【間章】女将から見た2人 2
神殿に入殿した後は、師匠を紹介された。ただ、皮肉なことに魔法にあまり興味を持っていないあたしには才能があったらしくあっさりと師匠を超えてしまった。あたしに教えられる人間はおらず、何もすることがなくなってしまった。弟子を取ることもできると言われたが、あたしは感覚で魔法を使う人間なので、あまり役に立たないと思うと告げた。実際誰か弟子を取るということは誰かの人生を背負うということだ。あたしには荷が重い。
神殿はあたしに無理に弟子を取る様に強要しなかった。子供を産むように、勧められたが、命令ではなかったので断った。誰かに焚き付けられたのか、襲ってこようとする男もいたが、全て返り討ちにした。
神殿から命令があったらその地に行って魔物や害獣、盗賊団などを片端から焼いた。それだけで使いきれないほどの金が懐に入ってきた。
けれど何に使っていいかもわからなかった。趣味なんてなかったし、大切な人間なんて誰もいなかった。作りたいとすら思わなかった。また裏切られるかもしれない。しかも、あたしの相手は三位以上の男性だけで、結婚しなければ、その男は神殿の命令があれば他の女を抱くかもしれないのだ。そしてあたしは結婚などするつもりもなかった。子供も欲しくなかった。あたしは、何のために生きているかだんだんわからなくなってきた。
迷っているあたしに大神官様が声をかけてきた。
「エルザ、迷っておるな。其方はどの様にして生きていきたいのだ?」
「あたしは…神殿に助けてもらってなんですけど、宿屋を続けたかったんだと思います。それに心を残しすぎて他の何も楽しくない」
「そうか、ならば宿屋を始めると良い。もちろん二位の其方は神殿から退出することは許されぬから、神殿に所属したままになるがのぅ。
もちろん其方にしか頼めぬ依頼には行ってもらうことになるが、それ以外の時は自由にしておいてもらって構わんよ。ただし、宿屋の場所は神殿から徒歩20分以内の場所にしておくれ」
大神官様に何度も何度もお礼を言ってあたしは宿屋を始めるべく動き始めた。宿屋をオープンできたのは約一年後だった。自分一人で切り盛りできるように小さい宿屋にしたが、あたしは楽しんで毎日を過ごしている。そして、誰も愛さないと思ったあたしだが、良い人ができた。同じく二位の風属性の魔道士だが、彼も宿屋の息子で宿屋の仕事を愛していた。あたしと彼は結婚して、一男一女を設け、一緒に宿屋を経営している。
いつか、セオドアにもあたしのあの人の様な人ができればいいのにと思ったが、こればかりは何とも言えない。どこぞのお見合い神官にはあたしも困らされた。なので、あたしがセオドアに誰かを押し付けるつもりはない。今のあたしだからわかる。誰も愛するつもりはないと言いながらも、あたしは誰か愛する人が欲しかったのだ。きっとセオドアもそうだろう。
そうこうしているうちに、セオドアがやってきた。二年ぶりだ。以前はニ〜三ヶ月に一回だったので、随分とご無沙汰だ。連れて来ていたのは、黄金の髪に紫の瞳の、まるで絵画から抜け出てきた様に美しい女の子だった。まるで人形の様な人間味の薄い子で、セオドアと並ぶと一幅の絵の様でとてもよく似合っていた。
けれどセオドアは恋愛を嫌悪している。そしてその女の子はセオドアに依存している様に見えた。それなら、洗礼後には手酷く突き放されることになるだろう。「深入りしないうちに縁を切りなよ」と言ったが、女の子の顔が真っ青なことに気づく。おそらく旅疲れだろう。セオが一緒に、ここに連れて来ているということは洗礼前に違いない。明日からは一人で生きていかなければならないのだ。まだセオドアの手があるうちに身体を回復させた方が良いだろう。
しかし、その子は恐らく高位貴族の娘だろう。立居振る舞いや雰囲気に品があり、その辺の地方貴族ではなさそうである。こんな子が一人で生きていけるのかね、とため息をつく。長旅で疲れたのだろうか夕食も食べに来なかった。頼りないねぇとは思うが、これだけ綺麗な子なら、最悪の場合は神殿の上位魔道士が嫁にもらうなりなんなりするだろう。あたしにできることはいつも通り何もない。そもそもお貴族さまは嫌いだ。うちの宿では貴族用のサービスの提供はしていない。何か文句を言われたら面倒だね、と思いながらも寝床についた。
次の日、あたしが起き出して朝食の準備をし出した頃に裏の井戸からぱしゃぱしゃと音がした。こんなに早く起きて活動を始める人間がいるのかと思い、確認することにした。勝手口を開ければすぐ井戸だ。井戸には、セオドアの連れてきた少女が、水を汲み顔を洗っていた。
「あ、おはようございます。素敵なお部屋ですね、おかげで昨日はぐっすり眠れました」
そう言って少女は笑った。昨日の様子だけなら心配だったが、どうやらそこまで心配ではなさそうだ。貴族が井戸を使えて、しかも自分で身の回りのことをしようとするなんて驚きである。
「おはよう、お嬢さん。随分早起きだね?朝食は一時間後だよ」
