兄は妹に会いたい 1
「お待ちください!」
俺はなんとか謁見の間から出てきた目的の人物を捕まえることができた。俺が接触したかったのはエヴァを引き取り保護してくれていたリザム子爵夫妻である。夫妻の他にスライナト辺境伯がいたことは想定の範囲内だが、そこになぜかハルト様がいたことに――しかもリザム子爵夫人と実に仲良さげにしている様子に――首を傾げたくなる。しかし、そんな些細なことを構っている場合ではないと気を取り直した。
俺はエヴァに会いたかった。勝手と言われようとなんと言われようと会って話して、そして詫びたかった。エヴァを守りきれなかったこと、帰ってきていたのに黙っていたこと、そしてジェイドと立てた計画のせいで酷い目に遭ったこと。
その上で、帰ってくるつもりはないと言っていた妹を説得して公爵家に迎え入れたかった。今回の俺たちが立てた計画は失敗していたのに、それにもかかわらず最終的に思い描いていた形になったのは、エヴァのおかげだ。こんな不出来で薄情な兄にあの子は全てを残して去っていこうとしている。自分の情けなさにたまらなくなった。このまま俺が全てを得てあの子が全てを失うなどととても耐えられない。それにエヴァは俺のただ一人きりの家族だ。失いたくない。
俺はどうしようもなくて、頼りない兄貴だけど、それでも今度こそ守りたい。誰よりもエヴァの味方になりたかった。
「リザム子爵、夫人、初めてお目にかかります。アスラン・フォン・クランと申します。妹を、エヴァを慈しんで育ててくださった様で、ありがとうございます。どうか、エヴァと会わせていただきたいのですが…」
俺の声に振り向いた子爵夫妻は冷たい視線をこちらへ向けた。子爵夫妻からしたら俺は妹をずっと放置していた兄で、しかも帰国したのに挨拶すらしなかった人間だ。それにジェイドのそばにいたのだから、今回の事件についても責任の一端を担っているとわかっているだろうから、当然のことだと思う。
「はじめまして、クラン公爵様。申し訳ありませんが、すでに私はリザム家の爵位を返上しております」
リザム子爵――いや、元子爵は一礼すると淡々と述べた。俺に発する言葉は静かで怒りの色は滲んでいなかったからこそ、余計に彼の怒りが伝わってきた。声は平坦だが、夫人共々こちらを見る目は実に冷たい。夫人の後ろに控えているハルト様は俺を面白いものを見るような目でにやにやしながら見ている。次の言葉を探す俺に話しかけてきたのは辺境伯だった。
「クラン公爵、お久しぶりですな。お小さい頃に何度かお会いしたことがありますぞ、この老人を覚えておいでかな?」
「えぇ、もちろんです。ハルペーを抑えられているのは貴方がいらっしゃるからと幼い頃より聞かされておりました。私が剣を習い出したのは貴方に憧れたからです、スライナト辺境伯」
「ほぅ、それは光栄ですな、この老骨の顔を覚えてらっしゃるとは。しかし、この老骨の顔よりも覚えていなくてはならない方のことをお忘れでおいでではないかな?」
「妹のことを忘れたことはありません。ただ……いいえ、これ以上なんと言っても私のことは信じられないでしょう。どの様に私のことを思ってらっしゃるかも理解しているつもりです。
けれど、これだけは信じて欲しいのですが、私はエヴァの幸せをなによりも願っています」
「何を今更仰せです?殿下と共にエヴァを利用なさったではありませんか」
俺の言葉に子爵夫人が声を荒げる。夫人は細く頼りなげな、線の細い佳人という風貌だった。しかしそれに反して、俺を睨む視線は鋭く、語気は強い。思わず怯みそうになった足を踏ん張る。身体があまり丈夫ではないからとあまり社交界に出てこないと噂の方だったが、この気迫はなんだろう。
「リエーヌ、やめなさい。公爵には公爵のご事情がおありだったのだろう。我々下位貴族よりも権限をお持ちである以上、責任も肩にかかるものもきっと重いでしょう。
妻が失礼しました、クラン公爵様。けれど貴方さまはもう私たちにかまってるお暇などないのではありませんか?」
声を荒げて威嚇してくる子爵夫人も怖いが、穏やかに声をかけてくる元子爵も恐ろしいものがある。彼は帰国を黙っていた事は何か事情があったのかもしれないが、何故あの事件の後に訪ねてこなかったのかと責めているのだ。正直に言って返す言葉もない。俺は父から取り戻した家の現状の把握をしつつ、ジェイドの不始末――王宮内での無許可の魔法の行使だ――の処理などでここ数日忙しくしていた。
クラン家は俺が思ったよりも弱体化していた。他の貴族や一族の人間につけ入れられない様に急いで体制を整えなくてはならなかった。正直に言って今のクラン家はぐちゃぐちゃで、何をどこから手をつければいいのかわからないほどである。目処すら立っていない。
けれどそれでもあの事件の後、傷ついたエヴァに会いに行かなければならなかったのだと気づいたのは裁判の時だった。貴族たちの心無い言葉に少し俯いた後、まっすぐ前を見たエヴァの手は震えていた。それを支えていたのはサラの言うところのチャラ神官のハルト様だった。本来ならあの場所にいるのは俺でなければならなかったのではないだろうか?




