のルールから鑑みて、この試験は確実に、魔女と騎士がぶつかり合うことを想定し、またそう差し向けている。
俺たちのように、戦わずに目的地を目指すだけ、みたいな不戦勝で勝つ騎士を出さないためだ。
元から実地試験と銘打ってあるんだし、必然と言えるルールだと思う。
周囲には、哀川先輩と國上以外誰もいない。
この試験場では、騎士も魔女もバラバラの場所からスタートすることになる。目的地がないんだからどこから始まっても同じだしな。
「哀川先輩、どうしましょ?」
俺と同じように辺りを見回していた國上が、落ち着いている哀川先輩に問う。
「とりあえず見通しの良い場所……この辺で一番高いビルを陣取るってのがセオリーになるわね。だからこの手は使わない方がいい」
セオリーってことは、全員が同じようなことを考えるから、だろう。
つまり、魔女たちが騎士を捜索する上でまず向かう先が、その「一番高いビル」になる可能性が高いってことだ。
一人二人ならなんとかなるかもしれないが、三人四人以上の魔女が一度にやってくると、さすがに対処は難しくなるだろう。
何より、「高いビル」に陣取るってことは、逃げ場がなくなっちまうってことだ。
魔女は魔法で空を飛べるが、騎士の多くは空を飛べない。
戦うのに慣れている魔女なら、逃げ場がない上に上にと追い込んでいくはずだ。
それこそ逃げ道を塞ぎながら獲物を追い詰める、熟練の狩人のようにな。
「篭城戦はね、魔女相手にする場合はあんまり有効じゃないんだよ。どんなにバリケードを張っても『瞬間移動』があるし、外から建物ごと壊すこともできるし、何より待ちの一手を選ぶと魔女に時間を与えることになる。その時間に魔女同士が合流すると、それこそ目も当てられない」
なるほどな。
……そうだな、待つのは得策じゃないかもな。
「魔法は抗魔法で無効化できるが、物理攻撃はその限りじゃない。となると、『魔女と戦う』と想定するなら、魔法を使った物理攻撃をかわすための機動力こそが一番大切なんじゃないですか?」
婆ちゃんの試験もそうだったからな。
魔女と戦うには、まず近付く必要があるんだ。
手の届く距離まで。
遠くから魔法を撃たれるだけでこっちは不利になるんだからな。
「貴椿くんの言う通りだと私も思う。待つよりは攻めに出た方が勝率は高いと思うわ」
哀川先輩は同意するも、國上は「うーん」と唸る。
「待つにしろ攻めるにしろ、戦力差というか実力差というか、そういう明確な差が埋まるわけじゃないですからね。どっちもリスクが高いし、リスクが存在しない戦い方もないし」
……それは仕方ないだろう、相手は魔女なんだから。
安全な戦い方なんてあるもんか。あったら魔女が猛威を振るう世界は来ていない。婆ちゃんが猛威を振るう世界になんてなってない。
「でも異論はないので動き回りましょうか。一応、パッとできそうな簡単な陣形を考えたんですが――」
基本となる動き、戦い方、陣形と連携と。
残りほぼ3分という限られた短い時間、俺たちは圧倒的に足りない作戦時間を心の中で嘆きながら、必死に話を詰めていく。
――ドォン!
参加証が開始を告げる合図が出るのとほぼ同時に、試験場に重い重い衝撃音が走る。
ここまでだいぶ距離があるのに、ここまで空気を震わせるほどの力を感じた。
何事かと音がした方向を見ている間に、遠くのビルがゆっくりと傾き出した。
……おいおい、マジかよ。
「あれ、どう見ても魔法での一撃ですよね……?」
國上が若干震える声で問うも、俺も哀川先輩も答えられなかった。
信じがたいというか、信じたくないからだ。
逃避したってしょうがないのはわかっているが……それでも認めたくはなかった。
あれはシャレにならない。
参加している魔女たちは、使用できる魔法に制限が付いている。あまり殺傷能力の高い魔法は元から使えないことになっているのだ。
にも関わらず、制限が付いているくせに、ビルを倒すほどの魔法が使える魔女がいる。
真っ先に思い浮かぶ候補は、やはりヴァルプルギスたる久城か式嶋か、あるいは日々野先輩かってところだが。
それよりもっと恐ろしいのは、俺たちが知らない、ヴァルプルギス以外の魔女がやっていた場合だ。
あるいは、まだ参加していることを知らないヴァルプルギスとかな。
俺たちはこれから魔女を求めて移動し、できる限り不意打ち強襲という形で参加証を集める予定だった。
もちろん、さっき会ったヴァルプルギスや日々野先輩は、見つけても襲わない。
というか襲うことなどできない。
返り討ちに遭う危険が高すぎるから。
――考えていても仕方ない、か。
「行きましょう」
心配の種は増えたが、このまま棒立ちしていては、状況が悪くなるばかりだ。
ここは見通しが良すぎる。
早く建物の中か、路地裏に入らないと、道路の向こうから丸見えだ。
魔女に見つかる前に、せめて移動だけでもしておかねば。
標的はすぐに見つかった。
気配を察知し、建物の影からチラッと覗けば、そこに魔女がいた。
道路のど真ん中を堂々と歩いているのは、黒い制服を着た九王院の魔女だ。
明るい茶髪が特徴的だが、あいにく見覚えはない。
彼女の周囲には、六つの球体が浮かんでいる。
まあ、球体というか、眼球そのものというか。
あれは全方位に視界を広げる「六の眼」という魔法だ。
人間は前方から左右およそ120度くらいは一度に視界に入るが、あれを使えば真後ろや真上も一度に視認することができる。そういう魔法だ。
あの隠れもしない堂々とした態度といい、「六の眼」を安定して維持する魔力とコントロールといい……
レベル6で、魔女歴も長いと見た。
つまり魔女としてはベテランだ。
そしてたぶん検定にも慣れていて、こっちでもベテランなんだろう。
見通しの良い場所を堂々と歩く様……あれは「先に騎士に見つかっても勝てる」という自信の表れだ。
――付け入る隙がある。
俺は後方の二人に「いけそうだから襲う」という合図をし、それから行動を開始した。
ここには隠れる場所がない。
距離はだいぶ離れていて、相手は常に全方位を見ている。
この状況で相手を釣り上げるには――そう、これだ。
「あっ!」
俺はできるだけわざとらしくない風を装い、「路地裏から出たら偶然すぐそこに魔女がいて驚いた」という演技をし、すぐに来た道を戻った。
直後。
「――男おおおおぉぉぉぉぉぉーーーーーーーー!」
ひいっ!?
