101.貴椿千歳、祖母を呼ぶ
「面白くなってきた」
二度目の沈黙を破ったのは、そう、この状況を見ていた上で特等席を陣取った猫である。
何せ俺の膝の上でくつろいでいるのである。
それはもう最前列以上の特等席だ。渦中の膝の上なんだから。
――面白いことなどあるものか!
だが、他人事と考れば面白い事この上ないのか、みんな興味深そうに瞳を輝かせて、爆弾を投下した刻道と絶賛正座中の俺を見ている。
特に、みんな俺の反応を見ている……気がする。
「は、初耳なんだけど……」
そんな、俺に婚約者がいるなんて、まったく、全然、知らなかった。
「あ、やっぱり……名乗っても全然反応がなかったから……」
刻道は落胆したようだ。
……すまない、本当に知らなかったんだ。
刻道がやたら俺を見ていた理由はわかった。
そりゃ婚約者と初めて合うんだ、緊張もするし観察もするし、とにかく知ろうともするだろう。
でも悪いが、俺はまったく知らなかった。
これもたぶん婆ちゃんが勝手に決めたんだろう。
俺の知らない、俺の意志が介入しないところで。
――だがしかし。
よーく考えて思い出してみれば、アレかもしれない。
知らないことは知らないが、心当たりは……なくもなかった。
かつて婆ちゃんは、言ったんだ。
――「結婚相手なんて心配するな。そんなものはどうとでもなる」と。
確か、俺が島を出て嫁を探したいと言い始めた頃だった。
小学校の四年生か五年生くらいだったかな。
――どうとでもなる。
この言葉を特になんの感慨もなく聞き、当然のように俺は反発し、これまた当然のように婆ちゃんにボコられた。
だが、叱られても何されても諦めなかったから、婆ちゃんは俺に島から出る条件を提示した。
たぶん言葉でもゲンコツでも、この件に関して俺が折れないことを悟ったからだろう。実際従わなかったし。
そして俺は、今年の春に、その厳しすぎる条件をクリアして、九王院学園へやってきたのだ。
あの頃はバリバリの思春期だったし、たぶんその頃はちょっと反抗期も入ってた気がする。
どこに行っても知り合いばっかの島暮らしに嫌気が差していたのだ。
現実も知らずに、ただただ都会に憧れていたっけ。
……もし今の俺が、都会の現実を知った今の俺が、「島を出るか否か」と選択を迫られたら……ちょっと迷うと思う。
この魔女のいる世界では、男は都会では生きづらい。
「――今日はここまで」
話が停滞してしまったその時、その女がニヤニヤしながら動いた。
火周廻だ。
「手紙までは事前に把握していたけど、刻道さんの発言は許容範囲を超えたと判断するわ。明らかに貴椿千歳が動揺している。思いつきに等しい言動しかできないだろう今、決断を迫られるような大事な話はするべきではない。
考えをまとめる時間が必要だと思うけれど、どう?」
今わかった。
「本題」の順番は、手紙の件があったからだ。
ついさっきのことではあるが、火周が俺たちの後ろ盾になったのは、手紙の件で揉めた時にこうして「間に入る理由がある」という形式を作るためだった。
……まあ、ちょっと、想定とは違う形での介入になったかもしれないが。
「支持する」
言ったのは華見月先輩だ。
「貴椿は今ここで話すより、祖母と話す方が先だと私は思う。事実確認も含めてな」
その提案はありがたかった。
何も知らない俺が、これ以上何を話せると言うのか。
そう、まずは婆ちゃんに確認しなければならない。あと文句も言ってやりたい。
その上で、この問題のことを考える必要がある。
……特に刻道の爆弾は、冷静に対処しなければならないだろう。
今この場で話を進めるべきではない、とても大事な話だ。何せ俺だけの問題じゃないからな。
