105.貴椿千歳、破棄を求める
「そうか。決めたか」
生徒会長と話した後、俺は最近通っている第三魔法実験室にて、北乃宮に騎士検定の実地試験を受ける旨を伝えた。
まだ詳しく聞いていないが、実はこの試験、学校あるいは公式団体での参加しか認められていないそうだ。
つまり個人技を競うものではない。
なので、俺の場合は総合騎士道部に所属するか、一時的に所属して参加するという形になる。
「結構ギリギリだったな」
北乃宮が言うには、試験日はもう来週末にまで迫っていたようだ。
先の話通り個人での参加ではないので、総合騎士道部としてはすでにエントリーしている。
受付期間は当然終わっているものの、団体参加だからこそギリギリでも間に合う。
団体に所属すればいいのだから。
「さすがに来週では、紫先生も認めなかったと思う」
明日は土曜日、学校は休みだ。
参加表明できるのは、本当に今日くらいまでだったのだろう。
「色々事情があってな……はぁ」
思わず溜息が漏れる。そんな事情があるのだ。
「詳しくは姉ちゃんに聞いてくれ」
「ヴァルプルギス関係か」
――北乃宮以外にいつもの他の部員もいるので、この場で説明できるのはここまでだ。火周が北乃宮の姉であることは秘密だからな。
「だが筆記試験はさすがにもう間に合わないぞ」
「いいよ。そっちは受けるだけ無駄だ」
筆記試験は、抗魔法の技術の習得や知識を問う……まあこれこそ完全な個人試験だ。
ここしばらく、北乃宮が付きっ切りで抗魔法を教えてくれていたが。
それこそ「習得したか否か」を問われる筆記試験用ではなく、実戦に使える技術ばかりを中心に学んできたと思う。
なんの対策も取らなかったのだ。
筆記の方を受けたところで、大した結果は出せないだろう。
……あ、そういえば。
「北乃宮、白滝って知ってるか?」
「しらたき? すき焼きによく入っている糸こんにゃくか? それとも網走にある白滝遺跡のことか?」
「どっちも違……えっ!? 白滝遺跡なんてあるのか!?」
「旧石器時代の遺跡らしい」
本当にあるのか……いや、遺跡はいいとして。
「なら防宗峰って知ってるか?」
「ああ、防宗峰竜華のいる白滝高校か。現役高校生で騎士志望なら、知らない方が珍しいだろう」
やっぱり有名人なのか。
「おまえと防宗峰、どっちが強いんだ?」
「強さで言うなら防宗峰竜華だ。風間より強い。俺と風間の二人がかりでなんとかなるかもしれない、くらいの差がある」
――北乃宮が言うには、同じクラスで内気で無口な風間一は、体術だけなら北乃宮より強いそうだ。
ちなみに今風間はこの第三魔法実験室にいる。
座禅組んでる。
あいつ座禅好きだなぁ。
「じゃあ騎士としてはどっちが優秀なんだ?」
「騎士としてなら負けるつもりはない」
そうか……なかなか微妙な線だな……
北乃宮は、俺より体術も技術も知識も上だ。
どうあがいてもこいつに勝てない俺が、防宗峰先輩を上回る結果を出さなければいけないのか。
あの「問題の手紙」の破棄を求めるなら、やはりそういうことになるが……
いや、話し合いでなんとかなるのか?
第一、防宗峰先輩が俺と婚約したいのか、って話でもあるからな。
この辺はやはり、話し合いでなんとか穏便に済ませたいものだ。
紫先生に実地試験参加の手続きをお願いして。
この日は、実地試験の形式とルールの説明を受けた。
想像していたのと結構違うが、概要は理解した。
それから。
土曜日になり、俺にとっては二度目のヴァルプルギスの夜がやってくる、のだが。
その前にだ。
「…………」
「…………」
午後7時、あのホテルのロビーにて。
漂うコーヒーの香りは、俺の家の市販品にはないどこか高貴なものがある。
集会が始まる1時間前。
皆が集まる前に、どうしても話をしておきたかった。
なんというか……非常に気まずくて、挨拶したあとは黙ったままだが。
俺はコーヒーばっかり飲んですでに二杯目に入っているし、相手は基本俯いていて時々チラッチラッと俺を見ているばかりだ。まるで怯える小動物のように。
このままではいけない。
このままでは、呼び出した意味もない。
――よし、話すぞ。話すぞ!
「……刻道」
「は、はい」
絞り出すような声に、相手――蒼桜花学園一年生・刻道唯は、顔を上げた。
「まず、すまない。婚約って言われても全然ピンと来ないんだ。だから一旦白紙に戻したい」
「……あ、はい」
呼び出された理由もなんとなくわかっていたのか、刻道は小さく頷く。
「私の……いえ、刻道の名前を知らなかった時点で、たぶんこうなると思ってたから」
……う、うーん……
「あのさ、ちょっと聞きづらいんだが」
「…? 何?」
正直自惚れがものすごい質問だが、しかしその、なんというか、これを聞けば安心だ。
「俺と、結婚、したかったのか?」
だってお互い今まで会ったことがないのだ。
会ったことがない相手と婚約だの結婚だの言われても、困るだろう。普通に。
その証拠に、刻道はちょっと困ったような苦笑いを浮かべた。
「……あの桜好子蒼と縁が結べるとあって、両親が……特に父がすごく乗り気で。小さい頃からずっと言われてきたし、両親の期待もあるし……それにこんな世界だから、結婚相手を選ぶなんて贅沢なことも言えないし……
よっぽどひどくなければいいかな、って思ってた。
貴椿くんの言う通り、名前しか知らない、会ったこともない相手だから、不安も含めて漠然と思ってただけなんだけど……
実感したのは、九王院学園に転校生が来たって噂を聞いた時。
貴椿くんの名前を聞いた時、やっと実感した。
どんな人なのか知りたくて噂を集めたりしてね、その過程で雨傘先輩に会ったの。
おぼろげに人柄もわかって、初めて会って、…………まあ、いいかなーって」
ポツリポツリと続いた独白は、最後でなんかもじもじして終わった。
…………そうかー。
いいかなーって思っちゃったのか……
「ごめんな。婆ちゃんが酔った勢いで口約束したみたいで……」
「あの夜に?」
どの夜だ!? どの夜の話か知ってるのかよ!?
「……なあ、婆ちゃんって結構有名なの?」
「魔女の世界ではかなり」
マジかよ……悪評広まってるのか……
それから、俺と刻道は婚約とはあまり関係ないことを話した。
主に婆ちゃんのことだが。
婆ちゃんの悪評七割の英雄譚のようなことだが。
もはや何の憂いも遠慮もなく、楽しく話すことができた。
こんな出会い方をしていなければ、案外もっと違う結果になっていたかもしれない。
――と、この時の俺はすでに、刻道唯との婚約の話は終わった、と高を括っていたのだが。
「婚約」なんて決して軽くはない、個人どころかその家族にまで関わる大問題を、こんなに簡単に片付けられるわけがなく。
もう少しだけ、いろんな意味で引っ張ることになる。




