子爵夫人は怒りっぱなしである 11
なんだか嫌な予感がして馭者に急いで聞く。
「エヴァが来ているでしょう?どうして帰らなかったの?私たちのことを待っていたの?」
「あぁ、旦那様、奥様、お早いお帰りで。お嬢様ですか?いえ、こちらにはいらしてませんよ。殿下がお迎えにいらしましたから、お帰りも殿下がお送りになるんではないんですか?」
「なんですって?ヨアキム、お父様!」
私は真っ青になって振り向いた。ヨアキムとお父様も厳しい顔をしている。
「落ち着け、リエーヌ。他の貴族に何があったかを悟らせてはならん。弱みを見せるのは不利益にしかならない。私の部下に探らせる。けれど時は一刻を争う、陛下に報告して秘密裏に探すことにしよう。
心配で仕方がなかろうが、ヨアキム、リエーヌ、お前達は馬車に乗って何事も無かったように帰るんだ。良いな?他の貴族に異変を悟らせるな。後はわしに任せておけ」
私はお父様の声に頷き、ヨアキムと二人で不安に駆られながらも馬車で帰った。家に帰りついた。もしかしたら、他の人に送られて帰ってきていないかと思ったが、やはりエヴァは帰ってきていなかった。
わたしたちが下手に動くと何かが起こったと勘繰られるだけなので大人しく待つしかなく、私ができることは祈ることだけだった。何事もなく、無事で帰ってきて欲しい。もし万一何かがあったとしても、せめて生命だけは。
あぁ、やはりあの時エヴァを公爵家に返しておけばよかったのだろうか?私たちにはあの子を守る力がなかった。一緒にいて欲しいと殿下に言われていたのに、言われなくても一緒にいる気だったのに、結局目を離してしまったのだ。目の前がぐらぐらする。けれどすぐに動かなければならないことが何かあるかもしれない。今私が倒れるわけには行かない。
「奥様、旦那様、スライナト辺境伯からの使いの方がいらしております」
「すぐに通してくれ」
私が不安になっているところに執事が声をかけてきたので、ヨアキムが答えた。そしてすぐに一人の男性が通された。それが誰だか認識したことでさらに血の気が引いた。
「アンディ…」
そう、彼は私の従兄弟のアンディだった。お父様が彼を使うときはあまり外に知らせてはいけないことを伝える時に使うのだ。口の軽いものや、腕が立たないものだと他の人間に情報が盗られてしまうことがある。アンディは血縁者であり、信頼ができる上に腕も立ち、口も堅い。だからこそ彼はお父様の右腕として動いている。
「リエーヌ様、お久しぶりにお目にかかります。クライド様から、言伝を預かって参りました。
……ご息女ですが、クラン公爵家の兄妹に一室に連れ込まれ暴行を受けたとのことです。すぐに王宮医師のクレア・ノーマン先生に手当を受けました。純潔は守られているそうですが、その、あちこち殴られた後が残りました。
……危ないところだったようです」
「なんですって!兄妹なのにエヴァを襲おうとしたと言うの?」
「ええ、そうです。畜生にも劣る輩です。これを」
そう言ってアンディは紙束を渡してきた。中を見るとそれはエヴァの診断書であった。顔やあちこちに殴られた後や、身体に噛みつかれた後などいかにも性的暴行を受けかけたと記載されていた。眩暈がする。唯一の救いは純潔だけは守られたということだった。
「殺してやりたい…!あの子が何をしたというの!」
私から書類を受け取ったヨアキムがその書類を見て眉を顰める。
「それでエヴァは?」
「はい、今はセオドア・ハルト様がお側についております」
「ハルト様が?殿下は何をなさっているのか、お分かりになりますか?」
「えぇ、それ以上問題が起こらないように城の警備の見直しや問題の洗い直しをされていた様です」
「エヴァを放っておいてか!」
がんとヨアキムが机を思い切り殴りつけた。彼がこんなに怒っているところを見たのは初めてだった。ヨアキム…、と私が呼ぶと彼は頭を振ってため息を深くついた。
「すまない、リエーヌ。ご使者の方も。
……これ以上は殿下の擁護はできない。どうあってもエヴァをあの男に嫁がせない。あの男だけは絶対に許さん」
「アンディ、エヴァは今どこに?」
「今は事情徴収されていらっしゃいます。けれど心配は必要ありません。セオドア様がずっと付いておられます」
「ハルト様か、あまり良い噂を聞かない方だと思っていたが…」
「確かに軟派な態度を取っておられますが、実際に女性に手を出してはおられません。
そもそも神殿の一位の方は同じ神殿の二位以上の方としか体の関係を結べませんので、安心してよろしいでしょう。それに私も少し覗きましたがまるで雛鳥を守る親鳥の様でした。
この時間ですからエヴァンジェリン様は恐らく本日は王城に泊まることになるかと。部屋を用意されておりました」
「わかった。義父上に宜しく伝えていただけますか。近いうちに色々と相談したいとも」
「かしこまりました。それでは私はこれで」
エヴァが見つかったことに安堵したのも束の間、あまりにも酷い目に遭ったと聞いて、もうどうして良いか分からない。感情の置き場が分からなかった。私がこんな調子ではいけない。エヴァの方がもっともっと辛い目に遭っているのだ。なんとかあの子が帰ってくるまでに気を落ち着けないといけない。
それでもクラン家の兄弟が憎くて、自分で自分の無力さに頭に来て涙が溢れて仕方がない。泣き続ける私をヨアキムがそっと抱きしめてくれた。




