100.貴椿千歳、土下座する
心の準備くらいはさせてほしかった。
もう起こってしまったことをどうこう言うつもりは……まあ最終的に納得するしかないとしても。
せめて、これから耳に入ってしまう衝撃の事実を緩和するため、心の準備をさせてほしかった。
「では最後の問題に入ります。――防宗峰さん、どうぞ」
日々野先輩に指名され、見覚えのない白い制服の巻き毛で乱刃のライバルっぽい防宗峰先輩が立ち上がった。そしてそれに付き添うように猫耳の早良先輩も立ち上がった。
「まだお話していない方もいるので、簡単に私のことを話します。
私は防宗峰竜華、白滝高校の2年生です。
知っている方もいるかもしれませんが、騎士検定実技試験の一昨年の中学の部、去年の高校の部で優勝しました。
この場で言えば、皆さんの天敵なのかもしれません」
お、おお……それってかなりすごいんじゃないか?
北乃宮から少し聞いているが、騎士検定の実技試験って勝ち抜きの大会みたいになっているらしい。
あの防宗峰先輩は、言わば中学、高校チャンプ的な存在になるわけだ。その筋の人にとっては有名人なんじゃないか?
確かに魔女ばかりのこの場で、魔女に対抗する騎士が存在するのは、結構場違いかもしれない。しかも高校生チャンプでもあるわけだし。
「そこで――睡蓮、あれを」
「はい」
黙って傍に立っていた早良先輩が、こちらへやってきた。
まっすぐ、俺を見ながら。
――なんだかとても嫌な予感がした。だが逃げるわけにもいかない。
「貴椿さん、これを」
さも大事な物のように上着の内ポケットから、それを出した。
封を開けた、普通の茶封筒だった。
差出人の名前はないが、宛名には「白滝高校騎士道部」と書かれている。どこか雑にも見えるが、達筆な筆書きだ。
……この字は見たことがある気がするが、気のせいだと思う。
いや、気のせいだと思いたい。
そうであってほしい。
これを差し出す以上、「中を見ろ」という意味だろう。
俺は相当気が進まないものの、全員が無言で俺と早良先輩と問題の封筒を見守っている以上、本気で逃げられない。
本気で逃げ出したくなってきているのだが、本気で逃げられないだろう。
俺はかすかに震えだした手で封筒を受け取り、傍目にもわかるほど震える指先で、中の手紙を抜き広げた。
「――すいませんでした!」
読み終わった直後、俺は土下座した。
意識してのことじゃない、気がつけば土下座していた。
もう頭を下げる以外の選択肢が一切なかった。
「祖母の無礼は俺が謝ります! だからどうか祖母には何もしないでください!」
手紙は、婆ちゃんから白滝高校騎士道部へと宛てられたものだ。
特に防宗峰先輩のことは、名指しで書かれていた。
内容は、俺が速攻で土下座せざるをえない、ひどい内容だった。
何より一番危険なのは、手紙を出した婆ちゃんに直接文句なり抗議なりした場合だ。
婆ちゃんが悪いくせに、婆ちゃんは絶対に謝らない。
それどころか、文句を言われたことに腹を立てて報復を考える。
そしてかなりの確率で報復活動を実行する。
あの人は理屈で生きていない。
己の感情と本能と欲望を最優先する、そういう人だ。
関わって欲しくない。
あの人に関わると九割は不幸になる。
長年孫やってきた俺が言うんだ、間違いない。
「謝る必要はないわ。不快でもなかったし、むしろ面白かったくらい。でも――」
声はすぐ近くからだった。
俺が頭を下げきっている間に、防宗峰先輩がすぐそこに来ていて、俺の肩を掴んで上半身を力ずくで起こした。
「私、防宗峰の名にかけて、売られたケンカは買う主義なの」
その顔は確かに笑顔だった。
なのに、俺には怒りの形相にしか、見えなかった。
「とりあえず事情説明が先ね」
なんというか、そうでもしないと収まらない俺は正座したままになっているが。
事情がわからない人には、それこそ何がなんだかわからないだろう。
それより、俺はもうなんというか、……すごくいたたまれない。
もうこのままいきなり走り出してこの空間から逃亡したいくらいだ。
……猫め! 今俺の膝に乗るんじゃない! そこはおまえのためのスペースじゃない! 仕事しなかったくせにこんな時ばかり……自由すぎるだろ!
