子爵夫人は怒りっぱなしである 3
グラムハルトは結局二年以上経っても手紙ひとつ花一輪ですら送ってこなかった。夫婦二人で頭を抱えていた、そんな時にヨアキムのところに差し入れを持っていたエヴァが王宮の池に落ちたと、なぜか王太子殿下がエヴァを担いで帰ってきた。エヴァは額に傷を負った上に、意識すらなかった。どうしてこんなことに、と嘆いていたら、王太子殿下が私達に頭を下げてこう言い出したのだ。
「私の責任です、どうか私と彼女を結婚させてください。絶対に大事にします」
その言葉に私達は驚愕した。今や子爵家の令嬢でしかないエヴァが王族に嫁げるか否かも不明であるし、王妃の派閥のルーク家と私達の派閥であるクラン家は仲が悪かったからだ。
そもそもエヴァほどできた娘が幼い頃、殿下の婚約者候補筆頭でしかなかったのは、両家の不仲のせいであったのだ。あれから特に状況は変わっていないどころかクラン家は没落の一途を辿っている。今更殿下がエヴァを求める理由がわからない。
とりあえず今は王家からの申込ではなく、あくまで殿下の意思であることを確認の上、娘に意思確認をしてからでないと返答ができないと伝えた。それから毎日の様に殿下は花や小物を持ってエヴァの見舞いに訪れた。グラムハルトやルアードよりもエヴァを大事にしてくれる方なのかもしれないとは思った。
それでも念のため、事故当時の状況を調べようとしたが、目撃情報は何ひとつとして出てこなかった。王宮の池はそんなに辺鄙な場所にあるわけではないのに、誰も何も知らないと言うのだ。あまりにも不自然である。しかし相手は王族であり、しかも事故の当事者であるエヴァは家に担ぎ込まれて以来一度も目を覚まさなかった為、調査は暗礁に乗り上げてしまっていた。
とうとうエヴァが寝込んでから三日目に「こんなにひどい状況が続くなら尚更責任を取らせて欲しい」と今度は王家からの打診があった。さすがに王家からの打診は断れず、結局何が起こったかわからないままエヴァの婚約者は殿下に変わってしまった。
殿下は見目麗しく、聡明な上に歴代で一番か二番かと言われるほど魔力が高く、名君になる可能性が高いという噂で様々な令嬢が狙っていたがずっと婚約者がいなかった。初恋の相手を忘れられないからとも、乳兄弟であるクラフト伯爵令嬢とただならぬ仲だからともいう噂があった。色々と調べてみたら、殿下はエヴァが婚約者筆頭候補だった時はとても仲が良かったらしい。けれどもクラフト伯爵令嬢とも気が置けない仲の様に見えるそうだ。
エヴァが婚約者筆頭候補だったのは八年以上前のことなので、殿下に婚約者がいないのはクラフト伯爵令嬢のためという説が主流だった。そのせいもあり、殿下に対して悪いイメージを持った。何があったのかよくわからないし、殿下にそれとなく聞いても答えてくれない上、他に好きな人がいる人がエヴァの婚約者になることに不安が残った。
エヴァが目を覚ましたのは四日も経ってからだった。目を覚ましたエヴァはなんと私とヨアキムのことを『お義父さま、お義母さま』と呼んでくれた。そして私の顔を見て「顔色が悪いから休んで欲しい」と自分も辛いだろうに反対に私を気遣ってくれた。
突然父母と呼んでくれたことに私もヨアキムも驚き、聞き間違いではないかと思った。「もう一度呼んでほしい」と言うヨアキムの言葉に私も一緒に頷いた。エヴァは何度でも私たちのことを父母と呼んでくれた。あまりの嬉しさにもう一度と言いかけたが、エヴァはようやく目を覚ましたばかりなのだ。無理はさせられない。
エヴァは私たちの方に手を伸ばして身体を起こそうとしたが、傷が痛んだのだろう、眉を顰めた。
起きてはいけないと言いながら、エヴァに額に傷が残ってしまったことをヨアキムが告げた。そして傷に関して言葉を重ねようとしたがエヴァは力無く微笑み、告げた。
「傷なんて、今更ですわ。これが原因で、婚約解消になるなら、私はそれでも構いません」
エヴァはいつもこうして誰も責めずに自分が全て被って身をひこうとする。そんなエヴァにまたもや婚約者が変わったことを言わなければならない。私にとってはなんとなく胡散臭い様な気がする殿下だがエヴァにとっては良縁かもしれないとは思う。けれども今この場で言うのは少し心配であった。意を決した様にヨアキムが口を開いたので「その話は今でなくとも」と嗜めたが、エヴァがその話を聞きたいと言うので婚約者が王太子殿下に変わったことを話すとエヴァは何も言わないまま、気を失ってしまった。エヴァが目を覚ましたのはその二日後のことであった。




