111.魔女の穏やかな日々 十五
「――ちょっといい?」
忘れていたプリントの提出を済ませて、職員室から教室へと戻ってきたところで、女子の集団に声を掛けられた。
……ああ、いや、声を掛けられたのは一人か。
「蛇ノ目さん……だっけ?」
花雅里さんや貴椿くん、乱刃さんと話しているのを何度か見たことがある。
女にしておくのがもったいないようなイケメン女子で、いっつも取り巻きの女子を連れている人だ。確か生徒会だったっけ。
彼女の周りには、この学校には珍しい黄色い声があるので、目立つのだ。
同じ学年なせいか私も何度も見ているし、遠目に見ては男前だなーと思っていた。
もちろん、近くで見ても男前だ。
こりゃ女子も放っておかないはずである。
だってほら、彼女の後ろで、取り巻きの子たちが私のこと睨んでるし。
気に入らないって顔して。
超怖いんですけど。
「うん。あなたは橘さんだよね」
おお、名前を知られているとは思わなかった。
ときめいちゃうじゃないか。
男だったら惚れてるところだ。
「花雅里さんに用事?」
教室を見回すが……あれ? いないな。
「ちょっと外してるみたい」
「そう」
蛇ノ目さんは首を傾げた。
「どこに行ったかわかる?」
「全然。花雅里さん、先生にも頼られてるから、いつでも結構忙しそうなんだよね」
もちろん我らが1年4組総員も、申し訳ないってくらいに頼りっぱなしである。
いつか何かしらお礼をした方がいいだろう。
「何? 急ぎ? どうしてもって言うなら電話するけど」
「うーん……急ぎっていうか……まあ、急ぎかな」
いまいちはっきりしないのは、本人も考えながら話しているからだろう。
「実はね、今週末に騎士検定があるんだけど」
検定? その話なら聞いている。
私個人には全然関係ないことだが、うちのクラスから何人か出場することになっている。
北乃宮くんと貴椿くんと、風間さんと、三動王さんの四人……だったかな?
そういえば、三動王さんはちゃんと貴椿くんを誘えたんだろうか?
……まあたぶん誘えてないだろうな。
「実地試験に参加する魔女が、少し足りないみたいなんだ」
実地試験に参加する魔女?
そもそも「実地試験とはどんなことをするのか」ってのを知らない私からしたら、何がどうしてどうなって魔女を必要としているのかもわからないのだが。
「で、こうしてレベル5以上の魔女に声を掛けて、参加を募ってるってわけ。ちなみに橘さんのレベルは?」
「平均的なレベル4」
この学校どころか、世界的にもっとも多いレベル層に位置している平凡魔女だ。
しかも私の場合は新米魔女だ。
まだ自分の可能性さえ見えていないほどの素人ってのは、先日の「黒猫くん人形」でよーくわかったし。
魔法というものは私が考えているより奥が深い。
「ちょっと胸元がはだけた浴衣姿の黒猫くん人形」を愛でながら、そう思い知る毎日だ。
「このクラスだと、花雅里さんと縫染さんと和流さんと恋ヶ崎さんが、レベル5以上って報告を受けてるんだけど」
「ああ、そうだね。私もそう聞いてるよ」
花雅里さんと恋ヶ崎さんがレベル5、縫染さんと和流さんがレベル6だって話だ。
「呼ぼうか?」
恋ヶ崎さんはいないみたいだが、縫染さんと和流さんは教室にいる。
「いや、花雅里さんから通してもらった方が早いと思う。だから橘さんに話したわけだし」
あ、伝言頼むってことか。やけにすらすら用事を話すと思えば。
「そういうことなら伝えておくよ」
「お願いね」
蛇ノ目さんは、私を睨んでいた取り巻きの女子を連れて、足早に去っていった。
話した感じではまったく感じなかったが……
知り合いじゃなくて通りすがりの私に伝言を頼む辺り、実際はかなり急いでいたのかもしれない。
これは一秒でも早く、確実に花雅里さんに伝えておいた方が良さそうだ。
「花雅里さん」
「はい?」
程なくして教室に戻ってきた花雅里さんを捕まえ、蛇ノ目さんの伝言を伝える。
「ああ、今回も足りなかったんですね」
どうやら毎年……いや年二回だから、毎回恒例って感じのようだ。
「そういや花雅里さんは中等部から九王院なんだよね」
「ええ。中等部の頃も同じように、魔女の参加者不足という話が出ていましたから」
なるほど、そう珍しい話でもないのか。
「そんなに魔女が必要なの?」
「それもなくはない、という感じですね」
と、花雅里さんは腕を組んだ。
「実地試験はその名の通り、できる限り実戦形式に近づけた形で行われます。つまり騎士育成の一助と、日頃の成果の披露という側面があるわけです」
育成の一助と、成果の披露か。
目標があった方が努力もしやすい、っていう意味での育成の一助かな? 成果の披露はそのまんまの意味だろう。
「橘さんはまだまだ魔女歴が短いので知らないとは思いますが。
国の方針というか……どの辺の政治分野から来ているのかはさすがにわかりませんが、騎士の育成から統括までを担う政府機関と、魔女の育成と今以上の権利を求める魔女推進機関という、まだ公式発表されていない派閥があるのです」
えっ!?