「この場の問題は全員が共有する。それが互助を目的とするヴァルプルギスの在り方です」
そういうわけで、もう色々力が抜けきっている俺の手から、日々野先輩が手紙を抜き取った。
「えー。……文面そのまま読むのは貴椿くんがかわいそうなので、少しオブラートに包んで読み上げます」
日々野先輩は俺に気を遣って言葉を選んでくれるようだが。
しかし、俺はもう、その手紙の内容を頭に入れたくない。
要するに、こういうことだ。
――おまえら騎士の実技で優勝したって?
――大したことないくせに?
――どの程度の魔女を相手にして?
――でもどんなに努力しても、そんなお遊びじゃ魔女に敵わないんだし、無駄な努力やめたら?
――ちなみに今年からうちの孫がそのお遊びの試験を遊び感覚で受けて軽く優勝しちゃうけど、せいぜい踏み台としてがんばってね。
――追伸 もしうちの孫より成績よかったら、孫との婚約を認めてもいいよ。無理だろうけどね。
――追伸2 防宗峰の娘は、遊んでないで家業継ぐ勉強でもしな。
……以上である。
これが、俺が速攻土下座した内容をコンパクトにまとめたものである。
婆ちゃんの悪趣味極まりない悪ふざけである。
そんな手紙を出した理由は……たぶんないだろう。それこそ悪ふざけ以上の何者でもない気がする。
高レベル魔女に常識は通用しない。俺の婆ちゃんは特にそうだ。
「なんとも激しい祖母だな」
オブラートに包んでもひどい手紙の朗読が終わり、なんだかシーンとしているこの場で、真っ先に口を開いたのは乱刃である。
俺はこの時ほど、乱刃の空気が読めない特性に感謝したことはない。この先もないかもしれない。
「色々書いてあるけれど、結局は私たち白滝の騎士道部にケンカを売っているだけの内容ね」
防宗峰先輩は、この悪意ある手紙をそう解釈したらしい。
「貴椿くんのこの反応を見て、この手紙を知らなかったというのは理解した。ここまでやらせておいて、これ以上言うこともないわ。
ただ、純粋に気になることが三つ」
三つ?
「一つは、あなたの騎士としての実力。これは純粋に競い合うライバルとして興味があるわ。もしこの手紙の件で実地試験の参加を見合わせるというなら、私はそれを望まない。本当に悪いと思うなら、尚のこと参加して」
……結構しっかりした人なんだな。縦ロールなのに。
ちなみに俺は、騎士の試験を受けるかどうかは、未だ決め兼ねている。将来は島に帰る予定だから騎士の資格なんて必要ないし、試験料とか掛かっちゃうからな。
資格を取る理由も必要もないのだ。でもあって困るものでもないし……と、結論は出ていない。
「二つ目は、あなたの祖母は防宗峰を知っているみたいだけれど、どういう関係なの?」
「いえ、聞いたことありません」
婆ちゃんは秘密主義だから。傍迷惑な秘密主義だから。
「そう。わかった。
……では最後に、『あなたより成績がよかったら婚約を認める』というのは……本気と考えていいの? それとも冗談だと解釈するべきなの?」
そう、問題はそこだろう。
色々あるけど、問題はやっぱりそこだろう。
このヴァルプルギスの夜でも散々言われていたが、高レベル魔女には色々な監視がついている。
今思えば、婆ちゃんも例外ではなかったのだろう。
時々島に似つかわしくないスーツ姿の都会人が来ていたし、婆ちゃんがちょくちょく島を出ていたのは、定期的に連絡を取り合う相手がいたからだ。
そんな立場にある高レベル魔女の言動というのは、殊更気を遣うべきものである。
言わば全てが言質の対象になってしまうからだ。
そして今回のケースだ。
婆ちゃんは、形に残る手紙という媒体にて、俺の婚約を認める旨をしっかり書いてしまった。
これはもう証拠に残るもので、実際証拠として俺に突きつけられた。
――孫として、身内として、「そんなの知りません。婆ちゃんが勝手に言っているだけです」と言ったところで、その効力を失うかと言われるとそうでもないわけで。
高レベル魔女の言動には、やはり大きな責任が付きまとうのだ。どうしても。
俺は冗談で済ませて欲しいが……
だが結局、冗談にしてくれるかどうかは、手紙を持っている防宗峰先輩の気持ち一つである。
「あの――」
このまま再度の土下座に入り、手紙の処分を頼みたかったのだが――
「あの!!」
奇しくも俺と同じ言葉で、しかししっかり俺の言葉をかき消した強い言葉が放たれた。
急に飛び出したそれに何事か見れば……そこには刻道が立ち上がっていた。
顔が真っ赤だった。
きっと意を決して自己主張したのだろう。
――そして、俺を二度目の衝撃が襲う。
「わ、私は、刻道舞は、貴椿千歳の、婚約者です!!」




