10.貴椿千歳、観戦する
「――、――、―、――――」
小さく、そして早口で、聞きなれない歌のような旋律で、魔女は印を結ぶ。
「うわ……」
「冷静にして的確ですね」
怖くないクラスメイトと怖い委員長には、なんの魔法を使おうとしているのかわかったようだ。たぶん魔女だから聞き取れたのだと思う。
魔力同士が感応することもあるとか言うし、案外「聞こえた」んじゃなくて「感じた」のか? 男の俺には魔法は使えないので、よくわからない感覚だ。
「――今ここに仮初の命を与える」
最後の印を結ぶと、ボコッボコッと地面が揺れ始めた。
いや。
揺れているのではなく、『仮初の命』を得た土が、『生命』として動き出したのだ。
芝生がめくれ上がり、その下にある土が盛り上がりはじめる。
まるで波のように地面一帯が波打ち、そして――立ち上がる。
いびつな土人形が、二十体。
どれもが2メートルを超える長身で、横幅も大きい。
――そう、委員長の言う通り、的確な魔法だと言える。
「乱刃は魔法が使えないんだよな?」
「ついでに言えば、抗魔法も使えないよ」
なら、これで手詰まりではないだろうか。
乱刃は魔法が使えないし、抗魔法も使えない。
つまり、土人形を倒す手段がない。
あの土人形は、いわゆる『魔法生命体』と括られる魔法だ。自然物に魔力を吹き込み、自在に操ることができる。
本来の『ゴーレム』は、生み出すのにもっと手間が掛かったり、準備が必要だったりするはずだが、小規模の即席でもこのように生み出すことができる。
昨日の朝、ほんの一瞬見た限りでは、乱刃の戦い方は単純な殴る蹴るだ。
もしかしたら武器などを隠し持っているかもしれないが、今重要なのは「魔法に対抗する手段がない」という点である。
土は、あくまでも土だ。
人なら……いや、生き物であればまだしも、土なんて殴ったところでダメージはない。しかもこの魔法の怖いところは、魔女が魔法を使用し続ければ、無限に再生もできるこということだ。何しろ地面にいっぱい素材がある。
殴る蹴るで、土人形は壊せる。
だがそれは形が崩れるだけで、使用者たる魔女健在ならまた元に戻る。
つまり、物理的な影響で倒す術がない。
ならば土人形は無視して、術者である魔女を倒せばいい、ということになるが。
それは今魔女が「浮いている」ことで、攻撃手段に制限がかかることがネックになる。
乱刃がどんなに素早く動けようが、どんなに強かろうが、空中では自由に動けない。魔女に攻撃を加えるにはジャンプしないと届かない。
飛んだ瞬間、魔女は迎撃するだろう。回避できない空中では、放てば当たる。
何か石でも投げれば当たりそうでもあるが、魔法陣の可視化ができるほどの魔力が発動しているなら、それ自体が防御になっていたりもするのだ。なんの魔力も抗魔力も込めていない石つぶてなんて通さないだろう。
状況的に、手詰まりだと思う。
ただの人の乱刃には、魔女を倒す手段がないのだから。
物理攻撃に強い土人形は、ゆったりとした緩慢な動きで、徐々に距離を詰めていく。
「……」
対する乱刃は、特に反応もなく、浮いている魔女を見上げていた。高さは2メートルほどである。身体能力が高い乱刃なら、飛べば届くかもしれないが……
「――破ッ!」
迫る土人形が無造作に振るった腕を、直撃寸前で足を前に出しつつ頭を沈めて回避し、同時に強く地を踏みしめ拳を放った。
ボゴン!
「おっ」
「すげえ!」
あれだけ肉厚な土人形の腹部が、綺麗に吹き飛んだ。もちろん土だからダメージはないが、単純に乱刃の拳の重さに驚いたのだ。
土人形は己の腹に風穴が空いたことなど気にもせず、腕を振るって敵を追い回す。乱刃は大きく引いて距離を取った。
攻撃を加えた土人形は、空いた風穴を塞ぐために、また土が集まり始めている。下に地面がある限り、際限なく再生し続けるだろう。
「――ふむ。面白い」
乱刃は小さく頷くと、初めて構えた。
足を広げ、腰を落とし、左手の甲を顔に付けるよう高く硬め、右拳を寝かせて前に突き出すという独特の型。たぶん何かの拳法か格闘技なんだとは思うが、俺は見たことがない。
「委員長、知ってる?」
「初めて見ます。中国拳法に近いような気はしますが」
言っている間に、いよいよ包囲網が狭まり、乱刃は土人形に囲まれていた。
それからは、一方的だった。
というより、何が起こったのか正確にはわからない。
破竹の勢いで、『仮初の命』が粉々になっていく。
スピードはともかく、その小さな身体のどこに秘められているのか。とかく鋭く重い打撃の力に驚く。
乱刃から放たれる拳の一発一発で、まるで砂のように抵抗なく土人形が砕かれていく。
気がつけば、乱刃を囲んでいた土人形は、ただの土の山になっていた。
しかし、無駄なことである。
土人形は物理攻撃ではどうにもできない。下が地面である限り、際限なく再生……あれ?