「はい、昨日ついうっかり寝てしまって、早めに目が覚めたものですから。それまで付近をちょっと散歩してきます」
「え?お付きのものとかはどうするんだい?」
流石にあたしもぎょっとする。いくら大神殿の近辺としても、こんな滅多にお目にかかれない様な美少女が早朝一人でフラフラするのは決して勧められない。
「大丈夫です、このくらい明るければ迷うこともないでしょうし。私一人歩きは慣れてますので」
そう言って少女はにっこり笑う。二位とはいえ、平民のあたしを蔑むことなく、普通に話していることに驚く。なんだ、思ったよりも頼りない子ではないかもしれないね、と思う。
けれど、一人で散歩に出るのはどうだろうとつい思ってしまう。確かに今後は一人で何もかもしなくてはいけないし、外だって一人で歩けないと話にはならない。話にはならないが、なんとなく心配なのだ。あたしの心配に気づいたのか、少女は続ける。
「これから先はなんでも一人でできる様になりたいんです。いつまでもセオにおんぶに抱っこじゃ困りますから」
少女の言葉に本当に驚いた。発言の内容もそうだが、セオドアのことをセオと呼んだことに純粋に驚いた。高位貴族のお嬢様が、勝手にそう呼んでいるのかもしれないと思って注告をしておくことにする。
「お嬢さん、あんたはセオドア様を頼りにしている様に見えるから言うんだけどね、洗礼を受けたらあの子とはさよならだ。その後の庇護者をあんたは見つけておいた方がいい。あの子は悪い子じゃあないんだけど、悪い男ではあるからね」
そう、あの子は悪い子じゃない。けれど、神殿に連れて来てもらった女にとっては悪い男だ。少女はあたしの話に微笑みながら答える。
「大丈夫です、私は彼にとって恋愛の対象外です。私も彼もお互いを異性と見ていません。それに私にとっては、彼はすごく親切な良い方です……恩人なんです」
今までの女たちとほぼほぼ同じ内容の言葉を返すものだから正直またかい、と思う。
「あの子は他人にある一定上踏み込まれることを嫌うからね。頼っても無駄だよ。
言っちゃあなんだけど、神殿は位階が全てだ。あんたがどのくらいの力を持っているかあたしにはわからないけどね、あんた一人じゃ食い物にされる未来しか見えてこない」
「心配してくださってありがとうございます。この後、セオが師匠として面倒を見てくれるそうなのですが、私も迷惑をかけない内にできるだけ早く彼から離れます」
あぁ、なんだ、お貴族さまの割にはまともだと思ったが、結局この子も同じだ。セオドアの気持ちを無視して弟子になるつもりでいる。孤児院の子供たちですら、セオドアは弟子にする気がないと言っていた。
『例え光属性の子供がいたとしても弟子にはしないよ。弟子なんて弱点にしかならないし、誰かの人生を背負っていくなんてごめんだね。』
彼のその気持ちはあたしにもよくわかる。弟子を持つなんて荷が重すぎるのだ。特に神殿において異性の弟子を持つことは特別だ。
「いや、洗礼を受けたら、さよならだと思うよ。あの子が弟子を取るはずがないからね」
少女はこてりと首を傾げると続けた。
「いえ、でも、洗礼は昨日で終わってますし、今後の話も昨日したところなんですが…」
「えっ!?洗礼が終わってる?まさか!それにセオドア様が異性の弟子を取る?そんなことは決してないと思うよ。いいかい、神殿において異性の弟子を取るってことはね…」
「女将さん、その辺にしておいてくれないか。ここはいつから、宿屋でなくて情報屋になったのかな?朝の忙しい時間に一宿泊客を構ってる時間はないだろう?
おはよう、シェリーちゃん。いくら日が登ったからと言って一人でフラフラしない様に。危ないだろう?」
「おはよう、セオ。一人で散歩くらいなら平気だと思うの。それにさっきご指摘いただいて気づいたんだけど、私あなたに頼りすぎじゃないかしら?」
あたしと少女の話にいきなり割り込んできたのはセオドアだった。いつも八時を過ぎないと起きてこない、朝には弱い男だったと思うのだが。
「女将さん、あんまり彼女に変なことを吹き込まないでくれないかな?」
そう言って少女の腰を抱いて、こちらを軽く睨むセオドアに正直驚いた。あたしの知っているセオドアではない。そうか、とうとう見つけたのか、とあたしは思った。
「女将さん、この子のことは心配しなくていいから。
シェリーちゃん、今日付き合って欲しいところがあるんだけど…」
そう言ってセオドアは珍しいことに彼女を抱き寄せる様にして秘密の場所へ誘っていた。セオドアが女性の腰を抱くのも、そして引き寄せる様に抱きしめるのも、初めて見る光景だ。あたしが鬱屈していた時に神殿にやってきた彼はあたしよりも十八も下だ。そして二人とも神殿に対してあまり良い感情を抱いていなかった。だからなんとなく近しい感じがして、弟の様な子供の様な気がしていた。手が離れてしまったのだ、と思った。何となく寂しいが、あたしがあの子にしてやれることはない。きっとよかったのだろう。




