子爵夫人は怒りっぱなしである 2
我が家に来たばかりのエヴァは部屋に引きこもり毎日泣いて暮らしていた。様子を見ながら落ち着いた頃合いに話してみると、エヴァは聡明で穏やかな性格だった。公爵令嬢でなくなったことよりも実父に捨てられたことが悲しい様だった。しかし、だからと言って周りの人間にあたることもなく、ただただ静かに悲しんでいた。エヴァはその当時8歳だったにも関わらず、実に大人びた態度だった。
そもそも私たちのところに来てくれただけで嬉しかったし、可愛くて仕方なかったけれども、悲しみに沈むエヴァを見て更に大切にしなければいけないと思った。
最初は言葉少なく、暗い瞳をしていたが、お茶や買い物などに誘い、少しずつ部屋から連れ出すようにした。そうすると少しずつだがエヴァに笑顔が浮かぶようになった。初めて笑った時などその愛らしさに感動したものだった。そして、3ヶ月も経つ頃には笑顔で過ごすことが多くなった。私たちはますますエヴァを可愛がった。
そんな可愛いエヴァを婚約者のルアード・テンペス・イースター・リオネルが冷遇しているらしい。エヴァにつけていた侍女のエリスから聞いて怒りで眩暈がしそうになった。呼びつけるだけ呼びつけて一言も話さずただただエヴァを睨みつけるだけだそうだ。このまま彼と結婚するのはエヴァにとって決して良いことではないだろう。なんとかして婚約解消させようとヨアキムと一緒に動くことにした。併せて万が一婚約破棄がうまく行かず、酷遇された場合に備えて私の知っている知識をエヴァに教えた。実家の教育もあり、私は家事一般を叩き込まれていた。厳しい環境下で暮らすために何かあった際でも生きていけるように色々と教えるという家訓だったのだ。
私は体が弱かったので、家事一般だけだったが、私の姉達は野外で生きていけるような教育まで受けているそうだ。表向きは楚々とした美しい姉たちだが、なんと熊ぐらいなら倒せるという。残念ながら私は熊の倒し方は教えてあげられないが、炊事や洗濯や身だしなみの整え方などなら教えてあげられる。公爵令嬢には抵抗のあることだろうにエヴァは気が紛れるのか、私の教えを真摯に聞いてくれて、楽しそうに一緒に実践をしてくれた。この頃にはエヴァは部屋で引きこもることもなくなり、素の自分を見せてくれるようになった。
あんなにスタイルが良いのに、実は食べることがとても大好きでたくさん食べること。エヴァより少なめに食べてたはずなのに毎日一緒にお茶菓子を食べていたら、私だけ太ってしまってふたりで笑ったこともあった。エヴァは甘いものが大好きで、中でもすみれの砂糖漬けがとても好きで、私が作ったらこっそり盗み食いをしていたこと。
好みの食べ物を食べると少し目が大きくなって、ゆっくり噛み締める様に食べること。頭を撫でられると少し照れ臭そうに笑うこと。
私たちは笑い合いながら毎日を過ごすようになった。けれど、どれだけ笑顔を見せ、親しくなっても私たちのことはリザム子爵、リエーヌ様と呼んでいた。実父に捨てられたも同然で我が家に来たのが辛いのだろう、私たちのことを父母と認めたくない様だった。けれどそれは仕方のないことだろう、とヨアキムと話しあった。
その後もリオネル家との婚約を解消しようとヨアキムは動いてくれていた。併せて実家にもお願いして動いてもらうことにした。ようやくなんとか目処がつきそうだった頃に、なんとエヴァの婚約者が変わることになった。今度の婚約者はグラムハルト・フォン・ルーク・ベネディ、宰相子息だった。しかもまたもやエヴァの身体に傷をつけて責任を取るためだという。彼は「エスコートしていたが階段を降りる際に、エヴァが足を滑らせてしまい、上手く支えられなかった」と言った。しかし後から現場を見ていた人から「あれはわざとだ」という話を聞いた。どう見ても突き落とした様にしか見えなかったらしい。全く理由がわからない。遠回しに理由を聞いたが「なんのことかわからない」と返された。
