23. 懐妊
リアスとの穏やかな日々は、あまりにも唐突に幕を閉じた。彼はトヴォー王家からの要請で予定を早め、たった一年で母国へ帰ることになったのだ。彼がトヴォーへ発つ日、私はわざわざ彼の見送りに行った。別れ際、彼は少し名残惜しそうに、私の右手のピンキーリングに口づけを落とした。けれど次の瞬間には、何事もなかったように減らず口を叩きながら背を向けた。その姿に、胸が締めつけられるはずなのに、思わず笑ってしまった。――本当に、彼らしい。
二年生になると、最高学年の授業も受けるようになった。課題や試験の難易度も上がる。皇宮の意向通り、卒業後すぐ婚姻に向けて準備を始めるとなると、泣いても笑ってもここで学べるのはあと一年だ。意地でも卒業はしたい。
私とマティアス殿下の仲が冷え切っているのは相変わらずだ。去年は皇宮主催の夜会は、私をエスコートしてくれたのに、今年はそれすら誘いがなかった。隠遁魔法で身を隠して、嫌でも耳に入ってくるくだらない噂話に耳を傾ける。どこどこの令嬢が殿下から観劇に誘われたとか、また別の令嬢と遠乗りに行ったとか。――交流関係が派手なのは相変わらずのようだ。
リアスが祖国に帰ってから、何度か手紙のやりとりをした。ある日、いつものように授業を受けていると、彼からもらったピンキーリングがふいに赤く輝いた。まるでリアスの魔力が私の中に流れ込んでくるような、そんな感覚があった。指輪の誤作動だと思い、対処法を尋ねる手紙を書いたが、返事がなかった。私もその時ちょうど試験に課題に自分のことが手一杯で、リアスも忙しいんだなと思って、さして気にしなかった。
二年の冬休みが明けてしばらく経ったころだった。殿下の様子に変化があった。女子生徒と話すのを止め、真面目に授業に出るようになったのだ。これだけなら良い変化だが、それからしばらくしてライラ嬢が体調不良で学院を休学した。何かあったのだろうか?少し嫌な予感がして、胸騒ぎがした。
卒業も間近に迫ったある日だった。皇宮での貴族会議で帝都に来ていた父に、兄共々呼び出された。普段領地に引きこもっている母も何故か今日は一緒だった。家族全員が集まると、父が部屋に遮音魔法をかける。これから誰にも聞かれてはいけない話をするのだと悟った。
「エディット、落ち着いて聞きなさい。」
「はい、父上。」
「マティアス殿下のことで、ボンデ伯爵が"面白い"情報を流してくれた。」
「ボンデ伯爵が?」
貴族の情報屋、ボンデ伯爵。その情報の正確さは折り紙付きだ。
「――ライラ・オングストレーム子爵令嬢が懐妊した。殿下の子を身ごもったと主張しているらしい。」
「えっ!?本当ですか?」
「そして、マティアス殿下はライラ嬢の子どもを正式に自分の子として認知したいそうだ。」
「しかし、側妃の婚前の懐妊は……。」
「ああ。彼女が後に側妃として娶られることになったとしても、今お腹にいる子は皇族として認められないし、皇位継承権もない。それを認めてしまえば、"托卵"が可能になってしまうからな。」
この国の側妃にはいくつかの条件がある。正妃を娶ってから一年以上経ってから娶ること、教養のある貴族令嬢であること、そして処女であること。最近は寛容になって殿下相手の婚前交渉であれば認められることが多いが、結婚前に授かった子に皇位継承権は与えられない。
「皇子が、平民出身の子爵令嬢を身ごもらせるなんて前代未聞ですわ。」
母が青ざめた顔でこぼした。目には大粒の涙が浮かんでいる。
「それで、殿下はどうするおつもりなのですか?何か他にも情報はありますか?」
「実は、皇帝陛下の体調が芳しくないのだよ。」
「え!」
心臓の薬を飲んでいるとは聞いていたけど、最後にお会いした時も臣下と元気に剣を振るっていた。まさかと思った。
「それで、皇太子の選定を急ぐことになってね。学院の卒業とともにマティアス殿下を指名すると聞いた。――フレデリク殿下は学院にすら入学していないからね。」
「まあ。」
「ここからが大事な話だ、エディット。自分の皇太子の座が確実なものになって、マティアス殿下も欲が出てきたのだろうが、ライラ嬢を正妃として娶りたいと考えるようになったそうだ。正妃の場合、婚前にできた子に皇位継承権が認められた前例があるからな。」
「え!?ニオ共和国との関係を疑われている方を?」
「あの話は国が絡んだ問題で、ボンデ伯爵であってもまだ決定的な証拠を掴めていないそうだ。」
「そんな。それに、彼女は妃教育どころか貴族としての常識も……。」
「それがだ、エディット。困ったことにマティアス殿下は君を消そうとしている。冤罪をかけて。」
そう言って、一束の調査書を渡された。