背筋に冷たいものが走り、足が止まる。
身の毛もよだつ魂から絞り出したような欲望の声が、すぐ後ろから聞こえた。
案の定、『瞬間移動』で瞬く間に距離を詰めてきたのだろう。
結構距離があったはずのにな……やはりベテランは違う。
「ふふふふふふふふふ。見ぃーつけたぁ♪」
うわこわっ! マジでこわっ!
振り返れば、逆光を浴びて表情が読めない――いや、口元が歪んでいることだけは明確にわかる、茶髪の魔女が立っていた。
「さあ、お姉さんと遊びましょうねぇ」
と、魔女は一歩踏み出し――止まった。
「……ねえ? この足元に隠れている魔法陣が、罠だったりする?」
読まれた!
――そう、そこには國上が用意してきた「とり餅」の力がある魔法陣が敷いてある。簡単に言えば強力な瞬間接着剤のようなものが。
哀川先輩が『幻影』で覆ってカムフラージュは完璧にしてある。傍目には絶対に気づかないように。
恐らく、その『幻影』に使用された小さな魔法の痕跡を、敏感に感じ取ったのだ。
やはりベテランか。感覚も鋭い。
「うふふふふふふふふふ。悪い子。たぁっぷりお仕置きしてあげるからねぇ」
この人こえぇ! まるで絵に描いたような悪い魔女だよ!
つかこれ録画とかされて記録に残ったり、今現在リアルタイムで一般客が見てるんじゃないのか!? いいのかここまで本性丸出しでよ! 失う物はないのか!?
いや、けど、まあ、いい。
――釣れたしな。
「あ」
不意に背中を押され、魔女はよろめき、簡単に前に倒れた。
ちょうど両手を着くようにして。
あっけなく「とり餅」に捕まった。
背後に『瞬間移動』した哀川先輩が、勝利を確信して油断してしまった茶髪の魔女を、罠に押し込んだのだ。
「なっ、くそっ、こんなの……あっ!?」
ハッと息を飲んだのは、魔法が使えなかったからだ。
哀川先輩が『瞬間移動』をした直後に、もう俺が中和領域を展開している。隠していた魔法陣もむき出しになっているしな。
「よし捕まえた!」
そして、どこかから状況を見ていた國上が、ポーズ的に土下座みたいになっている茶髪の魔女に襲いかかった! ちなみに相川先輩に『瞬間移動』の合図を出したのも國上だ!
「オラ! 参加証を出せ! さもなくば男の前で服を脱がせるぞ! いいのか!? ボディの手入れはできてるのか!? ダイエットとかVゾーンの処理は万全なのか!? 見せても恥ずかしくないと言い切れる引き締まった無駄のない身体なのか!?」
……おい。國上。國上さん。
「やめてぇ! 脱がすのはいいけど脱がされるのはイヤぁ!」
よっぽど嫌なのか、「参加証なんて欲しけりゃくれてやるわよ! 持っていけばいいじゃない!」と、半狂乱で泣き叫ぶ茶髪の魔女。
「…………」
俺はこの魔女もヘンタイ的な意味でまだ怖いが。
実は、國上の方がその倍は怖いことに、今気づいた。
「魔女から参加証を奪う時が怖いのよ。だからできるだけ精神的なダメージも与えておかないと」
なんか、どこかの刑事ドラマで似たような……犯人を逮捕する時が云々言っていたのを、なんとなく思い出す。
「でも時々『脱がされても全然平気。むしろ脱がせて。扇情的に』とか言い出す魔女もいるのよね。困っちゃうわ」
おまえの方が困るわ。圧倒的に困るわ。
……いや、相手の反応も確かに困るな。人前で脱ぎたがる思考が全く理解できない。
まあ、とにかく。
これでまず一枚目。
三回戦は始まったばかりだ。