どうしてこの子ばかりこんな目に遭わないといけないのか頭にきた。しかも、こんな恐ろしい真似をする相手と結婚なんてしようものなら、将来エヴァが危険な目に遭ってしまう。下手をしたら殺されてしまうかもしれない。「責任など取ってもらわなくていい」と返そうと思ったがエヴァは大人しく婚約を受けた。
「王太子の筆頭婚約者から辞退することになった上に、家からも捨てられました。
その上にこんな醜い傷跡が残る娘など他に貰い手はつきません。それに宰相家に逆らうとリザム子爵やリエーヌ夫人にご迷惑をかけるかもしれません。
もしかしたらルアード様よりももっと良い関係が築けるかもしれませんし、何よりグラムハルト様の方が家格が高いのでお二人のお役に以前よりきっと立てます」
そんな健気なエヴァに涙が溢れた。せめて彼女の怪我をなんとか治してやれないかと神殿に問い合わせたところ、父母に頼ればなんとかなるくらいの値段だった。頼み込んで援助してもらう話がついたが、エヴァに言うと絶対に遠慮するだろうと思い、黙ってことを進めていた。
けれどその時期にタイミング悪く隣国が攻めてきたせいで、実家が神殿に魔導師を依頼をすることになったために話が流れてしまった。
もう一つ方法があった。年に一度神殿がハーヴェー神の誕生祭を隣国で開催している。その日に神殿に行けば無料で治療をしてくれるのでーーもちろん神殿に入る際は有料だが、それでも決して払えない額ではないーー連れて行く為に出国申請を出したが、許可が貰えなかった。国から返ってきた答えは『宰相子息の婚約者が国外に出てはならない』とのことだった。万一国外に出た時に何かあったらどうするのか、という返答だった。
きちんと辺境伯からえり抜きの護衛の騎士を連れて行くから、と伝えていたにもかかわらず、全く聞く耳を持って貰えなかったらしい。
もし、神官に知り合いがいたなら、出国することにあたって口添えして貰えるのだが、神官は基本で貴族に深く関わることを嫌う。私達も神殿に全く知り合いがいなかったので打つ手がなかった。
出国に関してはベネディ家が強く反対している様だ、とヨアキムは言っていた。そしてその後も何度か申請したが却下され続けて、結局この手も使えなかった。
せめてグラムハルトがエヴァに対して誠実な婚約者であれば良いと願ったが、残念なことに私たちの願いは叶わなかった。グラムハルトはエヴァに対して無関心な男だった。エヴァから手紙やプレゼントを送っても返事ひとつ寄越さなかった。もちろんエヴァの誕生日でもプレゼントひとつ送ってこなかった。
但し、未来の侯爵夫人として教養が必要と思ったのか、家庭教師を送ってきた。少し覗いたことがあるが語学や地理、近辺国の動向やこの国の歴史など多岐に渡るものだったが、エヴァにとってはそこまで難しいことではなかった様で水が地に吸い込むように知識を吸収していた。侯爵夫人とはここまで教養が必要なのかと驚いた。しかし、グラムハルトがエヴァにしたことはそれだけで、ここまで教養を要求してくる癖に彼からの接触はこれ以外何もなかった。
エヴァは部屋に引きこもることは無くなったが、あまり社交を好まず、なかなか邸外に出ることはなかった。例え外に出たとしても上位貴族であるグラムハルトといまや下位貴族であるエヴァでは社交で会うことは難しかっただろうが。
実父に捨てられたことや、婚約者に蔑ろにされ続けたせいだろうが、エヴァの自己評価は格段に低い。エヴァはグラムハルトに無関心を貫かれても私たちに助けを求めることなく、今まで通りの生活を続けていた。なんとか婚約解消できないかと動いたが中々うまくいかなかった。元々彼はクラン家と仲の悪いルーク家の人間だったので、簡単に婚約解消ができるのではないかと思っていたが、何故かうまく進まなかった。
このままエヴァが不幸になるのを指を咥えて見ていなければならないのかと思うと悔しくて悔しくて仕方がなかった。親戚には貴族の婚姻とはその様なものだと言う人もいたが、エヴァは今までいろいろなものを失ってきた人間だ。せめてこれから幸せになって欲しかった。




