112.魔女の穏やかな日々 十六
「え? バイト?」
その話が舞い込んだのは、金曜日の夜である。
余り物で夕飯を済ませ、ちょうど風呂から上がったところで、携帯が鳴った。
「人数不足です。どうしても魔女が集まらないようで」
電話の相手は花雅里さんで、前置きもそこそこに、そんなバイトの話を持ちかけられた。
先日、蛇ノ目さんが言っていた話である。
例の騎士検定に魔女が不足している、という例のアレだ。
陽はすっかり沈み、門限を過ぎ、あと数時間で日付が変わろうとしている。
座る前に、窓から空を見上げる。
帰る時にちょっと空模様が怪しくなってきていたが、今はいつ降り出してもおかしくないくらいに空が重い。今夜は窓を閉めた方が良さそうだ。
クーラーは……うーん……電気代がキツいかなぁ……隣の部屋の先輩に、ちょっと『冷却』でもしてもらおうかなー。
「でも私、レベル不足なんだけど」
とりあえず窓を閉めて、愛用クッションに落ち着いた。付けっぱなしのテレビのボリュームを下げる。
――結局、試験を明日に迎えたこの日になっても、参加する魔女が足りないらしい。
レベル5以上から募集している、って蛇ノ目さんは言っていたはずだ。
うちのクラスの該当者は四名で、その中に私は入っていない。
高レベル魔女は少ないし、それぞれ忙しそうだし、そりゃ集まらなくても無理はない気はする。現に花雅里さんも外せないバイトがあるとかなんとか言っていたし。
「ええ。しかも橘さんは検定を通っていないので、何の資格もありませんからね。たとえ高レベル魔女でも最初から参加する権利がありません」
あ、レベル以前に資格必須でしたか。
まあ、そりゃそうか。魔女なんてある意味究極の技術職だからね。
公式に魔女を使うことなら、絶対に資格が必要だろう。
「試験に参加するのではなく、裏方のスタッフとしてです。荷運びなどをするので『瞬間移動』や『浮遊』が使えれば問題ありません」
「はあ、スタッフとして」
幸いというかなんというか、簡単なだけに『瞬間移動』や『浮遊』の魔法なら、新米魔女の私だって使える。
ちなみにこの辺の簡単な魔法は、いわゆるスタンダードマジックのレベル1にカテゴライズされている。魔法禁止区域とTPOを弁えていれば、資格なしでも自由に使っていいことになっている。
「でも花雅里さん、検定の仕事は無償って言ってなかった?」
無償と聞いて「ひどい」と言った記憶がある。
花雅里さんが力説してくれた政治の話は申し訳ないほどよく憶えていないが、無報酬で働く高レベル魔女を探そうとしていたことは覚えている。
「基本的にはそうなんですが、今回は例外的措置が取られました」
「というと?」
「今回はあまりにも集まりが悪いので、学園長が自腹を切って報酬を出すと」
おおっ! すばらしい!
「それでなんとか参加する魔女は確保できたのですが、今度は裏で働くスタッフの数に若干不安があるそうで。毎回騎士志望の参加者が増えているのも原因かもしれません」
なるほど。
「ちなみにおいくら?」
「明日、明後日の両日。朝9時から夕方4時まで。これで一万円」
ほう!
「一日だと五千円出るそうですよ」
ほほう!
「いいねえ!」
高校生になったらバイトの一つでもしてやろうと、中学生の頃から色々調べてはいたんだよね。
高校に上がる寸前で魔女として覚醒しちゃったから、あとはもうバタバタして今に至るわけだけど。
「そうですか? 魔女ならもう少し厚遇のバイトもあると思いますが」
あ、そうなんだ……
「魔女の世界では、安い方?」
「そうですね。魔女を雇うなら安いですね。具体的に言えば、時給千円は最低賃金で貰えると思っていいですよ」
そ、そんなにか!?
そんなに貰えるのか、魔女は!?
前に調べた情報では、この条件はそんなに悪くはないと思うんだけどなぁ……
いや……でも、そうか。
魔女はある意味究極の技術職だもんな。
技術を買われて雇われるのであれば、そりゃモロに時給に影響するのだろう。
「ただ、橘さんはまだ、騎士の実地試験を見たことがありませんよね?」
「え? というか、あること自体知らなかったっていうか」
騎士検定に筆記試験的なものがあるのは知っていた。これは魔女として覚醒する前から知っていて、今や世間一般の常識的なことである。
が、実地試験なんてものがあると知ったのは、つい最近だ。
「それはそうでしょう。実地試験は、騎士育成校や団体のみに公開されているからです」
「…? どういうこと?」
花雅里さんの言葉は、「知らなくて当然、世間には知られないようにしているってこと」だよな?
「現段階の試験の形では、どうしても魔女の攻撃性と攻撃魔法が必要とされます。そんなものを一般に見せるのを防ぐためです」
「なんで?」
「反魔女派の人間を増やさないため、そして増長させないため」
ああ……言われてみると、少しだけわかる気がするな。
新米だけに私はまだまだ一般人の感覚が強い。
だからこそ思うのだ。
魔法を持っているのと持っていないのとでは、全てがまるで違う。
それこそ、持つ者と持たざる者の決定的な確執となり得ると思う。
これはすでに反魔女派などと呼ばれる、魔女の社会進出に反対する個人、あるいは団体として表面化している問題の一つだ。
この九王町や周辺は、もう魔女ばかりの地として安定しているだけに、そういう人は全くいないが。
でもここら周辺から外に出れば、魔女を毛嫌いする人たちと出会えることだろう。
実地試験の存在を知らされないのは、持つ者と持たざる者の違いを、これでもかと見せつけるような代物だからだ。
そんなものは公開したくないのだろう。
たぶん国が。
「橘さん、魔女にも色々な思想の人がいます。一度はそれに触れてみるのも悪くないと思いますよ」
ふうん……
「まあ、別に大した予定もないから、いいけどね」
強いて入っている予定を上げるとすれば、樹先輩に次なる人形作りの相談をしようと誘われているくらいだ。でもそんなものはいつでもできるしね。
花雅里さんが一度はやっとけって言うなら、私が拒否する理由はない。
それに、貴椿くんも北乃宮くんも、風間さんも、魅惑の腹筋三動王さんも出場するらしいし。
一人くらい近くで応援したっていいだろう。
そして土曜日がやってくる。
騎士検定は、誰もが予想しなかったであろう、微妙な結末を迎えることになる。