「それではそうしましょう。今日は時間の都合上、これ以上話すのは難しそうです」
生徒会長が言った。
「二日後の土曜日の夜、再びこのメンバーのみでここに集まりましょう。欠席される方は構いませんが、新たなメンバーを加えることは厳禁とします。
――防宗峰さん、刻道さん、それで構いませんか?」
二人が頷き、とりあえずこの場は解散ということになった。
「男って大変ね」
真っ先にスイートルームを出てきた俺と乱刃、後ろ盾となった火周、そしてなぜか付いてきている猫と、エレベーターに乗り込んで。
ゆっくり下へと動き出した時、火周がポツリと言った。
「男って大変ね」と。
「うちが特別なんだよ、きっと……」
婆ちゃんみたいな人が何人もいてたまるか。
あの人みたいなのがたくさんいたら、それこそ世界はもう崩壊しているだろう。
「……仕方ないか」
こうなったら、もうダメだろう。
電話じゃ話にならないことは、前の「蒼桜花の学園長が婆ちゃんってほんと?」と聞いた時に、あたりまえのようにはぐらかされたからな。
今度の話は大きすぎる。
俺だけの問題じゃなく、刻道本人にも、刻道家にも関わる大問題だ。
それにある意味ダブルブッキング的な扱いになってしまった防宗峰……というか白滝高校の手紙の件もある。
もう、電話ではダメだ。
直接会ってしっかり話さないといけないだろう。
婆ちゃんを呼ぶ、か。
受付でお土産のスペアリブを貰い、ホテル前で待機していた車に乗り込み寮まで送ってもらった。
乱刃は隣の部屋だからわかるとして、なぜか火周も猫も一緒に車を降りた。
「おまえら帰れよ」
つかなんでここで一緒に降りたのかよくわからない。
寮が近いのか?
その割には全然帰ろうとしないけど。
「千歳の婆ちゃんに会いたい。あの桜好子蒼なんでしょ?」
猫は婆ちゃんを知ってるのか?
だがしかし、猫よ……あんまり興味本位で首を突っ込むと、好奇心に殺されるぞ。
「一応、どういう話になるか見届けたいのよね。そうじゃないと庇うこともできないから」
「婆ちゃんが拒否したら帰るから」という約束で、火周は俺と婆ちゃんの話し合いの場に参加することになった。
「火周が一緒なら私も一緒にいる。おまえは信用できん」
どうやら乱刃は、まだ火周が例の下着泥棒である可能性を捨てきれてないようだ。
確かに犯人じゃない証拠もないし、犯人も捕まってないから、可能性としてはなくはないんだよな。
まあ、俺は違うと思うけど。
「もう好きにしてくれ。でも婆ちゃんが帰れって言ったら、すぐに帰れよ。何が起こっても俺は責任取れないからな」
とりあえず部屋に戻り、適当に座り。
俺は携帯を操作する。
数コールの後に、相手が――問題多き婆ちゃんが出た。
そして俺は、叫んだ。
「――若作りのクソババア!! 100歳超えてるくせに若い男に色目使うな!!」
言って、すぐに電話を切った。
溜息をつく俺の暴言に、ぎょっとしている女子三人。
――いや、違うな。
すでに俺の肩に触れているその人を見て、驚いているのだろう。
振り返る、と同時に、顔面に容赦ない拳がめり込んだ。
歯が折れんばかりの硬さ、頬骨が容赦なく軋む勢いで、脳内が爆発したかのような衝撃が突き抜ける懐かしい拳だ。
魔力で強化されている辺り、かなりマジで怒っているようだ。
「このクソガキが! 儂を呼び出すとはいい度胸じゃのう! きっちり半分殺してやるから立つがよい!」
ぶっ倒れる俺を罵倒するそれは、高い高い子供の声で。
俺には聞き慣れた、婆ちゃんの声で。
歳の頃は、10歳満たない子供の姿で。
この「婆ちゃん」と呼ぶにはまったく相応しくない子供こそ。
俺の祖母である、桜好子蒼その人である。




