『忘却の都市』 記憶のはじまり
「私がこの都市に来たのは……たしか、五年前くらいかな。」
そう言って、夏希は曖昧な笑みを浮かべた。
「……まあ、“来た”って言ってもね。正直、よく分かってないんだ。私はこの都市に来たときの記憶が……ないの。」
霧崎の目がわずかに揺れる。
夏希は続ける。
「なんとなくこうだったんだろうなって思う部分はあるんだけど……全部、ぼんやりしてる。まるで、霧の中にいるみたいに。」
突然の告白に、俺は息を詰めた。
(まるで……自分と同じ……)
言葉にはしなかったが、胸の奥に鈍く何かが重なった。
「気づいたら、この都市にいて。何がなんだか分からなくて、呆然としてたの。そのとき声をかけてくれたのが——城戸隊長だった。」
ふっと、夏希の表情が和らぐ。
「右も左も分からない私に、たくさんのことを教えてくれた。誰にも頼れなかった私に、迷いなく手を差し伸べてくれた人だった。」
懐かしむような眼差しが、一瞬だけ空を仰ぐ。
「しばらくして、私が落ち着いてきた頃。隊長が“そろそろ都市の生活にも慣れてきただろうし、仕事をしてみないか”って声をかけてくれたの。」
“ここには、その人に最も適した職業を選ぶ施設がある”——そう言って、私を連れていったの。
俺の脳裏に、あの施設の名が浮かぶ。
「その診断で、私に一番向いてるって出たのが——警備隊だった。」
夏希は小さく笑った。
「嬉しかったよ。だって、あの隊長みたいな格好いい大人たちと同じ世界に、自分も入れるんだって思ったから。」
そして、正式に都市警備隊に登録され、制服を受け取った。
「でもね、入ってから気づいたの。今思えば当たり前なんだけど、隊長って私たち警備隊員をまとめるリーダーって感じで、実際に訓練や現場で関わる機会は少なかった。」
少し寂しげにそう漏らした夏希だったが、次の瞬間、声の調子が変わった。
「……たぶん、それを察してくれてたんだろうね。 私が、がっかりしてたの、気づいたんだと思う。」
だから——
「指導員として、“隊長と最も付き合いの長い人”をつけてくれたの。それが、都市警備隊のナンバー2——小林副隊長だった。」




