109.魔女の穏やかな日々 十三
「隙あり!」
「ない」
飛びつく私の顔面を、三動王さんはガッと鷲掴みにした。
く、くそ……よそ見してたくせに……!
「いいじゃない、揉ませてくれても!」
その手に向かって抗議するも、彼女は「駄目だ」の一言である。
「あんな屈辱はもう御免だ」
あの魅惑の腹筋に今一度触れたいのだが、どうしても三動王さんのガードが硬い。これまでに何回もトライしているが、一度たりとも触れることができていない。
つかそもそも腹筋に触られるのが嫌っていう理由がわからない。
いいじゃないか腹筋くらい!
ちょっといやらしい手つきで撫でられるだけじゃないか!
「そういえば、橘は知っているのか?」
「これはアイアンクローっていうプロレスの技だよね。絞めないところが三動王さんの優しさと慈しみだと思っていいんだよね?」
「……まあ、素直に答えれば、痛くはしないでおこう」
と、三動王さんは私の顔面を開放した。
きっと、私の顔面を掴むことなど造作もないことだからだろう。いつだってできるから離したのだろう。
もうすぐ夏休みではあるが、1年4組はいつも通りである。
いや、期末テストが迫っているから、休み時間にも関わらず教科書を開いているクラスメイトがちらほらいる。私も勉強しないとまずいだろうな……
そんな中、三動王さんは自分の席でぼーっとしていた。頬杖をついて窓の外を眺めている。
普段からピシッとして背筋が伸びているだけに、そんな気の抜けた姿は珍しかった。
気が抜けていると思って襲いかかってみたものの、まあ、ごらんの通りだったわけだが。
「貴椿のことだ」
あ、貴椿くん見てたのか。
アンニュイな気分に浸ってたわけじゃないのか。
貴椿くんは、今日は登校してくるなりずっと寝ている。
授業中はなんとか起きているようだが、休み時間になるとまた寝入る。非常にお疲れのようだ。
「わかった。昨日の晩、何をしたせいであんなに疲れているのか気になるんだね」
「ナニ……? 気になるというと少し語弊があるかな。騎士検定の話をしたいのだが、あの有様ではな」
ああ、そうだよね。
さすがに話せる状態じゃない感じだしね。
「乱刃さんから聞いてるよ。貴椿くん、その騎士検定の特訓を始めたんだって」
「そうか。あれだけ疲れているとなると、かなりきつい特訓なんだろうな」
確かに。
詳しくは聞いていないが、こうして学校にも引きずるほどってのは、かなりハードなことをやっている証拠だろう。貴椿くん割と体力あるみたいだし。
「三動王さんも出るの? そういや騎士道部だもんね。そりゃ出るか」
「去年は筆記だけだったがな。今年は実地に出る」
実地試験? って……実技かな?
魔女であり、騎士でもあるのか。
三動王さんかっこいいなー。
……腹揉ませてくれないかなー。
「ところで、貴椿くんになんの話があるの?」
軽い気持ちで聞いてみた。
別に答えたくなければそれでよかった。
その返答が、こんなにも重いものだなんて、想像もしていなかった。
「騎士の実地試験では、数名が組んで行動することになる」
「へえ」
「騎士関係の多くは、警察機関に近い所属になるからな。単独で魔女に対応する機会なんて早々ない」
「ふむふむ」
「現場の雰囲気だけでも似せるように、すでに実地試験ではそのスタイルが取り入れられている」
「うん。それで?」
「…………」
「…………」
「……貴椿と一緒に組もうかなと」
…………
やっぱりそういう話になってしまうのか。
必死で気づかないふりをした。
三動王さんはそういう人じゃないと自分で誤魔化してきた。
だが、やはりそういう……そういうことか……!
「試験にかこつけて男を誘うみだらな女に成り下がるのか」
「おい待て。聞き捨てならないというか、さすがに言い方がひどい」
「でも真実だよね?」
「誘うことは誘うが、しかし……」
「その魅惑の腹筋でいよいよ男まで毒牙に……」
「腹筋は関係ない。そもそも腹筋に執着しているのは橘だけだ」
「そんなことないだろ。ねえねえ」
通りすがりの縫染さんと兎さんを捕まえる。
「三動王さんの腹筋って触りたくならない?」
「「なる」」
二人は同時にきっぱり断言すると、そのまま行ってしまった。
「ほらみろ。触りたがってるのは私だけじゃないんだよ」
「もうよくわからん」
そうか。
じゃあ話を戻そうか。
「貴椿くんをいやらしい意味で誘うの?」
「い、いやらしくは、……ない……」
じゃあなんで照れてるんだよ。
なんで目を逸らすんだよっ。
なんで言葉の最後の方が小声になったんだよっ!
「どんな妄想してるの!? どこまで脱がしたの!?」
「や、やめろ! 脱がしたりなんてしてない!」
「じゃあなんでそんなに動揺してるの!? おーいみんなー! 三動王さんがいやらしい妄想いててててててっ! たかつ、つ、つ、はだかっ……いだいいだいいだい! 頭骨が割れるっ! ごめんなさい!」
「妄想なんてしてない!」
こうしてアイアンクローの餌食となりました。
まあ、あれだ。
「どうせ三動王さんのことだから、試験中に偶然手でも触れたらどうしようとか、それくらいの妄想でしょ」
「な、なぜわかった!?」
三動王さんは今日も1年4組一番の安全牌で、乙女である。
……たぶんこの調子で、試験に誘うことも、できないだろうなぁ。




