108.貴椿千歳、寝る
北霧麒麟の特訓が始まり、あっという間に一週間が消えた。
正直、俺はこの一週間のことを、よく憶えていない。
特訓以外は身体を休める、ただそれだけの日々を過ごしたからだ。
元から「きつい」とは言われていたが、物事には限度があるだろう。想像よりきついくらいならまだしも、想像より数倍もきついなんて冗談じゃない。
もう思い出すだけで吐き気がこみ上げてくる。それくらいひどいものだった。
「解る。解るぞ。それこそ我らが通った道だ」
ぶっ倒れて動けない俺は、「うるせーバカ野郎」と心の中で何度叫んだことだろう。
特訓内容はシンプルなものである。
――北霧麒麟と模擬戦をひたすら繰り返す、ただそれだけだから。
怪我をしても魔法で回復できるので、それはもう容赦なく殴られたり蹴られたりした。
「地獄のような毎日でした」
正直、婆ちゃんの試験よりひどかった。二割増くらいでひどかった。
「仕方ない。一週間しかないのでは手段は選べぬ」
ひたすら野菜炒めと白飯をかっ込む麒麟先輩は、腹を空かせた子供のようで微笑ましい……わけもなく。
ガリガリに飢えた野犬が久しぶりに獲物にありつけたかのような、生きることに貪欲すぎる姿である。
なんでこいつら関係って飢えてるのが基本なんだろう。
――金曜の夜である。
北霧麒麟と出会い、もう一週間が過ぎた。
毎日放課後から夜まで、翌日半分を身体を癒すことに回さなければならない特訓も、今日で終わり。
特訓中の夕飯の面倒を見る、という約束で師事を仰いでいたので、麒麟先輩が俺の部屋で飯を食うのは今晩で最後となる。
「成果はあったの?」
続けて管理人さんの問いに、俺は首を捻った。
「一応は……」
まだまだどこがどのように磨かれたのか漠然としているが、でも無駄ではなかったと、俺は思っている。
もし何も成果が実感できないのであれば、さすがの俺も一週間は続けられなかったと思う。
それくらい、つらかった。
それと――
「馳走になった。帰る」
食事を終えた麒麟先輩は立ち上がり、……いつものように倒れた。
「今日は早いな」
「千歳の成長に比例しているからな」
まあ、そうなるのかもしれない。
「まあ私たちは食いながらでも寝られるけどな」
……それはきっとすごい特技だとは思うんだが、でも、そこまで行くとなんか逆に不憫だな。
「呪い」で幼稚園児ほどの身体になっている麒麟先輩は、肉体的な無理が利かない。
それこそ幼稚園児の身体だと思えばいい。
体力もないし筋力もないし、もちろんリーチも違う。
むしろこの身体で毎日毎日俺をボコボコにし続けられたのは、身体が縮んでなお衰えない、身に刻んだ武術の賜物だろう。婆ちゃんに鍛えられた俺でさえ、手も足も出ないくらいだからな。
ただ、この通りである。
無理が利かない身体で無理して俺の特訓に付き合った後は、まるで電池が切れたかのように身体が休息を求めて倒れるのだ。
正確には、寝入るのだが。
ものすごく激しい運動をし、(乱刃の部屋で)シャワーを浴び、夕食で腹いっぱい。
ある種健康的と言えるローテーションで、幼稚園児の体力は尽きる。
風呂じゃなくてシャワーで済ませている時点で、もうギリギリなんだろう。風呂入ったらきっと寝落ちするのだ。
無理もないだろう。
だって俺も、この一週間は飯終わったらすぐ寝てるから。
麒麟先輩に散々殴られて蹴られて負った怪我は、管理人さんに治してもらっていたが……
回復魔法は、よっぽどの重賞じゃなければ、当人の自然治癒力を活性化させて癒す。
つまり治されると体力を奪われるのだ。
そういうわけで、俺も今とてつもなく眠かったりする。
もうシャワーも済ませたし、あとは夕飯さえ終われば布団も敷かずに横になって、そのまま朝まで熟睡できる自信がある。
翌日になっても体力が回復しきれないくらいだから、きっと自覚している以上にやられているのだろう。麒麟先輩は本当に強いし容赦もない。
「今日は私が一人で送る。千歳は明日に備えて休め」
倒れた麒麟先輩は、俺と乱刃で蒼桜花の寮まで送っていたのだが……
騎士検定試験は、明日と明後日の二日間で行われる。
翌日にイベントが控えているとあって、さすがの乱刃も気を遣ってくれた。
正直今すぐに横になって意識を手放してしまいたいが。
かなり心揺さぶられるものの、ここは我慢だ。
「いいよ。俺も送る」
俺の都合に付き合わせているわけだからな。最後まで礼は尽くしたい。
眠くて眠くて仕方ないけどな。
「泊めてあげたら?」
え?
「明日は蒼桜花もお休みだし、その子の寮はわかっているから。私が連絡を入れておくから、今夜は乱刃さんの部屋に泊めてあげたら?」
か、管理人さん……!
すばらしい提案である。俺はもう眠い!
「ではそうするか。管理人さん、頼む」
乱刃は夕飯を済ませると、麒麟先輩を担いで行った。
こうして、地獄と化した最後の一週間を消化した俺は、初めての騎士検定試験へと挑むことになる。
婚約とか、そういうものを賭けて。
だが今はただただひたすらに眠いだけなので、寝ることにする。