「政府の非公開機関? 騎士育成と、魔女育成の?」
「その通りです」
「そんなのあるの?」
非公開というだけあって、私には初耳だ。
私はそんなに政治を追いかけるほど熱心ではないが、テレビなんかで政治家が魔女や騎士に触れることはなかったはずだ。もちろんそれ専門の組織があるなんて聞いたこともない。
そもそも、非公開なのになぜ花雅里さんは知っているんだ?
「ないはずがないでしょう」
あ、納得。
花雅里さん的にも確証はないようだが、「少し考えれば存在しないわけがないという結論に至る」って感じみたいだ。
うん、花雅里さんが言うなら、私は普通に納得できちゃうわ。
彼女が言うならきっとあるんだろう。
「魔女法の緩和を推し進める声はどこから上がるのか? 実際に法が動いた時、誰が得をするのか? 突き詰めれば、どう考えても国の中枢に魔女か、魔女を推進する人物がいることは明白です。
これが表沙汰にならないのは、未だ魔女育成の方針が確定されていないから。あるいは国中に存在する魔女たちの統率が取れないことを悟っているから、かもしれません。
まだ魔女が政治の舞台に立つのは早いでしょう。
まだまだ手探りでの育成が行われている今この時代に、魔女が政治の世界に名乗り出ることがあれば、それは魔女否定派と魔女がぶつかる理由にもなりかねませんから」
うーん……よくわからん。
「そして、今のところ魔女に対抗するための唯一の方法が、騎士……抗魔法の存在です。
魔女が政治の世界にいようがいまいが、魔女というある種危険人物たちに対抗するために、国は喉から手が出るほど騎士の存在を欲しているはずです。
国が推進しないはずがないでしょう。騎士育成にはすでに莫大なお金が動いているはずですよ。
お金が動く以上、それを管理・運用する機関がないわけがない。
そういうことです」
うん、わからん。
要するに、「魔女を育てたい政治家」がいて、それに対立するように「魔女に対抗するための騎士を育てたい政治家」がいるって話だろう。
うん。こう考えるとわかりやすい。
「話を戻しますが、騎士志望が増えて実地試験に臨むというのであれば、魔女にも同じように実地訓練を積ませたいと、国は考えているわけです。
男女比率では女性が多いですが、魔女とそうじゃない人の比率で言えば、やはり魔女は圧倒的少数になります。騎士志望者が多くなればなるほど、同じように参加させる魔女を増やしたい、というのが上の方針なのですよ」
片方だけの比重が大きくなるとバランスが取れなくなるから、過不足なく育成したいって感じか?
「蛇ノ目さんの伝言は、はっきり言えば、試験にはそんなに必要じゃないかもしれないけれど一応参加させておきたい、といったところでしょう。高レベル魔女の実力を見ておきたい、というのも含めて。
国や企業は優秀な魔女を求めていますからね。と同時に他国に渡さないよう注意もしているのです」
ふうん……なんだか難しい背景があるみたいだ。
「高レベル魔女は大変なんだね」
「全くです。私はレベル5で良かったと思っていますよ」
……それもなんか不思議なんだよなぁ。
その辺のレベル6より、花雅里さんの方がよっぽどすごいし頼りになる気がするんだけどなぁ。
「この手の要請は、バイト代が出るわけでもない、完全な無報酬ですからね。レベルが高いというだけで面倒事がやってくるのだからたまったものじゃないでしょう」
「それはひどい」
魔法使うと結構疲れるのに。魔女だって大変なんだぞ。
「ちなみに花雅里さんは参加するの?」
「無理でしょうね。どうしても外せないアルバイトがあるので」
「バイト?」
花雅里さんバイトなんてしてるのか。初耳だ。
だって花雅里さんの家って、かなりお金持ちだろうに。
「あ、伝言は確かに聞きました。こちらで処理します」
恋ヶ崎さんが教室に戻ってきたのを見て、花雅里さんは話を切り上げて行ってしまった。
ただの国家試験かと思えば、その背景には色々あるようだ。
軽い気持ちで「暇があったら見学に行ってみようかなー」とか思っていたんだけど……
もしかして軽い気持ちで行ったらダメなのか?
今日も穏やかな日常なのに、なんだか静かに慌ただしくなってきたかなぁ……