「――ら、乱刃……おまえ……何をした!?」
土人形は再生しない。
俺たちは不思議に思っただけだが、しかし術者は「不思議」の一言では済まないくらい驚いていた。
おまけに魔力を使いすぎたのか、彼女を支える魔法陣が点滅を繰り返し……
ついに彼女は落ちた。
魔力切れ?
いや、それはおかしい。
自ら解除する前に魔法力が尽きるだなんて、高等部の魔女ではない。
今の現象は、魔法をコントロールできない、魔法を使い始めた見習いが陥るような失態だ。
普通の人間で言えば、息切れして立ち止まる前に酸欠で倒れるようなものだ。普通は苦しいと思えば休むだろう。立ち止まったりもするだろう。
それと同じように、魔力が切れそうなら魔法を解除する。それが普通だ。
だとすれば、普通じゃないことが起こったのだろう。見ていたのにまったくわからなかったが。
「――魔力の流れに継ぎ目があることを知っているか?」
ん? どうやら乱刃が説明してくれるようだぞ。意外と親切だな。
「――魔力とは力。力の源は人。人に脈があり、心臓が動く限り、その揺れは魔力にも伝導する。つまりそういうことだ」
うん、全然わからん。そういうことってどういうことだ。
「――あとは自分で考えろ」
ここで放り出すとか、逆に不親切だろ。途中でやめるなら最初から説明するなよ。
「なるほど、そういうことですか」
え!? 委員長わかったの!? 今のでわかったの!?
「今の『土人形』の魔法は、術者が魔法を使い続けることで再生し続けるのです。つまり『土人形』を動かしている間は、ずっと魔力を消耗し続ける。
それを念頭に入れれば、乱刃さんの言葉の意味がわかります。
再生に使う魔力を1とすれば、乱刃戒が行ったのは一時的な魔力伝達の遮断……つまり魔力の供給を断つことで、強制的に魔法を解除させたのです。――ここまではいいですか?」
……委員長がすげー怖い目で俺を見ながら説明してるよ……ここで「先生わかりません」とか言ったら「じゃあ死になさい」とか言われそうで怖いよ……
えっと、まあ、とにかく。
「魔力の伝達を断って魔法を強制解除した……っていう理屈はよくわかる、けど」
要するに、俺も使える『魔除けの印』と同じ原理だ。
ただ、乱刃は『魔除け』を使用したとは思えないが。
「だから、魔力の継ぎ目を狙うのです。脈と鼓動で左右される魔力の流動が極端に弱い継ぎ目を狙うことで、いわゆる『魔除け』の技術を代用した。要はタイミングで不可能を可能にした、という感じでしょう」
タイミング……そんなの聞いたことないぞ。継ぎ目とかいう概念も初めて聞いた。
「話を戻しますが――1の魔力で再生していた『土人形』は強制解除されました。それを最初から再生するとなると、1の魔力では足りない。『土人形』を作る時に使用した10の力が必要になる。つまりもう一度魔法を使い直すことになる。
これだけの『土人形』を作り出すには、相当な魔力が必要です。二年生のあの人には、もう一度『土人形』を作り出すほどの魔力が残っていなかったのでしょう。自動的に再生する機能が仇となり、一気に10の魔力を注ぎ込もうとしてしまった。その結果、魔力が尽きたのでしょう」
……つまり残高不足とか、そんな感じか。いつも自然に引き落としされるものの、今回は魔力という予算が足りなかった、と。たぶんこんな感じだろう。
魔女方面のことは疎いから、正直ちゃんと理解できた気がしないが……委員長に言い出せない。
ここで「わかりません先生」とか言おうものなら「では理解できるまで何度でも屋上から飛び降り続ければいいのでは?」とでも言われそうで怖いし……
「そうですね? 乱刃さん」
いつの間にか、当人である乱刃までこちらを見て話を聞いていた。周囲の人も「なるほど」とか「あーそういうことか」だの、委員長の話を聞いていたりした。……今誰かどさくさにまぎれて俺の尻を撫でなかっただろうか? いや、気のせいか。気のせいだということにしておこう。そうしよう。そうしたい。現実が怖い。
話を振られた乱刃は……一瞬目を逸らし、またこちらを向いた。
「――そ、そうだ。その通りだ」
おい! あいつもなんかわかってないぞ! きっとわかってないぞ! たぶん理屈じゃなくて勘とか感覚でわかってる感じだぞ!
「――とにかく、もういいだろう。私は行くぞ」
乱刃は魔力切れを起こした二年生に言い、背を向けた。
――その瞬間だった。
ドン、と大きく乱刃の身体が揺れた。
「――……ああ、そうだったな。そういえば一人ではなかったな」
腹に槍を突き立てられたまま、小さな少女は振り返る。
「――次は私の相手、よろしく」
魔女は三人で、倒れたのは一人だけ。
二人目の魔女は、己の周囲に数十本の槍を生み出し、浮かせ、矛先を乱刃に向けていた。




