6. 図書館
初めてのテスト期間が終わる頃には、学院生活にもだいぶ慣れてきた。そろそろ自分で、"神眼"について調べてみようと思って、旧校舎にある図書館の分室に向かった。学院の生徒が普段めったに行かない静かな場所だ。ここには国内外の古書が所蔵されている。
埃の匂いがこもる分室で、本棚からトヴォー王国の神話や童話を引き抜き、夢中で文献を漁った。トヴォー語はフィーラ語とは少し異なるけれど、母に教わったおかげで、ほとんど母国語のように話すことができる。ただ、文字を読むとなると少し心許ない。だから後で確かめられるように、神眼や賢者エーヴェルトについて、わずかでも私の"夢"に関連していそうな箇所を見つけるたびに、複写魔法で丁寧にメモを残していった。
そんな時だった。少し開いた窓から、笑い声が聞こえた。気になって窓の外を覗くと――裏庭の小さなガゼボに"あの二人"がいた。そう、夢に何度も視たマティアス殿下とピンクブロンドの女子生徒だ。
「あら殿下ったら、よろしいんですか?婚約者のエディット様も入学されたというのに。」
「――あの子は、陛下が勝手に決めた結婚相手だ。確かに皇妃としては適任かもしれないが、いかんせん完璧すぎる。いつも私を試すような目で見て、心が休まらない。会話も優等生で楽しくない。――私が愛しているのはライラ、君だ。」
「うふふ。殿下ったら。」
そう言うと、マティアス殿下がライラと呼ばれた女子生徒に口づけをした。
「……うそでしょ。」
――マティアス殿下自身が、幾人もの婚約者候補の中から、私を選んでくれたと聞いた。彼はいつも私が喜ぶようなプレゼントを選んでくれた。私の話だって楽しそうに聞いてくれた。まさかそんな風に思っていたなんて。
不思議だ。悲しすぎると涙が出ない。呼吸が早くなった。過呼吸かな?まずい。呼吸と一緒に魔力も乱れ始めた。このままでは魔力を暴走させてしまう。
「はぁ……はぁはぁ……はぁ……」
窓の縁にもたれかかった。窓ガラスがガタガタと震え、本棚の古い本が一斉に宙に浮きかけた。
「これ以上、外を見るな。」
耳元で誰かに囁かれて手を引かれる。振り向くと、黒髪の青年、リアスがいた。そのままリアスは私を抱き寄せて、周囲に結界を張った。
「一度、大きく深呼吸して。」
私の魔力は彼の魔力に抑え込まれて、徐々に落ち着いていった。初めて触れる魔力のはずなのに、懐かしくて温かい魔力だった。呼吸が乱れている間、ずっと背中を撫でていてくれた。
「――まったく、君は。浮気されたのが悔しくて、学院ごとぶっ飛ばすつもりか。」
私が落ち着くと、リアスは憎まれ口をたたくように言った。
「こんな風に魔力を暴走させそうになったのは初めてで……。リアス様、ごめんなさい。本当にありがとうございます。」
「礼はいい。――で、どうするんだ。文句言いに行くなら、付いて行ってやるぞ。」
「いいえ、結構です。……殿下も、親に決められた結婚相手じゃ情も湧きませんよね。」
そう言うと、深くため息をついた。
「ふふ。いいことを教えてやる。アレは虚栄心の塊だ。優しそうに見えるのは全部仮面だ。そもそも王の器ではない。あの性分ではいつか破滅するだろう。」
「不敬ですよ。あの方はこの国で皇帝になられる方です。その発言、国際問題に発展しかねません。」
私がそう抗議すると、彼がこちらを覗き込んだ。赤い眼が金色に輝いた。
「へえ~。君、面白いねえ。だから、神眼のこと調べてたんだ。君賢いから、もしかして俺のこと何か気づかれたかと思って、心配しちゃったよ。――ねえ、君のこと気に入った。あんな浮気男より、俺と一緒にならないか?」
そう言うと、リアスはこちらを覗き込んだまま、ニヤリと笑った。
「助けて頂いたのはありがとうございます。しかしトヴォー王国では、婚約者持ちの女性に求婚することは無礼とされないのですか?――私はマティアス殿下の婚約者です。彼の寵愛が得られずとも、私は皇妃としての役目を果たすつもりです。では、失礼致します。」
「ふふ、冗談だよ。ごめん。エディット嬢。怒らないで。」
助けてもらったけど、気分は最悪だ。ただ不思議だった。――私の魔力量を封じ込められるだけの魔力量に、あの一瞬金色に輝いた瞳。ただの子爵とは思えなかった。




